映画「ナラタージュ」感想 | 松本潤を言葉で     〈 嵐 〉
映画鑑賞史上最速で泣いた。
こう言うとまるで「泣かせる映画」みたいだけどそれとは全然違うのに。
車の中の葉山の表情で、ただそれだけでどんときた。
目力40%の話はよく出てたけど、何よりも声。
葉山先生らしさを見せるのはあのフェイドインする声でした。
映像解禁された時思ってたのは「工藤!」って呼びかける声がすごくいいということ。声でスタンスが全部わかる。
でも映画始まって惹かれたのはもっと静かに入る寄りそう感じ。
あれで映画の世界観にすぐに連れていかれた気がしました。
二度目見た時、頭の中に浮かんでたのが「どうして別れなければいけないのか」ってことでした。奥さんがいるから、じゃなくてどうして奥さんと別れる道を選ばないのか。
私は昔から人魚姫の話が苦手で、どうして好きな人と結ばれない、どうして本当のことを言わないのかと、もどかしくて落ち着かなくて、最後にはもう考えたくもなくて。
だからナラタージュもどこかで理由を探してました。ふたりが結ばれない理由。
葉山はきっと奥さんと母親との板挟みになった時も、あの「だからどっちよ」みたいな態度で事態を悪くしたんだと思う。すごくよくある話なんだけども。

その結果が奥さんの行動になった。
人を傷つける意図はなくても、あんな事件を起こさせた自分ってなんなんだろう。
何もできなかった自分ってなんなんだろう。
そう思いながらやってきた高校で生徒に心を配り続けるのは、元々そういう教師であったという以外に、何かやっていなくてはいられなかったからだったような気がする。
自分の価値は自分では決められない、他との関わりの中でしか見出せないって話を聞いたことがある。
奥さんに会うこともかなわなくて、償いのとっかかりすらつかめなくて、一歩も進めず腐っていきそうな時に、そうやって居場所を探してたのでは。
誰かが少しでも明るい方へ、心地いい方へ。
だったら他にもあった生徒達との、同僚達との関わりの中で、どうして泉だったのか。
誰と関わっても自分を殻で包んで自分の中身があふれださないようにしてた時、むき出しの泉に出会ったんだろうと思う。
泉だけが傷口が湿った柔らかい皮膚をさらけ出したままに見えた。
泉はそう感じさせるまでに絶望してたんだと思う。
こう見せたいこう見せたくないって気持ちが二の次になるぐらい。それがたとえよくあるいじめ問題だったとしても。
だんだん泉といる時間が大切になった。
これまで「これだけの幅があれば歩ける」っていう道を歩いてきたのが、ちょっとよそ見したり座り込んだり誰かと並んで歩いたりできるスペース。
なくてもいい時間だからなくてはならなかった。
知ったら手放せなくなった。
泉との時間はそういうものだったんだろうな。
葉山はものすごく泉に甘えるんですよね。
泉に会って、癒されていく様子がわかって、自分がどうしようもない存在でしかないわけじゃないと教えてもらえる。うれしい。楽しい。ダメダメに思えてた自分の感情が動き出す。
そこに甘えもあったんだなと。
すりおろしりんごなんてお前ってやつは!ってなったもん。そりゃ泉もイラつきますよ。わざわざ怒った気持ちを言葉にしたのに、それでも甘えた。
ちゃんと「優しい葉山先生」から「困った奴」っていう体温を感じる存在になってる。
泉がくわえたスプーンに時間をかけるように、私もこいつ…!って思いながら葉山にハマっていくような感じになる。
そりゃ奥さんも思い悩むわ。
髪を切ってもらうシーンはもうずっとドキドキ。すべてが凶器に見える。いつ泉がはさみを握りしめて振り下ろしても仕方ないような気持ち。泉の見下ろす目に、「守りたい」と「こらしめたい」が細かくいったりきたりしてるような怖さ。
そしてそれがどちらに振れても受け入れる気持ちになってる葉山の怖さ。
迷いがいくところまでいっちゃって半ばここで決着がつくならどんな答えだって受け入れると言いたげな。ずるい。けどわかる。
小野くんのこれからが心配。
これきっと小野くんの靴を作る夢、ダメになっちゃうよね?
