Body Voice 加藤です
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知る=正解

ではない


>「テレビじゃなんにも言ってないよ」

ホントに良く言われたよアセアセ



ワクチンが危険だから止めたほうがいい、
ワクチン副作用で何人もなくなっでるよ、
と言うと
「テレビじゃなんにも言ってないよ」
と何回言われたけとか(;´Д`)


 ちゅーことで

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございますか

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【知るとは、正解を知ることではない】

この数年で、人間がいかにメディア操作に弱いのかということを、私たちは嫌というほど見せつけられてきた。いかに筋の通っていないことであれ、自分自身を破壊するようなことであれ、メディアで繰り返し言われていると、ほとんどの人は信じてしまって、他の考え方がまったくできない状態になってしまうのだ。

この頃、「ゼレンスキーのケース」という4部作のドイツ語のドキュメンタリーがネット公開されて、そこではウクライナが10年前からどのように意識操作されていたのかということが示されていた。現ウクライナ大統領は、何年も前から西側グローバリストの言うなりにウクライナを軍国主義化するべく、仕立てられた工作員だったのだ。このドキュメンタリーを見ると、そのことがよくわかる。

若いコメディアンを大統領に仕立て上げるために、彼を主役にしたテレビドラマのシリーズが造られさえした。若い教師が大統領になって国を改革するという話なのだけれど、政治家としての経歴もないコメディアンが大統領に選ばれたのは、このドラマの役を国民が投影するように仕向けられていたからだったらしい。この若いコメディアンが大統領になってから、彼は西側グローバリストの言うなりにセリフを言い、演技してきたのだ。そして、彼は政府に批判的なメディアを禁止してしまい、国民が政府の望むような情報しか見聞きしないようにしてしまった。多くの人は、選挙前に公約していたこととは、逆のことをやっていることに気がついたけれど、政権が宣伝する通りに、ロシア人が野蛮で劣った人々だと信じ込んでしまった人も少なくなかった。

ドキュメンタリーの第4部には、ウクライナ西部の人たちに、ロシア人をどう思うかと聞いてまわっているインタビューが出てくる。多くの人は、ロシア人はウクライナ人とは違う民族だ、好感が持てない、野蛮な人たちだ、と答えていた。もともとウクライナ人もロシア人も同じ民族で、同じ文化を持った人たちなのだ。ウクライナ語は、ロシア語の方言に過ぎない。ところが、10年以上もウクライナ人はロシア人と違って、優秀な民族だ、ロシア人は野蛮で残虐な民族だ、と言われ続けていると、ほとんどの人たちは、それをそのままに信じてしまうのだ。「ロシア系の人たちには、何か違和感がある」とか答えていたウクライナ人たちの表情は、正直な思いを語っているようには見えず、何かに憑かれた人のように思えた。

この人たちは、実際のロシア人を見て、そのような印象を持ったわけではないのだと思う。メディアで繰り返し言われることを、そのままに言っているだけなのだ。実際に知っているロシア系のウクライナ人と比べて、本当にウクライナ人が優等だと思っているわけではなくて、そう考えるべきだと植えつけられたから、そう思い込んでいるだけのことだ。こういう人たちに、現実に見たロシア系の人たちのどこがどうなのでそう思うのか、とか問い詰めて、自分で考えるように仕向けたら、おそらくは思考停止して拒絶反応をおこすことになるのだろう。

2020年に奇妙なパンデミックが起こったときも、自分で現実を見て考えていた人たちは、パンデミックなど起こってはいないことをちゃんと知っていた。まわりで誰も普通の風邪以上の病気になっている人などいなかったからだ。それでも、病院が重症の病人で溢れかえっているさまを、メディアで繰り返し見せられているうち、多くの人は本当に恐ろしいパンデミックが起こっているのだと信じ込んでしまった。こういう人たちに、現実に病人がいないのはどういうことなのかと、考えるように仕向けたら、ほとんどの場合、拒絶反応が返ってくるだけだった。メディアを疑うなど恐ろしいことだ、という反応で、それ以上、思考を他に向けることは、ほとんど不可能だった。

これは、何が正しいかということではなく、どう考えるべきなのかということを、植えつけられてしまっている人の反応なのだと思う。何が正しいのかという話なら、本当に正しいのかどうかということを検証することもできるだろうけれど、どう考えるのが正しいということを植えつけられてしまっている人は、そこから外れる考えに意識を向けさせられそうになると、拒絶反応を起こす。そして、そこで思考停止状態になるのだ。他の考えには、一切意識を向けないという姿勢になる。

私たちは、子供の頃から、何が正しいかを自分で検証するようなことは教えられず、ただどう考えるのが正しいのかということを植えつけて、条件づけられるような教育を受けてきたのだ。どんな質問にも、答えはただ一つの正しい答えがあるだけで、それ以外のものは間違っているということになっていた。それで私たちは、「正しい答え」を素早く正確に答えるように、訓練されてきたのだ。実際、それが学校教育というものだった。「正しい答え」以外の答えを出したら、それは間違いだといって怒られたり、バカだと笑われたりすることになる。そうやって、「正しい答え」だけが唯一の正しい答えなのだということを、無意識に入り込むまで条件づけられていくのだ。

