現在の国際社会の将来を示唆する内容か?『クジラの島の少女』(ニキ・カーロ監督作品) | Eagle-eyed Cinema Review-鷲の目映画評-

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イーグルドライバーの観た映像作品について、あれこれ書いて行きます。
主に「洋画」ですが、ジャンルにはあまりこだわらず、インスピレーションで拝見する作品を選んでいます。
海外の「ドラマ」も最近は気になります。

『クジラの島の少女』(原題:Whale Rider /2003年ニュージランド、ドイツ/102分)

監督・脚本:ニキ・カーロ

原作:ウィティ・イヒマエラ

製作:ティム・サンダース、ジョン・バーネット、フランク・ヒュブナー

製作総指揮:ビル・ギャヴィン、リンダ・ゴールドスタイン・ノウルトン

音楽:リサ・ジェラルド

編集:デヴィット・コウルソン

出演者:パイキア・キャッスル=ヒューズ、ラウィリ・パラテーン、ヴィッキー・ホートン、クリフ・カーティス、グラント・ロアら

100点満点中88点
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 すごい作品です。テーマのあまりに奥深さに、驚愕致しました。南洋の島を舞台にしていますが、現在の日本、いや、先進国の全てが抱える諸問題を包括するようなテーマを抱えていることに驚きを隠せませんでした。これほど深いテーマに触れたことが無い私には、意見を述べる資格さえない感覚に囚われるような傑作です。


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 ポリネシアの文化に精通していなければ、全く理解できないような個所が、全編を通じて展開される内容ですが、感覚的に理解できる方達には、“グっ”と来るヒューマン作品です。・・・・なので、見方によっては、非常に特殊性のある作品とも言えます。

 作品の舞台となるのは、小さな環礁地帯で、ニュージランドが管轄する島村「ファンガラ」です。ここは、マオリ族が支配する島々で、伝承によれば、遠くハワイキから、クジラに乗って来た勇者「パイキア」の子孫が辿り着き、以降彼の子孫が定住し、生活の基盤を築いた地域です。マオリ族は、一言で言って「男尊女卑」の文化で、族長は男子に限られ、意思決定は全て男子によって行われるコミュニティーです。


 ここでも、部族の後継者選定には苦慮していて、少子高齢化の波が押し寄せていて、族長「コロ」(上記画像の左↑)はそのことに大いなる憂いを感じています。


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 主人公の「パイケア」は、ケイシャ・キャッスル=ヒューズが演じ、素朴な外見に、芯の強さを秘めた美少女で、当時のアカデミー主演女優賞の史上最年少候補となった天性の女優です。後年、『スター・ウォーズエピソード3/シスの復讐』でクイーン・アパライナを演じました。


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マオリマオリ語 : Māori)は、アオテアロアニュージーランド )にイギリス 人が入植する前から先住していた人々である。形質的・文化的にはポリネシア人 の一派をなす。マオリとは、マオリ族の用いる言語マオリ語 では本来普通という意味で、マオリ自身が西洋人と区別するために”普通の人間”という意味でTangata Maoriを使い出したにもかかわらず、イギリス人 が発音しにくいという理由で、Tangata(=人間)ではなくて、Maoriを採用したのが由来とされる(Wikiより)


*ハワイキ・・・ポリネシア人たちは自らの故地を「ハワイキ」「アヴァイキ」などと呼んだ。この言葉はポリネシア各地で若干異なっており、タヒチでは「ハヴァイイ」、ツアモツ諸島などでは「ハヴァイキ」、クック諸島では「アヴァイキ」、サモアでは「サヴァイイ」、アオテアロアでは「ハワイキ」、ハワイ諸島では「ハワイイ」などとなっている。


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(あらすじ)

 マオリ族は、代々男性を族長とする「男尊女卑」を最もとする種族で、ニュージーランドの東海岸にある小規模の漁村「ファンガラ」に拠点を置く種族である。彼らは、非常に保守的・封建的で、生きるための漁はもっぱら男性の仕事で。女性は家を守り、子を生み大きく丈夫に育てる役割を担っているが、コミュニティー内での発言権はない。言い伝えによると、彼らの先祖「パイケア」が、クジラの背中に乗ってこの地にやってきたということである。

 現在、族長の息子「ポロランギ」は、産院にいる。大事な妻が双子を身ごもっており、この日、産気づいたのである。難産の末、先に娘が生まれ、その弟は妊婦と共に天に昇って行った。つまり、双子の片方は死産となり、母も死んでしまったのだるこの悲劇に「ポロランギ」は、嘆き悲しんだが、それ以上に落胆したのは父である族長「コロ」であった。かねてから、後継者選びに苦慮していた族長「コロ」は、自分の息子「ポロランギ」が将来村を離れるであろう事をよく知っていたため、初孫が男子であって欲しい、自分の跡を継いで欲しいと強く願っていたからである。ただ一人生まれた娘は、勇者の名を取って「パイキア」と名付けられた。


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 周りからは落胆以外、何の感情も寄せられない不遇の幼少期を過ごした「パイキア」は、皆から「パイ」と呼ばれ、祖父母のもとで育てられる。妻と息子の死に耐えかねて、父「ポランギ」が村を離れたからである。当初、孫娘を遠ざけていた族長「コロ」であったが、彼女が成長するにつれ、普通一般の祖父と同じように、孫娘を可愛がるようになっていく・・・

 「パイ」が12歳のなった時、写真家として成功した父「ポロランギ」は、一時村に戻ってくる。ドイツを生活基盤として創作活動をしていて、内縁ながらドイツ人の妻もいるというのだ。族長「コロ」は、後継への淡い期待を裏切られ、「ポランギ」が「パイ」と村を出て、ドイツで暮らすことを承諾するが、「パイ」は結局残る事にする。ファンガラの海が、はたまたファンガラの沖に住むクジラが彼女を呼んだ気がしたからである。

 この年齢になると、族長候補者となる男子は、マエラという集会所にたびたび集められるようになる。ここで、マオリ族の風習や歌や踊りを学んだり、「パイ」にとっては叔父の「ラウィリ」から、マウリ族の男子のみに継承されている“タイア”という棒術の特訓が行われているのだ。戦士となる男子には必須の科目である。「パイ」は、この特別講義に興味津々であるが、女子であるためこの集会所での男子育成カリキュラムには参加できない。そこで、「パイ」は集会所の隙間から覗くことで、習得しようと考える。そんな矢先、ファンガラの海岸に大量のセミクジラが瀕死の状態で打ち上げられる。また、族長選びに全ての男子が合格できない深刻な状況も生まれる。この事態に「パイ」はある行動にでるが・・・


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