国の親の顔が見てみたいぞ


「ボンタ飴とあんず棒とサイコロキャラメル」を手土産代わりに持って来てくれた、後輩の波乗り仲間の高校生の息子に「このチョイスはなで?」と尋ねると、「レトロチックだったから似合うと思って」と答えたので、二本指で恐怖のデコピンを無言で食らわし、大人の反撃をしてやったのでした。

父親の後輩と一緒に遊びに来ることは稀で、ひとりで遊びに来ては家中(冷蔵庫の中まで)物色し、魚肉ソーセージを頬張りながら、CDラックからジャケ選択した盤をターンテーブルに乗せ、お気に入りの楽曲でなければ直ぐにスキップし、雰囲気が気に入ればボリュームアップでステレオを鳴らし、隣の書棚からCDと同じようにランダムに書籍を手にして、眺め続けるのが遊びにやってきた時の奴のルーティンなのでした。

その日の気分にフィットする何かがないとベランダに出て、潮周りと風向きの確認と烏帽子岩に当たるうねりの状況を眺めては波状況を推察して、急いで自宅に帰る時もあれば、「珈琲飲みたいっす」と微塵の遠慮も無くリクエストをしてくるのでした。

そしてもう一つのいつものルーティンは、気に入ったモノがなにかあれば、「借ります」と言って、服・CD・書籍・小物 etc. を持って帰り、「返す」ということを忘れてくれていることなのですが、ハワイで買った9'6のロングボードは既に奴のモノになるなかで、帰りには「いい加減にギターだけは返せよ」がボクの口癖のようにもなっていました。

家に来る時の手土産と、数年経って突然気味に貸していたことも忘れる程の懐かしいCDを持って来ては「返しておきます」とラックに戻す姿は相変わらずで、「オレがなにか可笑しなことしても、オヤジが後輩だから親の顔が見てみたいって言えないっすよね」と悪態を吐いては、ボクに無言のデコピン返しをされるのもいつものことなのでした。


「呼吸困難」ってどんな感じなの?


奴の高校はスポーツ活動が盛んで、スポーツ特待生として県外からも優秀な学生を招致をして、入学した生徒が何人もいました。
彼等は、この1年間地元・親元に帰ることも出来ずにいるのだと話してくれたことがありました。

「寂しいだろうな」とひとり言を漏らすと「毎晩、ビデオチャットとかを両親とやってて、実家にいた時よりも仲が良くなったって言ってたよ」と返され、これもまた時代なのかと、妙な感慨に耽ったりしてしまったのでした。

いつもなら遊びに来て直ぐにボク部屋に籠るのに、リビングで珈琲のおかわりを頼んできた奴に「何かあったか?」と尋ねると、ボクの病気の体調変化のことを教えてくれと神妙な面持ちで言ってきたのでした。

はじめて倒れてから、緊急手術と原因究明の入院と本手術、術後の経過状況から繰り返した再入院と今に至るまで全てを黙って聞いていたのですが「呼吸困難ってどんな感じなの?」と真顔で聞いてきたので、「でかい波に乗ってパーリング(板から落ちる)して、海面に叩きつけられながら海底に引きづり込まれ、上下左右からグリグリの水圧で身体折れそうになり、なんとか落ち着いて明るく見える海面を水中から眺めて向かおうとするも、呼吸が出来ないばかりか海水を飲み込み気絶寸前になって消えそうになる、あの感じ」と結構真剣に話すと、「それサーファーにしか分かんねーじゃん」と言いやがったのでした。

予想外の角度からのお叱りの言葉に「ほげ・・・」としていると、クラスのワークショップ(?)でコロナを考えてみようというのがあり、仲間とあれこれ話す中で「呼吸困難ってどんな感じなんだろうな?」となり、そこで討議が中断し、先生にも聞いたらしいのですが、広辞苑の言葉の説明みたいな回答で要領を得ず、コロナに罹患した場合の呼吸困難な状態というのが具体的にどんな状況になるのかを知りたいとなったことが判明したのでした。


3度の走馬灯をみた「呼吸困難」体験


ボクの入院前の話しと、眠れず、日常行動もめまいでままならず、呼吸不全により身体に酸素が行き渡らない状況のあれこれ、その段階での肺のレントゲンの真っ白な状況や意識障害を起こす寸前のタイトロープ上の感覚的な話し etc. あの頃、身体・意識に起きていた全てをありのままに奴に伝えると、アンチテーゼのシュプレヒコールを叫ぶバンクシーの人物のように人生の不条理に怒りを覚えたような表情を浮かべたのでした。

「ワークショップの友達にどんな風に話したら「呼吸困難」な状態を理解して貰えるかな?」と言われ、呼吸困難の模擬体験かよ・・・と悩みつつ、「通気性の悪い安いマスクって呼吸しづらいだろ?あんな感じのイメージなんだけどな」と言うと、完全に物足りなそうな表情を浮かべたので、ならこれでどうだ!と以下を話し、実際に奴もやってみて、これなら友達も理解してくれると、はじめて笑顔が浮かんだのでした。


人工的に「呼吸困難」の体験をしてみる

①深呼吸を行い、息を吸い込んだら肺一杯にして息を止める。
②限界になったら、ゆっくり少しだけ息を吐きだし、吐き出した分だけ息を吸う。
③その状態をキープし、同じ浅い呼吸を何度か繰り返して行ってみる。
④その状態で思考・行動がどうかに意識し、感情を踏まえてみる。

※注意:何度もやるのは身体に良くないので絶対に止めて頂きつつ、簡易体験によりコロナ罹患者の方々の呼吸状況を察っして理解するためのひとつの疑似体験としてのみの実施として下さい。


己で守り抜く命


命と経済のバランスといいつつ、結果状況の総論的には、命軽視の状況にあると私見を抱き、政府の対応は物足りないと感じています(多様な見解はあると思います)。

各地ロックダウンに否定的と言いつつも諸外国との一線は入れる状況もあり、グローバルとアイデンティティとは何なのか、国や稚拙なマネジメントにより自ら守れぬ命や奪われかねない命とは何なのか、自己責任と公の社会保障とは何なのか、オリンピックは素晴らしいものだと思いつつ、他人の命に責任を持たぬがゆえの関係者の多々の発言の違和感の正体とは何なのか etc.

「世の中は「命」だけ考えていればよい程、単純なものではない」などと言われそうです。

複雑に考えて命が救われるならにべもなく従います。
命を守ることを目的にした施策ではなく、命を手段とした施策が練られ、偽善を纏ったひとの振りをした「大人もどき」により、自分・家族・仲間の命が脅かされるのがとても嫌なのです。

自分の命を自分で守り切れぬのが正しい社会の姿なのか・・・ボクの考えが臆病な極論で間違いなのか・・・命の危機を隠したような平和の祭典の平和の意味とは何なのか etc.


コロナの脅威に打ち勝つ時が来ると信じています。
その時に未来を背負う子供たちにしっかりとした説明をして欲しいのです。
正解は誰にも分らなかっただろうなかにあり、どのように判断と行動を行ったのか。
その検証と事実継承が次世代の命を守るための財産になると信じて止みません。


「社会全体が呼吸困難な状態になっていちゃぁダメですよねぇ」

何気なく呟かれた奴の言葉が、自然死でさえ不安で怖くてプルプルしているのに、公の力の前に消えていきそうな小さな命のともし火の揺れを感じ、深く心に突き刺ささったのでした。









笑顔の行方を見つめて

all written by  Career wing  T.Yoshida@ponyo




素敵な笑顔溢れる1日でありますように!