Body Voice 加藤です

ご訪問いただき、ありがとうございます

プロフィールはこちら⇒ ★push


まぁ、政治家は昔から信用出来ないと思ってますけどね
残念ながら、信用出来ないのは政治家だけじゃなかった…😭

地球温暖化は嘘なので、二酸化炭素を減らす必要など全くないと思っている。

メガソーラーで環境保護とかどう見ても嘘やろってことを堂々と書いているのを見かけるけれど、

森を崩してそこに草木が生えないように除草剤を撒き散らす。

しょくぶつが無い山は保水力が無いので大雨が降れば地盤がゆるんでメガソーラーが倒れたり壊れたりする。

あの中の危険物質が土に浸みて地下水に混ざってしまう。

火事になったらどうやって消すんだろう。

老朽化したときどうやって撤収する気なんだろう。

 

その頃には今の責任者はいないから(たぶん)どうなってもいいと思ってる(たぶん

 

 

 

 

 

ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

↓↓

 

【サステナブルとグローバル】

 

SDGsの話を書いていたら、あれは地球環境が持続可能な開発なのではなくて、開発が持続可能なのだとコメントしてくれた人がいた。実際、SDGsがやっていることを見たら、まさにそうしたことのようだ。

SDGs は、Sustainable Developpment Goalsで、持続可能な開発のための目標ということになっているけれど、そもそも「持続可能 sustainable」と「開発 developpment」というのが、ベクトルが逆方向の概念だ。サステナブルといったら、なるべく元の状態に留まるようにすることを示しているけれど、開発というのは、元の状態を変えることを言う。「持続可能な開発 sustainable developpment」という言葉そのものに、強烈な違和感があるのだ。まったく逆のものが、無理やり一緒に共存させられているような感覚がある。

 

世界経済フォーラムのアジェンダには、よくその手の強烈な矛盾を抱えている表現がある。それがサブリミナルに入り込むパワフルな心理操作になっている。 SDGsのロゴも、色の配置で人を自然の状態から切り離して、操作にかかりやすい状態にするような心理操作が入れ込んであった。直感的に何だか気持ち悪いと感じるのは、だいたいそうだ。そういう感覚がするときは、どこかメッセージにごまかしがある。

どうやら SDGsというのは、地球環境を持続させるためのプロジェクトだと思わせておいて、実はグローバリストの経済成長を持続させるように作られているプロジェクトだということらしい。この奇妙なネーミングは、つまりそれを最初から意図してやっていたということになりそうだ。実際、SDGsがやっていることを見ていたら、それ以外のもののようには思えない。

 

自然環境を保持するには、なるべく近くで生活に必要なものをまかなうようにすればいい。もともと私たち人間は、地球のどこでもそのようにして生きてきたのだ。生活に必要なものは、すべてそこにある。自給自足的な生活をすることは、どこでも可能だ。自給自足でなくても、なるべくその地方でまかなうようにする地産地消でもいい。それが、一番簡単なサステナブルな生活スタイルを作るやり方だ。

 

ところが、経済成長とは、つねに新たな消費を作り出していくことにある。もともと地元にあるもので間に合っていた人たちに、遠くで生産される大量生産品を買わせようとするわけだ。だから、地元にあるものなどはよくないものだとか、害があるとか、ダサいとか貧乏くさいとか、ありとある暗示をかけて、工場で作られる大量生産品が必要だと思わせようとする。それで、それまで地元でできるもので満足していた人たちが、それを使うのをやめて、お金で買う大量生産品に依存するようになる。そうすると、お金を稼がなければならなくなり、自給自足的な生活をやめて、グローバルチェーンの雇い人になってサラリーをもらったりするようになる。それまでは生活に必要なものを得るのに、ほとんどエネルギーなど必要なかったのに、すべてが電力や輸送のための燃料がかかるようになる。すると、自然環境を保持する生活からは遠くなっていく。

 

だから、経済のグローバル化とは、そもそも自然環境を壊す方向にある。人々が自然と共生して生きていたら、グローバリストはお金が稼げないのだ。だから、どうにかして自然と共生した生活から引き離して、お金に依存する生活に切り換えさせようとする。それがまさに、「持続可能な開発」なのだ。すでに飽和状態になった経済の状態で、経済成長を持続させるために、人々をさらに自然との共生から引き離し、それによって自然環境をさらに破壊する方向を持続していこうとするのだ。

 

これは、3年前のパンデミックで起こったことと、どうも似ているようだ。感染症から人々を守ると称して、実際にはその反対のことが行われていた。しかも、感染症を恐れさせることによって、人々をますます不健康にし、感染症にかかりやすい状態にしてしまったのだ。何かを恐れさせることによって、依存状態を作り出し、消費を作り出す。このやり方で、すでに飽和状態になっている社会でも、莫大なお金を動かすことができるわけなのだ。

 