だって、たとえ後で撤回したとはいえ好きな女の子を裸足で帰らせた。靴下さえ履いてない足で。
トラウマですよ。
それでどうやってこれから「心地いい靴を」なんて口にできるだろう。無理だよ。絶対その度にあの裸足がフラッシュバックするだろう。葉山先生みたいに吐き気ももよおすだろう。
だから泉は本当に小野くんに詫びたいなら、あそこで靴は履いて帰るべきだった。
はいて「なんだあの女、俺の靴で他の男のところへ、どの面下げて会いに行けたんだ」と思わせるように、履くべきだった。そしてずっと後になって、あんな辛い状況でも好きな子の足を守れてよかったと思わせてやるべきだった。泉が悪役になるべきだった。
そんな「後で考えた正しい行動」なんてできない愚かしさが生々しかった。
でも二度目見た時は、夜中にかかった電話を責めた後に強引に関係を持った後のあの顔で、ああちょっとそういうタイプじゃないかも、と思った。
もしかしたらあの後でも靴屋さんになれたかも。あの残酷さがあるなら。
いっそそうであってくれと思うぐらいだった。その後付き合う女の子や家族は大変かもしれないけど。泉との関係程までに切迫した関係にはならない、穏やかに過ごせる彼女とならいいかな。実家での彼は、友達の前での彼は、あんなに普通に好青年だったんだから。
そこまでの醜さを引き起こさせる泉ほどの相手に巡りあわないのが幸か不幸かよくわからないけど。
最初の設定を聞いた時から思い出してたのは石塚夢見の漫画「ピアニシモでささいやいて」でした。
お互いに救いであって、求めてやまないふたり。でも男には婚約者がいる。婚約者は男を愛するあまり心を病んでいる。男は彼女と別れられない。というか彼女を心の底から愛おしいと思った過去が確実にあるし、今も愛情がある。
でも主人公である女を愛している。ふたりは別れを前提として結ばれ、別れて終わる。
ベタでもなんでもいいハッピーエンドが、「結果ハッピーエンド」じゃなくてメインふたりが結ばれるハッピーエンドがいい私にはうーん…となるラスト。でも納得はしたし、これでいいのだろうと思った。
この作品はなんと何年も経って続編ができて、そこではその婚約者(後に妻)は亡くなっていて、そのラストにはついにメインふたりは共に生きていくことになる。
そう、こういう話ってそういう存在の死か、納得の上の送り出し(身を引く)が必要不可欠なんですよね。じゃないとおさまらない。
だってメインはこのふたりだもん。じゃないと「どうして一番好きな人と結ばれないのか」から動けなくなる。
現実はそう都合よくいなくなってはくれない。「俺のことはいいからヤツのところへ行けよ」とは言ってくれない(これだと性別逆だけど)。
本当に愛してる人がいたら他の人を好きになったりしない。すごくシンプルできっとそうだと思うのに、それでも思わずにいられない人がいる。
道理を飛び越えて吸い寄せられることがある。
結婚したら心が何も感じなくなればいいのにと思うくらい、どうしようもない感情。
恋愛って早い者順じゃないじゃん。どうして奥さんと先に出会ってしまったのか。
でも奥さんと先に出会わなかった葉山はもう既に泉を愛した葉山じゃない。泉に愛された葉山じゃない。
誰かの力になりたい。陽の方向へ向かいたい。
それが「この人の」力になりたい、になって。
泉を愛し始めた葉山は紛れもなく奥さんの夫である葉山なんですよね。
私は葉山先生の人生の途中から覗いてるだけ。
葉山先生と奥さんの間にどんな恋があったか、どんな気持ちで愛していたか私は知らない。
葉山は嫌いだと言った映画、奥さんのDVD。
あなたが好きでも自分は嫌いだとは言えない「どこかでズレてるふたり」だったのか、好みが違うことを楽しめるふたりだったのかわからない。
償いなのか愛なのか情なのか。
私がわからないみたいに葉山もわからないのかもしれない。
思ったのは結婚をゴールとしない愛があって、そこに一番好きだから結婚した、そうじゃなかったから別れたってものさしは意味がないってことだった。
結婚は生活だから、人生だから、一生一緒に生きていくってことと恋は違うんだと、そういうんじゃなくて。
夢物語のような恋は絵本のように本棚にしまおう、そうじゃなくって、
