価格という言葉は静かにに崩壊していくようだ。


「あたい」という言葉があります。
その言葉には 「価格」「価値」 などの意味があります。


「値」の「直」という字には「まっすぐ」「まとも」といった意味があるそうです。

私たちは「まとも」を感じる感覚が長年にわたり麻痺させられている。


すべて安ければ良いという風潮の中、高速バスの悲惨な事故などが起きていることは

周知の事実である。昨日のホテル火災も価格の安さを売りにしていた。

結果、何人もの命を奪う結果となった。


異常なまでの安さの背後には、それを支えている人間が必ず存在しているし、関与している。

その、圧倒的に安い金額を実現させるが為に、必要なシステムが決定的に欠落する。


価格という数字の向こう側を私たちは見抜かなければならない。
















幼少期の頃、家庭に黒電話が1台あるのが一般的な風景でした。

たとえば、私の友人から電話があり、それを母親が最初にとった場合は

「○○君から電話よ」と言われ

母親から受話器を受け取り自分の手にとったものでした。

その行為は、実は非常に大切なことだったのではないか、と思うのです。

誰々から電話があったということを、親は知る事ができ、友人関係を

知る事ができていた、ということも一つあげられます。

モラルという側面から考えた場合でも、非常識な時間にこちらの都合もおかまいなしに 電話のベルが鳴ることもありません。

現代の、常識やコミュニーケーションが欠落した要因の一つが、個人が携帯を持つということに関連するのではないかと仮定します。(持たざるを得ない状況を造られているとも言えます)

そうした現代から黒電話という存在を考えると、家族の関係をうまく保ちながら、家族内のコミュニケーションを自然に促したり、常識を保たなければいけないと思わせた装置の一つではなかったのかと考えるからです。

もう少し深く思考すると、携帯電話の普及は人々を孤独に向かわせたのではないかと考えるのです。

その孤独というのは、親が子供の交友関係を知ることができない。

一日中、携帯やスマホの画面に向かってしまい、非現実な世界に飲み込まれてしまう子供たち。

といった意味での孤独です。

ノスタルジーでこのような事を考える訳ではありません。人間が健全な生活を営む上で、大事なものを無くしてしまったものが、そこにあるように感じるのです。


ちなみに、黒電話のデザインはアメリカの工業デザイナー ヘンリー・ドレイファス のデザインを真似たものです。



















子供の頃 ママは言った

「生まれた時からみんなスーパースターよ」

私には私なりの美しさがある

他の道なんてない

一文無しでも成功者でも

ブラックでもホワイトでも ベージュでも

チョーラ(混血)の家系でも

レバノン人でも東洋人でも

障害のせいで仲間はずれにされても

いじめられ からかわれても

自分自身を受け入れよう

私はこうなる運命のもとに生まれて来た




と言うような内容の歌 BORN THIS WAY



今朝、クルマで通勤中、あの体の不自由な少年とすれ違った。

一瞬 眼が合ったような気がしたのだけど…

いつものように、体を左右に大きく揺らしながらゆっくりと坂を下っていた。

今日はスーツを着ていた。

少年と思っていたのは勘違いだったのだろうか。

私は彼が下って行く姿をルームミラー越しに見送った。

就活だったのかなと帰宅して、ふっと考えた。





彼と話がしてみたいなと思う。

「こんな歌があるの知ってる?」って

「私も、首に麻酔を打ちながら痛みを誤摩化して、毎日仕事をしていて辛くてね」

そんな話をすると、なんて言われるのだろか…

少なくとも、彼は、「全てを受け入れて生きている」って答えてくれそうに思う。




明日又彼に会えるだろうか。