さて、現代成人男子の嗜みの一つでもある、プリキュア視聴。(嘘)
僕は、年に数回ほど穴を空けるものの、ほぼ毎回リアルタイムで、ツイッター実況してるのですよ。

僕にとってプリキュアは、ほとんど脊髄反射的に突っ込みを入れるだけのネタ的消費コンテンツなので、あんまり大系立てた記憶の仕方はしていないし、それほど深く思うところもない!(キリッ

とはいえ、1年間視聴してきた「スイートプリキュア」が先週日曜(1/29)に最終回を迎え、多少の感慨も無きにしも非ずなので、軽く総括してみようと思うわけですよ。

ああ、このブログ、親も見てるかもしれないのに。


■実は道徳性を配慮
 
プリキュアシリーズといえば、対象年齢3~8歳(実際は小学校に上がると見なくなるケースが多い)の女児向けアニメである。
と同時に、勝手に大人の視聴者(大きいお友達)も増え続けている稀有なジャンルでもある。
そのシリーズ8作目となるのが「スイートプリキュア」であり、2011年2月から2012年1月までの1年間放送された。

前置きはこれぐらいにして。

スイートに限ったことではないけれども、プリキュアシリーズはおそらくは製作サイドの意向による、小さな女の子への影響を考えた道徳的な仕掛けがかなりある。
大きいお友達は、その点を踏まえた上で、展開の強引さ(超展開)や設定・脚本への突っ込みを入れたり、作画への批評やキャラに対する萌えの表明など、オトナの視聴を楽しむのだ。

幼女向けの道徳的な仕掛けとして、思いつくものを挙げてみる。

1.基本的に顔への攻撃はない。(敵と戦うこと自体が道徳的かという問題はあるが)
2.友情や物事をポジティブに捉えることの大切さなどが、テーマとして通底している。
3.水着姿など性的刺激のある描写が避けられている。
4.食べ物の好き嫌いの要素が避けられている。

ってなところだけど、今まで見て来て思うのは、2の要素が一番熱く描かれていて、子供に向けたテーマ性を重視する姿勢が素晴らしいってこと。

また、スイートプリキュアでは、敵を毎回「絶対に許さない!」のキメゼリフでやっつけていった末、最後(ラストバトル)には敵という存在を許し受け入れることで浄化するという、勧善懲悪で終わらない心憎い演出が為されている。

これは、善は善、悪は悪、という決め付けで終始すべきでないことを説く、という意味では好ましいのだけど、できれば最後にまとめるのではなく、頻繁にそれを入れて欲しかった気もする。
それでもまあ、勧善懲悪は、善悪二項対立の思考フレームを幼児に一旦提示する上では有用なツールであり、それを最後にポジティブに覆すという手法は悪くないと思う。

ともあれ、1年間放送されたスイートプリキュア。
その内容を、時系列で勝手に5つに分類して、軽く総括してみよう。


■1期:響と奏の友情構築
  
最初は、響と奏のプリキュア2人体制。
幼なじみの二人は、中学2年生となり、いつしか喧嘩ばかりする険悪な仲に。
この頃の二人は、過去の出来事などが原因で軋轢が多い関係なのだけど、ハミィにプリキュアとして見出され、事件を解決していく課程で、友情を取り戻し、信頼を築いて親友関係になっていく。

また、響は両親との関係を悪化させていたが、両親から向けられている愛情に気づき、関係を悪くさせていたのは自らの心の問題であったことを自覚することで、関係の再構築に成功している。

おそらく、本筋としては、対人関係においてお互いを信じることの大切さ、そうすることで夢や希望のある未来に目を向けて自己をどう確立していくのかが見えてくる、といったことが示唆されているのだけれど、大きいお友達は、その点を踏まえた上で、二人が友情を育む課程を百合展開になぞらえてネタとして楽しんだりもします。はい。

