Body Voice 加藤です
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抜粋転載させていただきます

自分に制限をかけているのは自分だったりする時もありますね

理不尽なことがいっぱいあります。

今も。


そんな話を先日遊びに来ていた元事務員Y子とか現事務員としていたら、

なんでそれを笑って話せると?

と言われてしまった。

(;´∀`)


なんでと言われても、いちいち頭にこなくなったからしょーがない。


え?




ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

⇩⇩⇩

 【KALA ゆるすとは、自分自身を制限から解放すること】


フナの第2原則KALA(カラ)は、ハワイ語で「ゆるす」を意味する普通の言葉だけれど、フナでは、KALAとは、あらゆる制限を外して、すべてのものとの連続性を知ることを言っている。だから、「境界はない、限界はない」という風に解釈されている。


私たちは、ここまでは正しいけれどそれ以外は悪い、とか、ここまでは現実的だけど、それ以上は現実的ではない、とか、ここまでは可能だけれど、これ以上は不可能だ、とかいう風に、あらゆるものに限界を設けて、それ以上の領域はまるで存在しないかのように生きている。宇宙には無限の可能性があるのに、ごく限られた狭い領域だけに生きるのが、まともな人のすることで、それが社会に適応できる立派な大人であるというように、多くの人は考えている。


つまりは、それが現代社会が作り出しているマトリックスのようなもので、その中で生きる私たちは、マトリックスの外は存在しないと思い込まされて、覗き込むことさえ、してはいけないように思っている。そこから出ていこうとする人は、悪い人、おかしな人、まともでない人、あるいは社会にとって危険な人物であるとさえ考えられている。まさにそうした禁忌の感覚が意図的に作られていて、それが私たちをマトリックスの外へ出ていかないようにしている電気柵のようなものだと言える。


数秘の6は、異なる世界と出会うことで、それまでの自分が消え去って、新しく生まれ変わる力を表している。だから、タロット大アルカナの6番は、「恋人たち」であり、マヤ暦の6番目の太陽の紋章は「世界の橋渡し」だ。これは、異なる世界と出会って、そこに繋がりを作ること、それによって、それまでの自分が一度死んで、新たに生まれ変わるようなプロセスを示している。


(中略)


世界が大きく転換しようとしている今だからこそ、起こることなのだと思う。異なる世界に出会って、新しい可能性に開けるとき、私たちは実はこの世界では何がすべて可能なのかを知ることになる。そして、まさにそれによって、私たちは古い構造を手放して、まだ存在していない新しい世界を作っていこうとする。


フナの第2原則KALAとは、こうした意味で、制限を解いて無限の可能性に開かれる力のことを言っている。私たちは、誰かをゆるすと言ったとき、自分が傷つくようなことをされることを、ゆるさなければいけないように思ってしまうのだけれど、これはKALAとはまさに反対のことだ。相手からは制限を外すけれど、自分は我慢させて、檻の中に閉じ込めるようなことをしているからだ。


KALAの力を経験しようと思ったら、そうではなくて、まず自分自身を完全に許さなければならない。

私たちは、自分が外の世界に対して感じていることを、どう感じるのはよくて、どう感じるのは悪い、と感情さえも制限をつけて閉じ込めている。これがつまり、「ネガティブな感情」と言われるもので、これがマトリックスから出ていくことを妨げている電気柵のようなものだと言える。


それで、自分が「ネガティブな感情」だと思って禁じている感覚を、自分自身に対して完全にゆるしてみるというワークを皆でやった。怒りとか、憎しみとか、悲しみ、恐怖、絶望、といった感情を、私たちは「ネガティブな感情」と呼んで、そうした感情を抑圧したり、自分がそうした感情を感じていることに、罪の意識を感じていたりする。しかし、どんな感情でも、すべては自分を守るため、自分の自由を守るために自然に湧いてくる。嫌な感情が湧いてくるのは、何か現実に反応しなければならないということ、何かを変える必要があるということを示している。だから、本来ならば、感情が湧き上がってくるままに反応していれば、状況を変える行動が自然に出てくるはずだ。恐いと感じたら、全速力で逃げているし、怒りを感じたら、怒鳴るなり相手を威嚇するなり、攻撃するなりしているだろう。それで、相手は人の自由を侵すような行動をやめるだろうし、それで問題は消えてなくなることになる。


