現代医学では解明されていない

認知症原因探る旅

今日も続けて行こう。

 

今回で4回目となるが、

ここから読みはじめるという方は、

理解が難しいと思うので、

囲みクリックして、

前のブログを

読んでいただければ幸いです。

⇩  ⇩  ⇩

 

 

 

『認知症――その隠された原因』

和田悠希・遠藤真理 共訳/涼風書林)

もとに、本日も話を進めて行こう。

 

何度も書くが、

ここで書かれていることは、

唯物的な現代医学の思考から、

かけ離れている一方で、

高い評価を受け、

各方面に多大な影響を与えた

ルドルフ・シュタイナー

医学に基づき展開されている。

 

前回のブログでは、

エーテル体の表層に

印象づけられるはずの

短期記憶過剰をきっかけに

エーテル体硬化してしまい、

同時に肥大化する一方で、

自我(=私=霊)が、

から離れようすることが、

認知症原因と書いた。

 

またエーテル体が硬化し、

物質化行き過ぎると、

機能破壊され、

次第に広範囲に広がっていく。

 

以下、本からの引用である。

 

▲認知症――その隠された原因( ユーディット

 

『短期記憶が徐々に失われていくことです。

そこで自ら、古い記憶、表象を意識化して、

処理されずに溜まっている記憶表象の優位性

を減らし、新たな知覚、表象をもう一度統合

しようと試みます。この過程の一部または

全体が自我《私》が不在の状態で進行すると、

まったく無意識のプロセスになってしまいま

す。

そうすると、古い記憶だけなら思い出せると

いう状態が次第に優勢になってきます(しまい

には記憶・想起能力が完全に失われてしまいま

す)。しかし、その古い記憶や出来事ですら意

識的に処理することができなくなり、むしろ

古い世界そのものに住むことになり、日々の

課題に応えられなくなります。新たな知覚と

表象は押しやられ、そしてついに日常生活の

本質的な部分さえもこなせなくなってしまう

のです。』(『認知症――その隠された原因』

 ユーディット・フォン・ハレ著/涼風書林

 34~35ページより引用)

 

若年性認知症の妻も、

血管性認知症の母も、

名前訊かれたとき、

旧姓答えていたことがあるが、

「古い記憶」

思い出したからなのだろう。

 

用語が難しいので、

再度「表象」を説明しておこう。

 

『広義には観念一般、心像(イメージ)

一般を意味しうるが、通常は知覚や感覚と

区別して、再生心像による対象意識を指す』

(百科事典マイペディア・平凡社)

 

「心像」とは、心の中に思い浮かべたもの、

つまりイメージのことである。

 

ここで、自我認知症

ついても触れておこう。

 

『人間の霊、すなわち自我《私》は低次の

構成体を組織し組織し、「まとめ束ねる役割」

をしていますが、これが徐々に体から退いて

いきます。そうすると、アストラル体の

「放浪」が始まります。

これが何を意味するかは、認知症を患う人と

一緒に暮らしたり、ともに時間を過ごした

人はよく知っているはずです。認知症患者の

家族や友人達は当人の人格の変化を、まるで

「自分という家の主人」でなくなったように

感じます。感情面だけが先走り、これまでの

本人とは思えない表現や衝動が現れます。

適切に人間観察をすれば、このような変化は、

人間の最高次の要素である自我《私》が低次

の構成体、たとえば心情をコントロールでき

なくなっていくことで引き起こされるといえ

ます。その原因は自我が弱まり、体から徐々

に退いていくことなのです。』

(『認知症――その隠された原因』

48ページより引用)

 

たびたび登場する自我だが、

わかりづらいので、

ちょっと寄り道しよう。

 

「自我《私》」は、

「私は私である」という意識で、

自己同一性と言い換えることができる。

これと真逆の意識が、

「私とあなたは別の存在」であり、

自己独立性ということができる。

この自己同一性と自己独立性の

2つの意識を「低次自我」という。

自己同一性を形成するために、

人間には肉体があるわけだ。

 

低次があるのなら、高次もある。

「私とあなたは1つである」という意識で、

自他同一性と言い換えることができる。

これを「真自我性」と呼ぶようだ。

 

自我は物質体(肉体) 、

エーテル体(物質的形態生み出す形成力+

物質の活動力を支える生命エネルギー体)、

アストラル体(感情や主体意識として

把握されるエネルギー体)に

主体として働きかけ、

それらを浄化する働きを持つ。

 

 

自我の説明は、

このあたりで切り上げて、

記憶世界に戻ろう。

 

エーテル体に収められている

記憶を想い起こすことは、

年齢に関係なく行われる作業だが、

認知症になると、

働きかけ方が変わってしまう。

どうなるのだろうか?

再び、本から引用しよう。

 

『認知症の場合はそれがアストラル体を通し

て起こるようになります。記憶から取り出さ

れた表象は何らかの感情を呼び起こします。

この表象そのものは《私》が介していないの

で、すぐに忘れ去られてしまいます。しかし、

記憶が引き起こした感情はすぐには消えませ

ん。記憶表象とは反対に感情は持続するので

す。(中略)さらに進んだステージの認知症

では、感情生活すら停止状態になります。ア

ストラル体も残りの人体組織から退き始める

のです。』(『認知症――その隠された原因』

 ユーディット・フォン・ハレ著/涼風書林 

48~49ページより引用)

 

よく認知症がかなり進行し、

身近な人が判らなくなっても、

「感情だけ残る」といわれるが、

その状態のことを述べているようだ。

 

さらに自我が弱まって、

退きはじめている状態で、

アストラル体も退くとは、

肉体+エーテル体(生命エネルギー体)

に近づくということである。

 

シュタイナー医学では、

植物は有機体(肉体)+エーテル体だけの

存在なので、植物状態に近いといえるだろう。

 

ちなみにエーテル体硬化が、

認知症の原因と書いてきたが、

端折った言い方をすれば、

人体の諸器官に生命力を与える

生命エネルギー体失われるので、

人体の構成体が、

死滅するということである。

 

これが神経変性疾患である……。

 

 

(次回に続く)