ハミィは、メイジャーランドから失われた幸せのメロディーを構成する音符と、それを探す救世主プリキュアとなる人物を探しに現れた、インキュベーター(孵化器)的な属性を持つ白猫のキャラクターなのだけど、響と奏をプリキュアへと導いたこと以外は、頼りなくも天真爛漫な性格で周囲を和ませる一貫した存在として描かれている。

その点、同時期に放映された大人向け作品「魔法少女まどか☆マギカ」のインキュベーターであるキュウベェとは対称的。


■2期:セイレーンの改心
 
セイレーンは、敵グループのトリオザマイナーを率いる悪役の黒猫として登場するのだけど、元はハミィの親友。
メイジャーランドの歌姫に選ばれたハミィへの嫉妬心から、敵に身を落とし、ハミィとプリキュア達と敵対するようになったのだけど、自身に対する友情を持ち続け騙されても信じ続けるハミィに対し、罪悪感を持ち始める。
有り体に言うと、セイレーンはグレたスケバンみたいな感じ。

結局、セイレーンは改心してハミィへの友情を取り戻し、3人目のプリキュアになる(この時に猫からヒトの姿に変わる)のだけれど、やはりここでもテーマは友達を信じる心の大切さであり、裏切られても尚友達を思うことの高潔さ、人と人の絆の深さだったかと。
セイレーンは、自身によって騙され陥れられたにも関わらず、ハミィが無条件に自分を受け入れ信じてくれたことで、心を救われる・・・。
「それでもハミィはセイレーンを信じるニャ!」
ここは、間違いなくシリーズ前半のハイライトだったかと。

このあたりのシナリオは、どのぐらい当初からあったものかは分からないけれど、震災が影響しているのかもしれないと想像する。
それは、オープニングテーマの歌詞が途中で、より家族や人との絆を重視したものに変更されたこととも無関係ではないだろうなと。

1期と2期に見られる、響と奏、ハミィとセイレーンの関係の変遷は、現実の人間社会でもありふれて見られる対人関係の軋轢、コミュニケーションの難しさといった問題を扱っていると思う。
その日常にありふれた問題を解決するヒントは、相手と正面から向きあうことや周囲の家族や友人の言動の中に散りばめられていて、そこに気づくことで自らを変えることができるという示唆に富んだ内容だったと、シリーズ前半のシナリオについては思う。


■3期:エレンとフェアリートーンの自立
 
セイレーンは、プリキュアとなりヒトの姿になったのを機に、黒川エレンと改名。
セイレーンという名を呼んでいいのはハミィだけ。
せっかく仲間になったのだから仲良くしようと歩みよる響と奏に対して、エレンは過去の罪に囚われて良心の呵責があり、なかなか上手く接することができない。
このあたり、何というツンデレ!と悶える大きいお友達が続出し、エレンの人気が急上昇。

エレンは、教会に住む謎のジジイ音吉さんの保護下で暮らすことになり、彼の計らいで学校に通うように。
夏休みと新学期を通じて、響・奏・エレンの3人は友情を深め、プリキュア3人体制も磐石になっていく。
エレンが響と奏との交流を通じて、自らの心を許し、ヒトの社会に溶け込んでいく課程が描かれたのがこの3期のエッセンスかと。

これはエレンの成長を通じて、周囲の人達の助けを借りながら失敗を恐れずに新しい世界に踏み出すことで、新たな楽しい経験を得られること、そうやって人は明るく成長していくということを示唆しているようで、一見軽いノリのエピソードが多い中で上手くメッセージを伝えていると思う。

そして、3期のもう一つのトピックは、フェアリートーンが人格的に振る舞うようになったこと。
フェアリートーンは宝石の形をした、キュアモジューレやラブギターロッドの付帯物のような妖精キャラだったのだけど、拡散した音符を収集するプリキュア達のミッションに対し、責任感を持ち始め、いろいろと奮闘するようになる。

これは、ハミィがただのマスコットにしておくには重いキャラになってしまったために、フェアリートーンの立ち位置と役割を、人格がある(セリフが多い)方向へシフトさせたのかなと。
このトピック自体はあまりメッセージ性があるとは思えないけど、子供を楽しませる彩り的なエピソードとして好ましいと僕は思う。

