『アメリカン・サイコ』(2000年アメリカ/102分:R-15)
監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン、グィネヴィア・ターナー
出演者:クリスチャン・ベール、ウィレム・デフォー、ジャレット・レト(「ロード・オブ・ウォー」)、ジョシュ・ルーカス(「ステルス」)、サマンサ・マシス、クロエ・セヴィニー(「実験室KR-13」「ドッグヴィル」)、リース・ウィザースプーン(「キューティー・ブロンド」)ら
100点満点中60.5点
原作は知りませんが、よほど仔細に渡る設定がなされた原作とお見受け致します。そういった「上辺」だけにこだわるあまり、浅い作りが随所に見られ、作品全体の目指すテーマを歪めた上、深く「掘り下げた」部分が何もない出来になっているのが勿体ない作品です。1980年代~1990年代初頭のヤッピーを登場させ、すでに分かっているその結果を起想させるような「落とし所」を用意してある展開が、鑑賞者に物足りなさを感じさせる内容です。
原作者は、前作「レス・ザン・ゼロ」でも映像作品の原作者となったブレット・イースト・エリスですが、彼はカリフォルニア州ロサンゼルス出身で大学も地方であった事を考えると、マンハッタンで活躍していたエリートサラリーマンの実態にはさほど詳しくなかったとみえて、深く切り込んだ様子は今作では全く確認できません。シニカルにヤッピーを見て、安易にサイコサスペンスに連結した感じがします。
また、この辺は監督で脚本にも名を連ねるメアリー・ハロンにも大きな責任があって、主人公「パトリック・ベイトマン」が仕立ての良いスーツを着ていたり、高級住宅に住まいしている以上に、ハイソな家系の御曹司である「くだり」をしつこいくらいに表現出来なかった点や「快楽殺人」にハマって行く彼のバックボーンに迫って行けなかった点が、鑑賞者にとっては落胆するところです。とにかく、俳優達をきちんと使えなかったことや説得力のあるシーンを盛り込めなかった点が、作品のグレードを上げられなかった最大の原因です。
主人公「パトリック・ベイルマン」は、若きクリスチャン・ベイルが演じ、彼なりの奮闘演技で、異常心理に陥り現実と幻想(妄想)の区別が付かなくなった投資会社の副社長になり切っていますし、ジョシュ・ルーカスやリース・ウィザースプーンらもスカしたヤッピーを好演しています。
また、クロエ・セヴィニー演じる秘書「ジーン」は地方出身で、ハイソに憧れるもの欲しそうな女性ですが、彼女はこの役を良く理解し唯一地に足の付いた存在感を示します。ただし、元々の脚本と監督の演出が悪いせいで、作品全体は現実味に欠け、紙芝居のようです。
また、主人公「パトリック」が快楽殺人にのめり込んで行く過程にも説明がなく、現実と妄想の境目が曖昧になって来る終盤に差しかかる辺りで、これを「混乱・錯乱」と解釈するより、ただ「踏み込みの浅さ」と思わせてしまうような弱いシーンの連続に結末を心配すらしてしまいます。結果、得心できないラストになってしまいますが・・・
(あらすじ)
投資顧問会社P&Pの副社長「パトリック・ベイトマン」は、これと言って重要な仕事はせずとも、高級なレストランで昼食を摂り、ブランド・スーツに身を包み、一等地のタワーマンションの上階に住むことが出来る高給を取っている。ハーバード・ビジネス・スクールを卒業した経歴はたいしたものだが、身内が経営する会社の役員に納まって、彼の心配事は、上辺だけの友人達とレストランの予約や服地、名刺の出来栄えを競うことであって、彼の生活の中心は会社の業務より「夜の生活」である。自分の彼女は友人と密会し、友人の婚約者と肉体関係を持つ彼の生活は、朝のスキンケアから始まり、エステに通い、クラシックよりは、「フィル・コリンズ」などのポップスを聞き、ポルノを環境ビデオとして流すような「低俗」なもので、とても「上流」の人種とは言いかねる状況。
彼は、ある晩、抑えられぬ衝動から路地裏のホームレスの男性を殺害し、それ以降、崖から転げ落ちるように、倒錯した「快楽殺人」の虜となって行く。