前回前々回と、

妻が転院までの4日間だけお世話になった

武蔵野の面影が残る

病院の印象を綴ってきた。

思いやりのある温かい病院だった。

 

これとは真逆の印象を受けたのが、

昨年9月末、若年性認知症BPSDで、

初めて入院した病院での出来事だった。

 

入院に至るまでの経緯は、

「入院はいつも突然に」

参照していただきたい。

 

B型就労継続支援施設で

ランチを楽しんでいた妻は、

そのまま紹介された病院へ直行となり、

事情もわからぬまま入院病棟の人となった。

 

格子窓の病棟に連れていかれた妻は、

全力で抵抗を試みた。

若年性認知症でなくとも、

何もわからない状態で、

鍵付きの扉の向こうに閉じ込められれば、

誰だって抗うだろう。

 

看護師が入院手続中の部屋にやって来て、

僕に拘束した時刻だけを告げた。

“医療保護入院”のためだった。

 

 

僕は部屋を去ろうとする

若い看護師を引き留めた。

 

拘束って何ですか? 

説明してもらえますか?」

 

“医療保護入院”拘束する場合、

事由の説明は然るべきだった。

人の自由を制限することは、

とてつもなく重大なことである。

その説明すらなく簡単に拘束を行うことは、

民族抑圧等で国際的に"人権"が

声高な時代の感覚には合わない。

看護師は、慌てて理由を告げた……。

 

この夜、ガランとした部屋で、

僕はスパークリングワインを開けた。

『2018 CRÉMANT DE BORDEAUX BRUT

CUVÉE PAUVIF

 (CHATEAU LES GRAVES)』

細やかな泡が喉を潤してくれた。

セミヨンとミュスカデル、

2種類の白ぶどうが、

フレッシュな味わいを醸す1本だった。

“拘束”という言葉が、

現われては泡のように消えていった……。

 

 

翌日、病棟内で履く靴など、

レンタルセットにない持ち物を買い揃え、

約束通りの時間に病院へと赴いた……。

 

(次回に続く)