まあ、このフェアリートーンの活躍は、オープニングテーマを歌う工藤真由さんをCVに抜擢したことから、当初から予定されていたことが伺えるのだけど。


■4期:キュアミューズの正体
  
わりと初期からちょいちょい現れてはプリキュア達の危機を救うダークヒーロー的な存在が、キュアミューズ。
出で立ちがややドロンジョ様風で、オトナっぽいのだけど、正体は不明。

大きいお友達は、キュアミューズの正体は誰なのかと、ずっと頭を悩ませてきたわけで。
やれスイーツ姫だ、いやアコちゃんだ、いや響のママじゃないか・・・とか、いい大人が日曜の朝から喧々諤々。
いや、これが実に馬鹿馬鹿しくて楽しいのだけどw
で、結局、正体が小学生のアコちゃんだということが判明し、キュアミューズは、プリキュアシリーズ史上初の小学生プリキュア誕生という快挙?となる。

もう、このときの一部の大きいお友達共のtwitter上でのブヒリっぷりときたら、筆舌に尽くし難い。
(ちなみに僕は最後までエレン推しでした)

製作サイドとしては、メイン視聴層の幼女に年齢の近いプリキュアを誕生させて親近感を持たせようということなのだろうけど、一部の大きいお友達共がどうなるかは、当然予想できたはず。。
いやまあ、ほっとけばいいんだけど。

ともあれ、この4期では、キュアミューズの正体以外にもいろんなことが明らかに。
まずは、敵のボスであるメフィストがアコの父親であり、メイジャーランドの女王アフロディテがアコの母親であることが判明。
メフィストは封じられた邪悪の化身ノイズに洗脳されていたのだけど、アコの泣きの一手で洗脳が解け、元の安心パパに無事戻るという。
さらには、メフィストの父親が音吉さんで、かつてノイズを封じ込めた人物だということまで判明。
そのあたりのくだりまで含めてが、この4期。

もう少し真面目に書くと、このあたりでは、響・奏・エレンは、逡巡するミューズの気持ちやメフィストの苦悩と立場を思いやる余裕が見られ、ミューズを信じ、メフィストも守るべき対象であると判断するに至る成長っぷり。
それまでの自分達が絆を深めてきた経験から、他人のことが分かるようになってきたという、成長を見せてくれているっていう、ね、もう、パパは嬉しいよ。(誰がパパだ)

ちなみに、アコさんは正体が割れる前は、かなりすかしたツンツンキャラ。
それがもう最後には素直になっちゃってデレまくりという、
一部の大きいお友達共をイチコロに陥落させるあざとさは何なの?
と、この頃の僕はしきりに思ってました。


■5期:ラストバトル
 
メフィストというボスがいなくなったことで、下っ端トリオザマイナーにも変化が。
トリオザマイナーの一人、ファルセットが勝手にリーダーとなり、封じられし悪の化身ノイズの復活を目論むようになる。
ノイズの復活を阻止しようと、プリキュア、ハミィとフェアリートーン、音吉さん達は奮闘するが、ついにノイズは復活してしまう。
この前後付近で、トリオザマイナーの残りの二人、バスドラとバリトンが改心したような。

復活したノイズは不幸のメロディを完成させ、街の人々を石化させた末、メイジャーランドに攻め込む。
プリキュア達は、音吉さんが起動させた教会の敷地ごと戦艦にしたような乗り物だかラピュタ的な浮き島だかよく分からない微妙なものに乗って、メイジャーランドへ。

このあたりから、加音町にいたサブキャラは一切出てこなくなり(石化したから)、ガチバトルモードに。
ノイズは一度傷を負うも、部下のファルセットを吸収して最終形態に。セルかよ。
このあたりのバトルステージへの移動といい、ノイズの戦闘力インフレといい、実に雑で豪快で素晴らしい。

