Body Voice 加藤です

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何処までが「責任」範囲なんでしょうね?

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

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【責任という封印装置】

 

10月30日の世界を変える魔法セッションは、子供時代に受けた強制や虐待の記憶を解き放って、それぞれのあり方が認められる世界に意識をシフトさせるのが目的だった。その中で大きなテーマになったのが、「責任」という言葉だった。

 

子供のときにやりたいことを禁止されたり、嫌なことを強制されるとき、つねについてまわるのが、「何かあったら責任が取れないんだから」という言葉だった。あるいは、下の兄弟たちに何か問題が起こったときに、いつもお姉ちゃん/お兄ちゃんの責任だということにされたので、過剰に責任を取ろうとする行動パターンがその後の人生についてまわり、それがあらゆるストレスの源になっているという人もいた。

 

しかし、「責任を取る」とは、一体どういうことなのだろう? 一体どうしたら責任を取ったことになるのだろう? 責任を取るという言葉はあまりによく使われるのだけれど、それが具体的にどういうことなのかについては、どうもはっきりしないことが多い。

 

私の責任です、と言って辞職すれば、責任を取ったことになるのだろうか? あるいは死んでお詫びをすればいいのだろうか? しかし、それで起こった問題が解決するのかといったら、何も解決などしない。ただ「誰が悪かったのか?」が社会的にはっきりして、悪者探しが止むというだけのことだ。

 

そもそも責任を取るとは、自分が引き起こしたことの結果を誰かのせいにするのではなくて、自分で引き受けるということ以外のことではないはずだ。誰だって間違いや失敗を犯さないなんてことはあり得ないのだから、間違いが起こったら、その結果を引き受けて、そこから学べばいいことだ。もし、鍋を落としてシチューを床にぶちまけてしまったのなら、床を掃除して、シチューを作り直すなり外で食べることにするなりすればいい。それで、どうしてそういう事態になったのかを考えて、これからそうならないようにするにはどうすればいいかとか考えればいいだけだ。実際それ以外にできることなんてないし、する意味もない。

 

だけど、「責任」を問われて怒られたり、「責任が取れないんだから」と何かを禁じられたりするとき、そこには、どうしたらいいのかとか、どういう解決法があるのかとかいう建設的な話はない。ただ、言う通りに従わされるキーワードとして出てくるだけのことがほとんどだ。

 

私は90年代の初め頃に、ヨーロッパのいろいろな国をよく旅していたのだけれど、東側の国と西側の国では、窓口の人の対応が大きく違うのが印象的だった。西側の国では、事情を話して特別なことを頼むと、「わかった。しようがないな。そうしてやるよ」と言ってくれたりする。西側では、一番下の窓口の人も、何か特別な事情があるときに自分で判断して決める権限を持たされているのだ。つまり、その責任を持たされている。だから、多くのことはかなりスムーズに解決する。だけど、東側の国へ行って、同じような感じで頼みごとをすると、窓口の人は困ったような顔をして、何だかもうしわけなさそうに、「それはできないんです」と繰り返す。それを見ると、ああこの人たちは、西側の人たちみたいにそういうときに判断する責任を持たされていないんだなと思う。権限を持たされてないから、責任も取れない。だから、指示通りにするしかない。

 

ところが2000年代になったら、西側の国でも窓口の人が権威的になった。前は鷹揚に対応してくれていたのに、そういうところがなくなり、書類を突き返されたり、ダメなものはダメだとつっぱねられたりするようになった。そしていつも出てくるのが「EUから来ていることなんだから」というセリフだった。つまり、それまでは自分で裁量する権限を持たされていたのに、今やEUの指示通りに従うしかなくなったのだ。そして今では、東側の国よりも西側の国の方が、よほど自由がなく権威的で人権がないような状況でさえある。

 

権限を持たされていなければ、責任も取れない。してみると、「何かあっても責任が取れないんだから」というのは、実のところ、自分で決めて自分で判断し、自分で責任を持つ自由を奪う言葉に他ならなかったということになる。「何かあったら」と何でも禁止してしまって、子供を檻の中に閉じ込めておいたら、子供は何が危険なのかを知り、危険を回避する方法を学ぶこともない。親はそれで、親の監督が悪かったから子供が事故に遭ったと言われないだろうけれど、そうして育った子供が大人になってから、危険回避の感覚がないために大事故を引き起こしたり、心理的ストレスでうつ病になったり、引きこもりになったりしたら、責任が取れるんだろうか? 

