Body Voice 加藤です

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今日のお出掛けは豊洲でした


これから二次会


 

あかーん。

会社のスマホが行方不明(ー_ー;)

もしや畑に落としてきた?

ならば昨日の豪雨で死んだだろうな。

 

いちばんマズイのは無くしてしまうこと。

帰りに農園に寄ってみよう。

 

いろんな事が、

あんた、

もう、

ぼちぼち、

潮どきやない?

とお知らせしてる氣がしないでもない。

 

 

ちゅーことで

船木威徳さんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございますので

↓↓↓

 

  【 人類史上<最良>の時代 】

 

私は、最近、自分を取り巻く「氣」の流れを意識して、

なんといえばよいのか、自然の流れに抵抗したり、

流れを邪魔することがないように、簡単にいえば

日々の、そのときの「流れ」に任せています。

 

ことばでは説明できないのですが、ここしばらく、

「すべてがうまくいっている」という感覚に満たされているので

心に浮かんだり、湧いたりしてくる考えや感覚を

大事にして、食べるものにしても、見るものにしても

その時の「自分の内側と外側のバランス」を

任せていると言えるかもしれません。

 

今日も、仕事の用事はあったのですが、

ちょうど知人の農家の近くを通るので、

遊びに行こうと思いつき、寄ってみたのですが

当の知人のおじさんはおらず。

庭の軒先に、大きな干し柿が下がっていたので

こっそり写真だけを取ってきました。

 

で、仕事の用を終えて、ふと思い出したのは

たしか、このあたりに聖徳太子に関連したお寺があり、

ずっと心のどこかで気になっていたこと。

しかも、ちょうど立ち寄ったコンビニに

そのお寺の収蔵品のレプリカを特別展示している期間を

案内するポスターが貼られていたのです。

 

早速、「聖徳太子絵伝(国指定重要文化財)」を見に

地元の資料館を訪れました。

 

聖徳太子に関するさまざまな評価があることは、

私も随分と関連書物を読んだのですこしは知識があるのですが

ほかにお客さんもいない資料館の部屋で、

常設展示も見ながら、聖徳太子以外のところに

考えが飛んでいくように感じました。

 

その地域の縄文時代、弥生時代ころの発掘物を見ながら、

有名人の興亡の歴史の一端の資料を目にしながら、

感じたことがあります。

 

それは、

 

「私は、いや私たちは、地球の人類史上、

『最高、最良』の時を生きているのではないか?」

 

という不思議な感覚でした。

 

確かに、人間というのは、根底に他者を従わせたい、

支配したい、思うように行動させたいという欲望を持っています。

 

親は子を、子は親を。

夫は妻を、妻は夫を。

教師は、教え子を。生徒や児童らは、先生を。

職場でも、社会でも、世界のすみずみで、

 

決して、強い者は、弱い者を、という上から下に、とは限らず、

弱い者も、強い者を、生き残りをかけて操ろうとします。

コンビニやおもちゃ売り場で駄々をこねている子供も

つまりは、自分の欲望を実現させようとしているのです。

ときに、例えば医療や教育の現場でも、

患者と医師が、学生と教師が、互いに最善と思う考えがずれると

どこかで、自分の考えを相手を受け入れてもらおうとする

「攻防」が見られるものです。

 

そのために、相手の考えを、果ては相手自身を、

まったく自分の思うままに操りたいと考えてしまうものです。

 

確かに、昔もいまも、

社会や世界には、上には上が、想像もできないくらい強い力を

持った存在がいくらもあります。

思想や、宗教、教育から経済、行政も、司法も、

あらゆるところに、そうした強い者たちの恣意的な操作が

及んでいて、つまりは、私たち「大衆」は、抗いがたい洗脳を

受け続けていると、私は小さな時から感じてきました。

 

私は、大衆がほぼ完全に操作されているのは「依存」だと

考えています。

社会のなかのシステム、すなわち、政治であれ、教育であれ、

医療や福祉、金融も、食料や流通であれ、あらゆるシステムに

私たちの「人間性」や「権利」、「自由」をむしばむものが

紛れ込んできたときに感じる違和感をいだいたときに

 

私たちが、即座に感じてしまう(ことのある)感覚。

 

『 でも、しょうがない・・・。 』

 

という想い。あきらめ。無気力、終了感(と私は呼びます)。

これらは、ほかでもない私たち自身が、私たちを

コントロールしようとしている「力」に「依存」していることの

証左にほかならないのです。

 

いや、でも。

世界のあちこちで起こった争いも、誰がどんなふうに計画し

いわば、出来レースのように起こされ、だれが儲けているか。

病気を治すはずの薬が病気を作り出し、本来の癒しとは

まるでほど遠い場所で、人々が命を奪われているか。

本来、「価値の交換ツール」である紙幣も、だれが印刷をし

私たちの大切な「働き」の意味はどこに消えていっているのか。

 

こうした、事実の数々が、すこし調べて学べば、

簡単に手に入る時代に生きていることも事実ではないか。

権力者、支配者に従うのはいやだけれど、でも、

「助けてもらわないと生きていけない・・・」、果ては、

 

「(権力にではなく)自分は、よき社会人であるために

(明確な法令ではなくても)大多数と同じことをするのだ」

という生き方、考え方が、本当に大切な自分のいのちを無視した

馬鹿げた、奇妙なものだということに

気づく人たちが、現代ほど増えた時代はないのではないか。

 

そんなことを考えながら、資料館を後にして、

聖徳太子絵伝の所蔵元であるお寺に自然に向かっていました。

 

だれもいない境内。

だれもいないお堂のなか。

 

すばらしくおだやかな陽気のもと、

それでもひんやりとした空気で満たされた本堂に座り、

 

「私も、私たちも、最良の時代を生きているんだ」という

晴れやかな想いと、そして、そこで生きている限り、

この時代にあって、どのように「在り」、なにを「行い」、

どこを目指していかねばならないかを考える時を、

どこまでも自然な「氣」の流れのなか、持てました。

 

(ふなきたけのり 2023/11/04)

 

 

 

 

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