一緒には生きて行かないことが最終形態になる愛があるんだなと。
泉と負い目を分かち合っていく道を選ばなかったんだ。
最初はそう思ったんだけど違う。
彼にとって「結婚した奥さん」と「それ以外の女性」に分かれるのではなく、「離れて生きていく泉」になったのかなと。
まずは戻ろう。
シンプルな気持ちに立ち戻るしかなかったんじゃないかな。
葉山は泉への気持ちで動けなくなって、動けないことがこれまでどんな事態を引き起こしたかを考えた。どうしようって迷い続けて自然に事態が好転しないかなって思ってるうちに人を追いつめてた時のことを。
そして「まず立ち返る」ことを選んだと思う。
奥さんへの気持ちはあった。まずはそこへ。そうしないことにはいつまでも奥さんを引き連れたまま泉のところにいることになる。
奥さんへの負い目じゃなくて、愛情を。 泉への感謝、泉からの感謝、それを感謝の形のままそこに置いて、進むことにしようって。ただの恋愛だったところに戻ろうって。
そして別れることを決めてからふたりの関係が現実になる。
現実になってから本当に愛してるんだと感じる。
交差した道のように触れてすぐに離れていくしかない道を歩いていると気付く。
それでもまだ私の気持ちはふわふわしてて、 もういろんなこと置いといて会いに行っちゃえ!ってまだ思ってる。
今回松本潤主演で映画化と聞いてすぐに原作を購入。一度読み、その後ニュートラルに戻すためにできれば忘れるぐらいでいいと読み返さず、そのまま公開を待つという形を取ったのですが、今所々読み返すと印象が変わる部分がたくさんあります。これ原作にあったんだ!って驚く自分の忘却能力のすごさ。
ここまで書いたことも、ああ原作にあるそういうことならちょっと変わってくる…って思うことがいくつもありました。
私はとにかく柚子の手紙が好きで、柚子の事件を映画からカットしないでほしいと思ってたので、あったことに安心。でも扱いとしては物足りない。同時に手紙の内容をカットするのは焦点がぼけてしまうからしょうがないのかなと残念になりつつも納得。そしてこの話もタイトルであるナラタージュのように、「直接触れずに浮かび上がる事件の形」だったのかなと思いました。
でもやっぱり残念。あの手紙は胸をつかむものがありました。
ふたりが結ばれる前のシーンはちょっと想像と違ってました。
よくドラマで描かれる、直接的なシーンは描かず気付いたら朝という「朝チュン」方式があるけど、個人的にあれは「前チュン」方式。ああいう綺麗な描き方はあまりピンとこなかった。原作にある、日常の生々しさの中で描いてほしかった。
最初映画館を出て興奮してつぶやいたりして、それ以来ずっと頭の中をナラタージュがぐるぐるしていたんだけど、全然言いたいことがまとまらない。そのうちまとめる必要あるの?ってその混沌としたまま放置。そしてまた不意にぐるぐるまわって。
着地点を見つけたと思ったらまた疑問がわいてを繰り返して、なのにそれがなんだか面白い。切ない話なのに、思い出すだけで不意にぶわっと涙が浮かぶような映画なのに、どこかでその翻弄されるのをずっと感じていたがってるみたいだった。
そして今でもそれはまだ終わってない。
ふとしたきっかけでナラタージュのことをずーっと考えたり。 何もまとまったものが浮かぶでもないのに。 そのせいでいつまでもこの感想が書けなかった。
いつ書き終えてもまだ途中のような、書いてたことを全否定したくなるような感覚があった。
99.9 2ndが始まる前に書きたかった。
形にならなかったものを中間報告みたいにおしこめて書いてこの長さ。
何度も何度も自分の中で反芻する映画でした。
いつまでも終わらない。 クセになる。
ヒーローが事件解決するカタルシス、その対義語ってなんなんでしょう。
ミステリが大好きで、自分の思いもよらない種明かしをされて伏線を回収されてそういうことかー!ってなりたい私が、奥へ奥へ行ってみたくなる、取り込まれていたくなる。
懐中時計のこととか言いたいことがもう山ほど…自分でも扱いかねてる感情を引き出す映画でした。
過去形が似合わない。まだまだ私はこの映画を見続けるんだと思います。 こっそりおすすめしたい。