「三浦右衛門の最後」は菊池寛の小説です。この小説は浅井了以の狗張子を参考に書かれた旨本文中に記載がありますが、残念ながらWEBではみつけることができませんでした。しかし、近年発表された金宙賢 氏の論文「菊池寛「三浦右衛門の最後」試論」で比較されており、うれしい限りです。

さて、金宙賢 氏の論文によると、浅井了以の狗張子の主要ポイントは下記の通りです。
・百姓が国を傾けたとして三浦右衛門を恨む
・三浦右衛門は三河の高天神にむかうところ
・耳鼻を削がれても生き続けたいと命乞いをするところ
・小笠原与八郎が不義不忠をとがめて三浦右衛門を惨殺する。

菊池寛の小説では、上記を筋として踏襲していますが、わざわざ時期をずらして架空の日時にしたり、小笠原を天野刑部に変更するなどフィクション色を強めているそうです。


もっとも、私のような歴史マニアからすると浅井了以の上記のポイントだけでも突っ込みどころ満載です(これについては後述します)。

さて、三浦右衛門佐義鎮(本名が真明であることが2018年に判明しています/2022/8/17注記)の最後については、浅井了以のもののような敗走途中に襲われる落武者パターンと、高天神記・三河記系の記述に近い一族郎党死亡パターンに分かれます。
歴史書としては両方の話を紹介しているものもおおいので、一例として廣文庫の三浦右衛門の記述をとりあげてみたいと思います。

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1.落ち武者狩りパターン

「一説に右衛門の父に遅れ花沢より高天神に赴くところ、郷民蜂起す、時に三浦右衛門と名乗りければ、郷民一同に甚だ悦び、汝愚君氏真をたぶらかし、三遠駿三箇国に猛威を顕し、百姓を貪り取るのみならず、色々憂き目を見せし天罰たちまち報い、この処へ落ち来ること幸いなりとて、数百人是を取り巻き、馬より引き落とし、甲冑下着ことごとく剥ぎ取り赤裸になしければ、右衛門掌をあわせ下著許を乞う、里民おおいにこれを搦め、喬木にくくり上げてナブリ殺しにせんとしけるを、老者等すこぶりに制し、縄を解きて追放す。三浦古こもを身にまとい、終夜間道を歴て高天神に赴く。城主小笠原佞者故世の変を伺い、衣服を授け暫く其の父肥前と共に相労はりけるが、氏真小笠原へ落魄の告げ有りければ、忽ち志を変じ肥前を害し、右衛門をは廣庭に引出し奢侈残忍の天誅なんぞ遁れんやとて、足助長介という従士をして斬らせんとす。右衛門天に仰ぎ地に伏してはなそり耳切りて成り共命を助くべき旨をねがう、聴者且つ笑い且つ憎まずと云うことなし、甚だ悶乱しその斬る所をたしかにせざる故、長介俯しに踏み倒し首を切りて骸を棄つる、誠に後世君寵に誇る者これをもって亀鑑とすべし。


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2.一族郎党死亡パターン

(悪行の記述)爰をもって身を寄すべき方なかりしかば、旧交を慕い高天神の城主小笠原与八郎長忠が許に至ると雖も入ることを免さず、近辺岡崎村は今川の近臣四宮右近というものを知行す、その姉は義元の妾なりしを、彼れ没後に三浦右衛門恣に是を妻とせしかば父肥前守妻子とともに右近が別野に往きて長屋に蟄居しけるところに、小笠原より討ち手向う、是は神君の深く小原親子を憎ませたまう故、忠に備えんと欲して也。時に肥前は妻子等を害し、都べて上下75人一所に自殺す、その死骸を郷民沓掛原に埋む。

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以前にも書きましたが、資料としては、「龍巣院文書」で永禄12年5月2日に小笠原与八郎が三浦右衛門の供養分として寄進をおこなっているので、この時点ですでに三浦右衛門佐が亡くなっていることはあきらかです。

一方花沢城が落ちたのは永禄13年1月であり、守将は大原(小原)とされているので、「花沢城が落ちて高天神城にいった」との話は全く信用できないことになります。また高天神小笠原氏の家臣団をみると、「足助」はでてきません。

(「足助」は三河のレア名字で、遠州にいた可能性は極めて低いと考えます。(牢人としてながれてきた可能性は0ではありませんが) )
 
そうすると、後者の記述の方が(小原がいることを除けば)ある程度事実を反映しているとみてよさそうです。

なお、高天神小笠原氏の家臣団には、四宮氏もでてきません。四宮氏は遠州の岡崎城を支配していたであろうこと、 高天神小笠原氏は永禄11年12月21日の掛川天王山の戦いではすでに徳川についていること、現在の宗有寺が屋敷跡と伝えられていることから考えると、今川氏又は三浦氏の味方をして討死した可能性もあるのではないかと思います。
 
後者に類似した記述では、三浦義鎮が自ら長刀で一族を惨殺したような旨も示唆されており、絶望は深かったように思います。
 
 
(ところで、三河の高天神とか書くのは勘弁してほしい)。
 

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2018-8 タグを修正しました。
2022-8 三浦真明を追記しました。また、足助が三河の苗字であることを追記しました