Mellow Waves | キャプテンニッポンのソウル温泉

キャプテンニッポンのソウル温泉

ウォンチュー,スリー,フォー,ファイブ,セックス,ヘブン!


コーネリアスの新しいのがもうとんでもない。
数ヶ月前小沢健二が突如として復活を果たし
世間は少しだけ喧しかったけど、オザケンのが
復活だとしたら、小山田のは覚醒、かな?




もう二十年も前なのか。アルバム『FANTASMA』が
リリースされてややしばらくして、フランスW杯でかの地を
訪れたはいいもののチケットがフィックスされておらず
ただの一試合も観れぬまま、あの退屈なパリをまるで
死人のように彷徨い歩いていた時に、シャンゼリゼにある
ヴァージンメガストールで大々的にディスプレイされていた。
壁一面が『FANTASMA』。わ、なんてことなんだこれ!
トゥールーズのアルゼンチン戦で「健闘」ということばで
同情的に世界メディアから賞賛されていた、ゴンや秋田らの
代表イレブンよりこっちが誇らしかった。ずっと後だが
ヒデのセリエAデビュー戦でユーベ相手の2ゴール、もしくは
俊輔のCLマンチェスターU戦での伝説のフリーキック。
そのふたつは日本人が打ち立てた全世界中の前人未踏で
いちばん前人未到。たぶん後人も未踏。それと同じくらい。
だってフットボールとポップミュージックはどんだけ
日本人が足掻いたところで世界には太刀打ちできなかった。
はずだったのに。だって日本の音楽家が真に評価されたのって
YMOとラウドネスと今のBABYMETALぐらい?坂本九もか。
そんくらい。ここ日本ですら好事家の耳に瑞々しかっただけの
フリッパーズギターのひとりがなぜ世界に立ち向かえたか。
全然わかんない。
歌や楽器がうまいでもない、信じがたいグッドメロディを
紡ぐでもない、ただ小粋なサウンドコラージュと
小憎らしいほどのサンプリングセンスの、ぶっちゃけ云えば
盗っ人猛々しさ。
いや、好きだけど。まあ日本のポップミュージック全体が
こそこそと米英からくすねつづけた塵芥でできている。
たぶん小山田は正面玄関から入って奪うだけ奪って行ったその
蛮勇さを称えられての、認められての立ち位置なんだと思う。
海へ行くつもりじゃなかった。
桜の枝折ったのオレだよ何?
的な。そんな理由?いやごめんやっぱわかんないや。
その小山田、11年ぶりのコーネリアス覚醒。



蕩けるほどのほぼ歌物。

聴き手の詮索をはぐらかすような虚勢は影を潜め
文字通りメロウ。それも歯の浮くようなやつじゃなく
それぞれの感情の襞に寄り添うような。それなりに
ウェットに、それなりにドライに。大好きな
坂本慎太郎がふたつも詞を提供した。このふたりの交流は
知らなかった。真逆のようだが結構古い仕事仲間のよう。



ゆらネリアス。

鬼太郎とねずみ男?うまく云えないけど
無機的ミニマリズムと
有機的な断捨離との
理想的な融合?ごめん自分でも何云ってんだか。
ゆらゆらから一貫してる坂本慎太郎イズムというものは
極力鳴らさない語らない、と思う。ギターまで鳴らさなく
なった時は流石についていけねえと後ずさりしたが
今となってはソロになってからのもはやロックでもサイケでも
ない坂本慎太郎として解脱するための通過儀礼だった。今
生きているミュージシャンで故マーヴィン・ゲイの死生観を
いちばん背負ってるの僕、坂本慎太郎と思うな。ソウル。
久保田利伸や清水翔太には謝ってもらいたいぐらいソウルを
理解し体現できている。リアリー、リアリー、ソウルフル。
ロックとはポップとはかくあるべし、みたいなガワを
脱ぎ捨て、ほんとうに伝えたい言葉を飛ばすために必要な
サウンドを召喚する。脱皮と解脱の末の、必然性ソウルフル。
上に貼ったリードトラックに強く惹かれたのはそこ。
あれ?まるで末期ゆらゆらのようだぞと。
(その時点ではふたりの邂逅を知る由もなかった)


声優のアニソンとかなんこかコラボしてるみたいだから
ゆるゆるチェックしていきます。とりあえずこれ傑作。