ソ連時代のコメディ映画について書いた投稿に、長すぎるというコメントを書いてきた人がいて、その人は、論旨だけを書けば、十分の一で済むだろうと言っていた。それだと映画のディテールなどはすべて削って、結論だけでいいということになるのだけれど、それでは、読んだ人が自分で考える余地がなくなってしまうことになる。そういう人は、自分で情報を見て、自分で考えるというプロセスを省略して、すばやく答えだけを知りたいのだろう。考えるプロセスは重要ではなく、答えだけが重要なのだ。

ソクラテスは、当時のギリシャで、レトリックで人を操作しようとする人たちに対抗して、人々に本当にそう思うのかと、自分で考えるように仕向けていた。古代ギリシャの民主制の時代のことだったけれど、当時からかっこいい言葉で筋の通らないことを人々に信じさせることが、流行していたのだ。そうやって、人々を戦争に駆り立てていったり、政敵を攻撃させたりすることも行われていた。ソクラテスは、そうした中で、きれいな言葉に惑わされている人たちに、どうしてそう思うのか、それは本当なのか、と問いかけて、自分で考えて判断することを教えていた。

この自分で考えるプロセスのことを、ソクラテスはフィロソフィア、愛知、と呼んだのだ。知を愛すること。それは、正解を知ることではない。知るプロセスを愛することを言っている。与えられた答えを信じることではなくて、自分で現実を見て、自分で現実の地図を描いていくようなことだと言える。正確かどうかということではないのだ。どこに何があって、どうなっているのかを、自分が見当をつけるための地図だ。重要なのは、どちらが正しいのかという直線的な思考ではなくて、地図のように平面的な思考へと、意識を広げていくことだ。

今、大多数の人たちが、メディアが繰り返し言うことを信じ込んで思考停止の状態になっているのは、つまりはこの地図のような平面的な思考が壊されていて、白か黒かの直線的な思考にされてしまっているからなのだ。正しい答えはたった一つしかなく、それを言えないのは、悪人かバカかのどちらかだということになっている。それで多くの人は、その「正しい答え」が本当に正しいのかを、現実の事象から検証するべきだと言われると、拒絶反応を起こす。「正しい答え」を疑うなんて、悪人かバカかのどちらかだからだ。

こんなに多くの人々が思考停止状態になって、メディアが言うことを何でもかんでも信じているとは、実に恐ろしい状況なのだけれど、一体人間はこんなに愚かで暗示にかかりやすい生き物なのだろうか? しかし、生まれたばかりの子供は、誰もが天才じゃないかと思うような賢いオーラを出している。言葉を話すわけではないけれど、まわりの現実をしっかりと見て、反応しているのがわかる。だけど、そんな子供でも、3歳くらいになると、直線思考に条件づけられてしまうようなのだ。怒られるのか怒られないのかとか、自分の得になるかならないかといったことでしか、考えなくなってしまうかのようだ。

実際、今の子供たちは、絶えず大人に監視されていて、自分で現実を見て判断するような機会が与えられない状態で育っていく。何かしようとすれば、たちどころにいいか悪いかを言われて、それ以上、自分で経験する余地もない。それで子供たちは、大人がどう考えるのかで判断して、自分で考えて判断したりはしなくなってしまうのだ。そういう子供たちは、自分の地図を持っていない。大人が与えるいいか悪いかがあるだけだ。

そのようにして育ってきているからこそ、私たちは容易にメディアの操作に支配されてしまうのだろう。あのウクライナ西部の人たちのように、明らかに自分たちのためにならない、自己破壊的でさえある考えにすっかり支配されてしまって、考え直そうともしなくなっている。そうやって80年前にも、人々は戦争に駆り立てられていったのだ。そして今、そうした心理メカニズムがわかった今でも、やはり止められないような状態になっている。

だけど、こんなに思考停止の状態になっている人たちでも、3歳くらいまでの頃には、やはり直線思考に条件づけられていない、賢く柔軟な意識を持っていたはずなのだ。それを思えば、人間はけっして愚かな生き物ではない。もしもすべての子供たちが、あの賢さのままに大人になっていけるならば、私たちはけっしてこんな風に支配されてはおらず、創造的に考えて、たがいに違いを尊重し合うことができていただろう。

しかし、意識の領域では、過去はけっして失われてはいない。一度持っていたものならば、その記憶はどこかに必ず残っているはずなのだ。それを取り戻すことで、私たちは本当に新しい世界を始めていくことができるのだろう。新しい世代を待つまでもなく、今、それを取り戻すべきなのだ。

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画像は、庭の洋梨の花。ちょうど満開になったところ。






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