そして今度は、環境破壊を恐れさせて、消費を作り出そうとしているのが、SDGsだということらしい。二酸化炭素の排出を減らすためだといって、税金を投じて、森林を伐採して、太陽光パネルや風力タービンを建設している。石油を燃やす火力発電よりも二酸化炭素を出す量は少なくなるのかもしれないけれど、森林が吸収していた二酸化炭素は減らなくなるのだから、全体として二酸化炭素が増えるのか減るのかわからない。だけど、そもそもSDGsは、全体の二酸化炭素を減らすことなどを目的にしてはいなかったのだ。目的にしているのは、新たな消費を作り出し、グローバル企業に税金を流し続けることだ。だから、何かを建設したり、購入したりすることならやるけれど、森林を増やすようなことはやらないのだ。

 

オランダでは、窒素排出を減らすためにといって、家畜を殺していた。畜産業が成り立たなくなったら、農家は土地を売って、他のことでお金を稼ぐために、どこかの雇い人になることになる。お金に依存した生活になって、消費が増えることになる。結局、二酸化炭素が減るのか増えるのかわからない。ミサイルを戦場に送るのをやめれば、よっぽど確実に二酸化炭素が減るのに、そういうことはやらないのだ。その代わりに、家畜を殺している。本当に環境にいい影響があるかどうかなどは、どうでもいいらしい。二酸化炭素の排出量を減らさなければ、というのを、新たな消費を作り出す口実にしているだけなのだ。

 

こうしたまったく筋の通っていないことがまかり通っていくのも、パンデミックのときにさんざん見てきた。メディアやら政治やらに、ものすごいお金がばらまかれて、操作されているのだろう。SDGsというのは、まさにそうしたロビー活動をするためのプロジェクトなのかもしれない。人々を洗脳し、メディアを操作し、政治を腐敗させて、グローバル企業に巨額のお金を流すのを、黙って見ているようにさせている。そして多くの人たちが、いいお金がもらえるからとか、あるいはお金がもらえなくなったら困るからと、一緒にやっているわけなのだ。

 

パンデミックのときには、政治とメディアと医療機関の腐敗ぶりを目の前に見せつけられたけれど、それで私たちは、そうしたシステムから離脱して、自分の免疫システムの力を見直すことになったのだ。パンデミックのおかげで、医療システムがいかにすべてお金でまわっていたかも知ることができたし、多くの場合、本当には必要もないものを必要であるかのように思わせられてきたことも知った。それまで私たちは、多かれ少なかれ医療に依存させられてきたのだけれど、本当は私たちの免疫システムの方が、はるかに優れていたということを知ることになった。

 

だから今、SDGsに環境を破壊されそうになっているのも、また意味のあることなのかもしれない。私たちは、二酸化炭素の排出量とか、ある一部の数値だけで、自然環境というものが判定できるかのように思わせられているけれど、これもパンデミックのときにPCRの数値だけで病気かそうでないかが決まるかのように思わせられていたのと同じことのようだ。

 

人間に免疫力があるように、自然にもつねにバランスを保とうとする力が働いている。二酸化炭素の量が増えれば、二酸化炭素を分解して生きる生物が、繁殖するのだ。つまり、植物がよく育つようになる。人間の免疫システムが、つねにバランスを取るように動いているのと同様に、自然との共生もまた、つねに相互的なものだ。人間が住んでいるところには、生えてくるものが変わる。その人が生活に必要としているものが、ちゃんと生えてくることになっている。家のまわりには、必ず食べられる野草や薬になるものが生えてくるし、住んでいる人の体調に合わせてさえいるようだ。気候に合わせ、季節に合わせて、ちゃんとそのときそのときに必要なものが生えてきてくれる。

 

パンデミックのときに、医療に頼れないことを知ったように、自然環境についても、もう政府を頼りにできないということを、私たちは知るべきなのかもしれない。これまで私たちは、自然との共生から切り離されて、お金に依存する生活をさせられてきたのだけれど、人間が免疫システムを離れては生きていけないように、やはり自然との共生から離れては、生きていけないのだと思う。お金に依存していたら、都市に閉じ込められて、人工ミートをあてがわれることになるというところまで来て、私たち人間は、本当は自然の一部だということを思い出すのかもしれない。そうなったとき、実は私たちは、とてつもなく大きな力とともに生きていたことに気づくのかもしれない。自然との共生の世界は、これまで私たちが意識をそらされてきた領域だけれど、それを覗き込んだときに、ほとんど無限とも言えるような可能性が開かれている。その世界が開かれようとしているということなのかもしれない。

***

画像は、イラクサの種とハナビラタケ。庭に自生しているイラクサの種を採ったところ。網にこすりつけると、種だけ落ちる。ハナビラタケは、森で見つけた。イラクサの種もハナビラタケも、免疫力を高めるパワーフード。

 







Hoʻoponopono

 

 

日々のお疲れ、特に頭脳疲労回復が得意です

からだの癖や使い方による疲労、メンタルやエネルギー面も含めたトータルメンテナンスです

出張やレンタルサロンがメインになりますので、↓ 下のアドレスへ先ずご連絡ください🙇

 bodyvoiceyoyaku●gmail.com 

●を@に変えて、件名は「予約について」、本文にお名前、ご連絡先、ご希望の場所(エリア)、日時を記載してくださいね


確認事項がありますので 余裕を持って、ご連絡いただけますと幸いです

お待ちしております照れ