どんな感情でも、完全にゆるしてみると、すべては愛に変わる。これは、理屈ではわからないかもしれないけれど、やってみるとわかる。怒りを溜めている人に、「怒ってもいい。それが当たり前なんだから。そんな目に遭ったら、怒るのは当たり前だよ」と自分に言ってもらうと、それでガンガン怒り出す人はまずいない。ほとんどの場合、「怒っていいんだ! ああよかった。ホッとした」と言って、喜んで笑い始める。何故かといって、怒りの力の本質は、創造性であり、喜びから何か新しいことをしようとする力だからなのだ。これは、肝臓の力、火の要素、陽の力だ。この創造の力が開花する自由を奪われたとき、怒りの感情が湧き起こる。これは、創造の力を生きるための自由を作り出すための、本能的な衝動なのだ。だから、怒りの感情は、自分に対してゆるせればゆるせるほど、攻撃性として出るのではなく、喜びの力、創造力になって表現される。


現代に生きる私たちは、ほとんどが子供の頃に、親に守られなかったり、虐待といえるような扱いをされて育ってきている。そもそも親も守られて愛されて育ってきていなくて、子供の愛し方も知らないことが多い。その場合、親を責めてもしようがないとは言え、そのような扱いを受けたことで、怒りや悲しみや絶望やありとある感情を、私たちは抑圧してきている。感情を抑圧するとはつまり、そうしたひどい扱いを受けることもしかたがないと諦めること、認めること、自分に対して許してしまうことなのだ。


そして、まさにそうしたことが、私たちがマトリックスの外へ出ていかないようにする強制力になっている。そうすることで、私たちは、自分自身のインナーチャイルドを自分で檻に閉じ込めるのだ。だから、人々を支配しておこうとする人たちは、生まれたばかりの子供を親から切り離して一人にしたり、母乳でなく哺乳瓶で粉ミルクを飲ませたり、ある意味、生命の危険を感じさせるようなことをあえてするのだと思う。事実そうしたことで、インナーチャイルドは閉じ込められてしまい、人の顔色をうかがって、相手が望むことしかしないようになったり、あるいは逆に反逆するようなことばかりにエネルギーを使うようになる。


生まれたばかりの子供を見ると、どの子も天才のように思えるし、神秘的とも言える賢さを持っているように見える。だけど、ほとんどの子は、ある時点から普通の子供になってしまうのだ。多くの場合、それは何かのワクチンの後だ。保育器に入れられているうちに、そうなってしまう子もいる。あれを見ていると、本来の私たちは、誰でも天才的な力を持っていて、感情のバランス力も備え、賢く生きていく力を持っているのじゃないかと思う。しかし、ほとんどの場合、それが子供の頃に破壊されているのだ。


今、世界全体が狂ったような状況になっていて、いったい何をどうすればいいのかもわからないのだけれど、とにかく今、怒ったり絶望したりしているインナーチャイルドに、「こんな扱いを子供が受けることは、もうゆるさない。ゆるしてはいけない」と言って、ありのままの感情をすべてゆるして認めてみるべきだ。そうなったとき、私たちのインナーチャイルドは、ようやくこんな世界を変える行動に出ることになるだろう。それというのも、私たちのインナーチャイルドは、すべての感情であると同時に、潜在意識であり、身体意識であり、宇宙意識や多次元的な意識とも、境なく繋がっているからなのだ。インナーチャイルドにありのままであることをゆるしたとき、インナーチャイルドは多次元的なネットワークや宇宙意識まですべて駆使して、新たな現実を切り拓いていく行動に出る。この力は、まさに無限だ。


自分の感情を型にはめることをやめた人は、そうした力のことをよく知っていると思う。あるとき、ふいに思わぬアイディアが降りてきて、思いもよらない行動に出ていたりすることがある。それを自分に許していると、思いもよらないシンクロが起きて、思いもよらない繋がりができ、まるで不思議な力に導かれるように、望んでいたことが実現していったりする。これは、ありのままにあることをゆるされた潜在意識、私たちのインナーチャイルドの力なのだ。


(後略)






 

 

 

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