ここで面白いのは、バスドラとバリトンが現れて、ファルセットの末路を知り、
「あいつは嫌な奴だったけど、真っ直ぐだった」と憤ってノイズに向かっていくところ。
改心した後でも、ボスに忠実に奉仕する人物を評価するところが、仲間であることを諦めていないことを示していて、興味深い。
立場が変わったからと言って、かつての仲間を全否定しないという。
まあ、あっさりバスドラとバリトンもノイズに吸収され、プリキュア達に希望を託すのだけども。

この作品のラストバトルにおいて特筆すべきなのは、響とノイズの舌戦だろう。
戦いながら二人は、シャアとアムロも裸足で逃げ出すような激しい舌戦を繰り広げる。
まあ、子供にも分かるように、難しいことは言っていないのだけれども。
ノイズは、自身が人々の悲しみそのものが生み出した化身であると言い、悲しみは際限なく生まれるのだから、楽しみや喜びは必要ないと言う。
響は、悲しみが訪れてもその度に何度でも乗り越えられる、だから喜びをもたらす音楽が必要なのだと真っ向勝負。
響は、仲間を信じ、絆を深め合い、希望を紡ぐツールとしての音楽が必要だと。
ノイズは、そんなものはすぐに壊れるし、人は裏切るのだから、必要ないと。

そして響は、ノイズという悲しみの化身を受け入れて、その悲しみと孤独を癒し救うという答えを出す。
響に同調した他のプリキュア達も、心を一つにして最後のスイートセッションアンサンブルクレッシェンドを繰り出す。
打ち破られたノイズは、最後に救われた笑みを見せて消え去る。

このラストバトルシーンは短いながらも、エッセンスが濃縮された良いソリューションだったと思う。
響は悲しみを必ず乗り越えられると力強く迷いなく言うのだけれど、実際、大人ならあまりにも悲しい現実に直面すると心が折れることもあると考えるところ。でも、子供にそんなことを言ってもしょうがない。子供の心の底には未来を生きていく源泉としての希望があるべきなのだから。
そういう意味で、ラストの舌戦で響に言わせたセリフは、良い判断の産物だったと思う。

この舌戦におけるノイズの発言は、「~してもどうせ無駄」という消極性がもたらす暴虐と虚無を象徴しているとも取れ、希望を肯定する響の対論を際立たせているように思う。

また、ラスト1話を残してバトルを終わらせたのも、良い構成だった。
ラスト1話では、丁寧に物語の収集を図り、勢いだけではない綺麗な終わり方を遂げることに成功している。

このシリーズは、いびつになりやすい人の関係性の難しさと、その再構築によって生まれる絆の尊さがテーマとして通底していたように思う。
このことは、1000年に一度の大災害と無関係ではなく、災害復興への祈りが込められているのではないかと、勝手に推測する。

タイトルのスイートは、甘い"sweet"ではなく、組曲"suite"を意味する。
いろんな楽器、人々の絆によって組曲が出来上がると。
人は、最初から相手を信頼して正面から向きあうことは難しい。
最初から相手に深く関与することは難しいのだけど、その関係を育む難しさを一歩ずつ乗り越えることで得られる笑顔の絆の尊さこそが、まさに組曲を生み出すハーモニーなのではないかと。

余談だが、ノイズの声を担当した声優は、フリーザやバイキンマンでお馴染みの中尾隆聖氏。
いやーしびれるカコイイお声と演技でした。


■まとめ
  
いろんな見方があるだろうし、異論もあることとは思う。
一貫性云々は、他の要素をあげつらうと、いくらでも崩れるぐらい、プリキュアは雑なところもある。
幼女向けだからそれでいいのだ。
変にイデオロギーや整合性に拘ってもしょうがないのだ。
ということで、ここは一つ穏便に。


以上。




↓半額以下
スイートプリキュア♪ 愛のビート♪ラブギターロッド/バンダイ
¥5,145¥2,498
Amazon.co.jp



↓なぜか値上がり。
ハートキャッチプリキュア! フラワータクト/バンダイ
¥4,200¥5,780
Amazon.co.jp


だからと言って、ラブギターロッドが買いかというと、大量にさばけるとも思えないので、早まって100個とか注文しないようにw