旅のお土産話し

新婚の後輩夫婦が関西旅行のお土産を手にして、
自宅へと遊びに来てくれた。

旅行前に個人的にお勧めの街・店・場所などを
あれこれと伝えていたのだが、時間の許す限りで、
話した全てを回って来たらしく、「こいつぅ~」と
思わずひとりずつにハグをしてあげたくなった。

完全な余談になるが、
「人に愛される力・方法」とはこういうことなのかも知れないと改めて思うのだ。


第二の故郷である関西旅行のお土産話しを聞きながら、改めて、滋賀・京都・大阪・奈良・神戸・姫路の町・街と人と文化についての雑談を交わし合った。

「神戸の街は、横浜によく似ていて、とても整理されていて綺麗だった」と、懐かしい地の想い出をあれこれと話してくれ、当時の記憶に紐付けながらニコニコしながら聞いていた。

それでも頭と胸のなかでは、「あの日」神戸・三ノ宮の地に立って感じた思いと、そんな自分の感傷など何も意味は無いとでもいうように吹き抜けた風の姿と感触をなぜだか想い出し続けてもいた。



「あの日」の街の景色

阪神淡路大震災が起きた数か月後、
道の左右に瓦礫の山が残る中を電車は走り抜けて行った。

車窓に映るその景色の現実は、
つま先からの震えが胸に届き、
激しい動悸を呼び続け、
それは思考とともに積み重ねられてきた
常識・価値観のようなものをフリーズさせ、
完全に砕いてしまうような
想像さえも出来ない景色だった。

電車が三ノ宮の駅に到着し、改札を抜け街に足を一歩踏み入れた瞬間、
アスファルトの道路・ビル群・看板 etc. 街そのものが真新しくなっている景色に圧倒され、電車の車窓に映っていた世界との落差に大きく・強い違和感に襲われ、得も言われぬ息苦しさを覚えることとなった。

町・街とは、人々が創り出したものであり、時間という歴史の現実が新旧共に交差して幾重にも綴れ織られ、さらにその場所で人生時間を過ごされる人々の「気」のようなモノにより、その町・街唯一の空気を創り出すものなのだと思う。

瓦礫から一気に真新しく建てられた道路・家・ビル・・・積み重ねられた時間・歴史がカットアウトされ、再生されたその姿は、町・街とは、経過する時間とともに作られていくものであることの刃を首筋に当てられているように、胸に刻み付けろと言わんばかりの何とも言えぬ圧がそこにあった。



人と時間 ... 町と街

町:city / town」とは ...

大勢の人々が住み・暮らすために集団を形成して社会生活を営むために整備された、地方公共団体の区分の1つとして使われている村よりも大きく市よりも小さい生活地域で、住宅だけでなく店や農地などあらゆる要素を含んだ一帯地域で、街をも含んだ、より広い範囲を指す言葉となる。

町という字は、「区画された田畑」の象形に釘の象形を合わせたものとなっており、「あぜ道」や「境界」を意味する言葉として作られたという経緯がある。


街:street / downtown」とは ...

商店やビルや施設が立ち並んで繁華街を形成し、その地域に住み・暮らす人だけではなく、外部からも大勢の人が買い物したり、娯楽を楽しんだり、仕事などで訪れて、商業的に賑わい栄えて活気に溢れ、繁華街として経済活動が盛んな場所を指す。
様々な交通機関の起点場所となることも多く、これらが交差したアクセスポイントであることが多い。

街という字は、「十字路」の象形と「縦横の線が重なった幾何学図形」の象形から成っており、「みち」や「まち」を表す語として作られたという経緯がある。



もうひとつのあの日

東日本大震災で家と故郷が消えてしまった知人からメールで連絡が入った。

復興は、時間は掛かっても喜ばしいのだが、
新しく綺麗になっていく昔の土地の跡に立って
周りを眺めながら、「望んでいたのはこういうこと
だったのだろうかと言葉に言い表せぬ違和感を
感じ続けている」と綴られていた。


そして、そんな違和感こそが、復興が進んだ証しなのだと自分に言い聞かせているのだが、違和感の正体については、誰にも喋れずにいるのだとも伝えてくれた。

吐き出さずにはいられなかったのだろう「なにか」をぶつけられ、あの日、三ノ宮駅の改札を出た時に襲われた違和感の風が吹き抜けていった。



変化し続ける「町と街」


新旧の時間が同じ空間にあるからこその自然な街並み。
全てが真新しい町・街の姿は、テーマパークのようでもあった。


町・街は、人々が創り上げる場所となる。
幾つものドラマと歴史の基礎がそこに生まれ、脈々と息づく。


新しい町・街には、人々の息遣いが感じられぬ冷たさだけが際立つ。
新婚家庭の家の中のようにどこか落ち着きがないともいえる。



「町:city / town」は、
   人々が住み・暮らして社会生活を営む場所。

「街:street / downtown」は、
   人々が行き交う商業的な賑わいがある場所。



町・街は、

その場所に係わりを持つ人々によって創り上げられる場所(地域)。


古きも新しきも幾つものドラマが交差し続け、唯一無二の空気感を醸し出し、
タペストリーのような熟成された歴史の香りが自然と風に乗り流れる場所。


戦後直後の日本でも同じように違和感を覚えた人がいたのだろうか。



                1995年(平成7年)1月17日
     阪神・淡路大震災が起きた。

 2011年(平成23年)3月11日
     東日本大震災が起きた。

 2022年(令和4年)2月24日
                    ロシアによるウクライナ侵攻が起きた。



茅ヶ崎の町・街も海も随分と変わり、
想い出の中にある姿と出会うことはもう出来ない。
それでも、人々が行き交い歴史を創り出していれば町・街が死ぬことはない。


幾つもの想い出が生まれた町・街。
もう少しだけ月日が流れたら、神戸と福島に行き、
途切れていた時間を今に繋げてみようと思っている。


それは各地への癒しのような旅ではなく、
自分の人生の軌跡を振り返るための旅となるのだろうと思う。


後輩夫婦が素敵だったといった神戸の地を訪れ、
改めて何を感じるのかを楽しみに、
幾重もの息吹が流れ続けた町・街に立ち、
新しい風に吹かれることをこれからの人生の愉しみのひとつにしようと思う。


過ぎた日を懐かしむことは大切ながら、あの日の町・街に戻り、
時の流れを噛み締めながらも「未来」を感じられれば素敵だと思う。


開け放った窓からそよぐ茅ヶ崎の風。

新婚夫婦の二人が感じた町・街のお土産話に時を繋がれ、
あの日、確かに吹き抜けていった風の姿を探し続けていたのだ。


あの日と今を繋げてくれる新しい風に出会うために ...










笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!