 

何かあったら大変だからと子供を保育器に入れて、それで親も医者も責任を果たしたと思っているけれど、保育器に入れて何かあったらどうするのかという責任は問われない。もしどこかに血栓ができたら大変だからといって、血液凝固を止める薬を使わせても、その薬の害で血管がボロボロになっても、その責任は問われない。同様に、感染症になったら大変だからとワクチンを打たせるけれど、それで薬害が起きてもその責任は問われないのだ。そうしたことを考えてみると、実のところ「責任」という言葉は、何をどう判断し、どう決めるべきなのかを一方的に決めておいて、それを受け入れさせるときに登場するセリフにすぎないのじゃないかと思えてくる。

 

してみると、「責任」という言葉は、つまるところ家畜を囲っておく電気柵のようなものだったのかもしれない。家畜は柵の外に出ようとすると、柵に触れてビリビリするので、柵から出なくなる。そうすると、電気を切っても、家畜は柵を見ただけで近寄らなくなる。ああいう感じで「何かあったら責任が取れないんだから」とつねに言われて、私たちは上から決められた規定通りのこと以外には、手を出さなくなる。「何かあったら」とは、規定から外れたことをして、何か問題が生じた場合、その本当の原因が何なのかとは関係なく、規定から外れたことをしたことで責められ罰を受ける、ということに他ならない。

 

私たちは、これまで知らず知らずのうちに、上から決められた一つの価値観で生きるようにされてきたのだ。そして、それは子供の教育からすでに始まっていた。親は、子供をちゃんとさせなくてはと思い、学校や病院の先生の言う通りに子供を枠にはめようとする。自分の子供がその枠から外れたら、「責任が取れない」ということになり、子供にあれこれを強制したり、そのイライラで子供にストレスをぶつけたりする。そうやって、子供も親もさまざまなトラウマを経験しながら、子供時代を過ごすことになる。

 

ところで、子供は自由にさせて、自分で決めて判断するようにさせると、それほど危険なことには手を出さないものなのだ。子供に責任を持たせるとは、実はそうしたことだ。自分で決めて、自分で結果を引き受ける自由を持たされたとき、子供は自分で気をつけるようになる。

 

私たち人間は、子供だろうが大人だろうが、ちゃんと危険を察知して自分の身を守る力を持っているのだ。自由にさせたとき、その力が働き出す。子供は、大人がいちいち示さなくても、そうした力に実はちゃんと守られ導かれている。その力を信頼して生きることを知ることの方が、安全に何事もなく生きていくよりも、どれだけ大事なことか知れない。

 

それぞれの多様性を受け入れ、認め合う多極的な世界へこれから移行していくと言われているけれど、それはありとある極端な思考や変態的な趣味や、奇妙な習慣やらを受け入れなければならないというようなことではないのだと思う。そうした奇妙な趣味や行動パターンは、むしろたった一つの価値観を強制された人々の間で、自己防衛の必要から出てくるようなもので、自分のありのままを認められ、自分の判断で行動することを許されていた子供たちは、そんな極端に走る必要もなく、よりバランスのとれたあり方になる。

 

私たちは、多かれ少なかれ子供時代に一つの枠にはめられて育ち、見えない電気柵が存在するかのように、「ちゃんとしないと」とか「責任が取れない」とか思って無自覚に自分を制限しているのだけれど、子供時代の記憶に戻って、本当はやりたかったこと、本当は言いたかったことを自分に許してみると、本当の多様性とは何なのかが見えてくる。それは、気がつかないうちに縮こまっていたすべての細胞が緩んで伸び伸びとするような、実にシンプルで楽でありながら、同時にとても穏やかで、大きな調和の中で生きているような感覚だ。非常にシンプルに、ただ自分の人生を生きることを自分に許すと、他の人にもそれぞれに気にいるような快適なあり方を許すことができる。そういう寛容さと調和こそが、多様性の世界なのだ。

 

 

転載ここまで

 

 

 

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