さよならイルフィーコ パート2 | 松本真の未来創造提案書

松本真の未来創造提案書

南京都の風雲児、表現者松本が語る、
未来に対する提案書的ブログ

なぜ、イルフィーコは閉店するに至ったのか?

このことを紐解くのに2017年はあまりにも特別な1年であり、

この一年を総括せずには本質をつかむことはできません。

 

端的いうと、極めて流れの悪い一年であったことは疑いようがないわけでありますが、

その中心的な要素はやはり人事・人材の問題が少なくありません。

 

4月に中島が退職したのは皆様もご承知の通りですが、やはりあの時点ですでに

ピッツェリアイルフィーコの多くのアイデンティティは失われたといっても過言ではありません。

即ち、ピッツェリアイルフィーコは、中島啓雅の為に作られたお店であり、中島啓雅の為のお店であったこと

はもうどう転んでも疑いようのない事実です。

だからといって、彼が去ることになったことを後悔することも、失敗であったと思うこともありません。

ひとえに、自分の経営者としての実力不足であり、人生の学びであったと捉えております。

それでも続けてピッツェリアイルフィーコを運営できたのは、そのあとを引き継ぐ谷口将司の存在があったからであり、

彼がいる以上、その存在意義は変わらずそこにあったのでしょう。

しかし彼も職人。くすぶるものを抑え切れず、悩みに悩んだ末イタリア行きを決意したのが11月。

私も職人の端くれ、将来有望な若人の決断を無碍にすることはできませんので、苦渋ながら承認しました。

 

この時点で完全に人員は枯渇。運営が困難な状況に陥りました。

 

そうして、それからさかのぼる事一ヶ月。

人生を揺るがすようなアクシデントに見舞われていた私は、もう完全にヘロヘロのグロッキー状態、

体にも異変をきたしながら、かろうじて営業を続けていました。

 

人生を揺るがすアクシデント。

これは私が運営する食パン専門店プルンニャにまつわる話です。

究極の食パンを作ろうと3年前に立ち上げたプルンニャは、様々な方のご支援もあり

順調にそのブランド力を向上してきました。

 

現状の店舗では、手狭感もあり新しい展開も考えにくかったため、

移転を決意したのが8月。同地域で本当に素晴らしい物件を見つけることが出来ました。

 

確かに難しい交渉ではありました。地主さんとの直接交渉・不動産仲介なし。

しかし時間をかけ数か月間に渡り関係性を作り、説明を重さねながら同時に銀行との金策も進め、

設計や設備の準備交渉も進み、すべての項目がそろい、銀行の融資が決済し、

あとは物件の契約書にハンコを押すだけ、、、という段階で。

 

全てがご破算になりました。理由も全くわからず。

ただただ「お前には貸さん」と。

 

ほんまに目の前が真っ暗になりましたね。あんな経験はしたことがなかった。

正直ほんまに玄関先で土下座してお願いしましたもん。

けれど、駄目でした。3日前まで笑顔で話し合ってた地主さんが、

突如として別人に代わり、完全に交渉を白紙にするというとんでもない事態に、

頭が混乱しましたね。マジで。

なんでこうなったのか?が全く分からなかったし、今でも全くわかっていません。

正直裁判も考えたけど、勝ち目はなかったし、たとえ勝ったとしても

そんな状態の物件で店舗運営なんてできるはずもありませんから、

もうこれは涙をのむよりほかなかった。

 

地元の有志の方にも、ほうぼうご相談しましたが、

「まっちゃん、あの人はやめとけ」っていわれる始末で、

自分の経営能力・判断能力のなさに愕然としましたね。

 

何よりも、一緒にいろんな夢を語っていたスタッフのみんな、とりわけパン職人の橋本には

大変につらい思いをさせてしまい、ここは本当に心が苦しかったし、業者さんをはじめ

多くの方の時間を無駄に使ってしまったことに、本当に申し訳ない思いでした。

 

そうして、その数日後、1年間以上準備してきた地域のビッグイベントが台風で中止になり、

プロデュースする予定の洋食店の研修中のスタッフが、立つ鳥跡を濁しまくって姿をくらまし。

 

もうもはや、立ってられましぇーん状態で、谷口のイタリア行きの決意を聞き、

というよりもそんなとんでもない負のスパイラルだからこそ、彼の決断もそこに至ったわけで。

 

ここである意味腹をくくりましたね。

 

「よし!終ろう!!」と。

 

今の俺では、もう何も作れないし得られない。

 

奇しくもこの数日前、夢であった「城陽ワイン」のファーストビンテージの完成を迎え、

このプロジェクトは絶対にさらなる発展を目指さないとと思っていた感情もあり、

俺の一幕はここで終わりだと。

イルフィーコ編はここで終了だと完全に認識したのです。

 

今の俺のやり方では、すべてが完結できないと。

勢いだけでやってきたつけが、今まさに一気にやってきたと。

 

僕はイルフィーコを始めた当初、「職人の集団によるスペシャルな展開」が目標でした。

色の違う様々な店舗が、生まれ故郷の城陽に点在し、城陽においてイルフィーコグループが

常に前衛的な文化提唱をしていくんだという気概でただひたすらに邁進してきた。

その方向性は、今でも素晴らしいと思っているし、その考えは一切間違えはなかったと感じています。

 

しかし僕には、共有する言葉が圧倒的に足りなかった。

結果的に言うと、ほとんどのスタッフがイルフィーコを去り、

自分のチャレンジにベクトルを向けた。

 

今、御池で話題のお店になったfudoの入江は、

「松本シェフがいてくれたから、今の自分の道が見えた」と言ってくれる。

 

井村だって、太田だって、山上だって、卒業して活躍するメンバーは口をそろえて

そうやってイルフィーコの存在を今でも強く認めてくれる。

ある意味において、輩出するという任務を遂行した立派なお店であったと思う。

その部分において、少なからず自慢したい思いももちろんある。

 

けれど、

 

結果として「松本の夢を共に達成しよう」という仲間はついにイルフィーコでは、

現れなかった。(橋本がそうであってほしいとすがる思い(笑))

これが、今の僕の実力で、それが今の現実であることをまざまざと見せつけられた。

 

多分ね。同じような現状で同じような難しい感情になっている経営者の方、

職人の方、少なくないんじゃないかな。

もし、僕と同じような境遇におられる方に、

僕の経験則から言葉を贈れるとしたら。

 

「あなたの今の実力はそれです。そうして、あなたがそこにぶつかったのは、

あなたが死ぬ気でチャレンジし続けたからです。チャレンジし続けた人間には

必ず人より多くの傷があって、人より多くの涙の跡がある。

歩みを止めたら、それで終わり。雨が降ろうが風が吹こうが進みましょう。

知らぬ間に傷はふさがって、それがあなたの勲章になるはずだから。」

 

ってこと。

 

人にできない経験をたくさんできたことに感謝。

そうして携わっていただいたすべての人に感謝して。

次に進もうと思ってます。

 

さて、次回は。。。

ほんでお前なにすんのん!!??

 

って話。

 

面白くなってきましたねぇ(笑)

 

ではまた明日。

アディオス。