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学生服のヤマダのブログ

ブログ書いてみます(恐らく限定的で・・・)

前回の「三子生」のレポでもありましたように
旧隧道を探し当てようと山に入ると
思わずうっかり峠まで制覇しちゃうって事
皆さんも経験ありますよね?←ヤマダだけ?

今回はそんな見事なまでの失策お蔵入りレポです^^
なので、結果は期待しないでお読みくださいませ。

今回お届けするのはこちらのトンネル。の旧隧道のレポ
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場所は・・・後ほどの考察の中で。
(あ、国道名で見当付いちゃうか^^)


探索日はファイルを見ると
またもや古く、2004年の1月。
そのきっかけになったのはよくお世話になってる
「隧道リスト」の情報から。
現トンネルが300mの長さなのに、リストでは100数十m!?
こう聞くと皆さんなら思いますよね?
「これはもしかして!?」
「もしかするわ!!」って。

そんな訳で早速現地に赴いたヤマダは
現トンネルの横に続く道を登っていき
こんな光景を目の当たりにした訳であります。
イメージ 2


おお!
道あるじゃん!道!!
はい、たぶんお分かりになると思いますが
念のため赤線で引いてみますと、こんな感じに
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あ、なお写真中央に赤く見えますのは
でっかいミミズのように見えますが、あれはただの排水管であります。

しかしながら、取材地であります高知には本当にでっかいミミズがおりましてね
しかも長さも3~40cmほどで
太さも気味悪さもこんな感じのミミズが
普通に道路を横切ってたりします。(あれって全国どこにでもいるのかな?)

地元の方は愛称をこめて「かんたろう」って呼んでますが
正式名称は確か「シーボルトミミズ」。
医学を伝えてくれた
かのシーボルト博士が見つけて命名されたそうな。
あ、すみません。話が逸れてしまいましたね^^


実はこの道筋、さら地の工事のために下はプツリと途切れてしまい
途中からよじ登らなくちゃならなかったんですよね。
で、登った写真がこちら
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あの先でプツンと途切れてしまってます。
つまりは生粋な廃道な訳でありまして
この時点で間違いなく「旧トンネルゲットだぜ!」と
気合の入ったヤマダでありました。

それになんてったって、この道
状態がきれいなんですよね!
もうテンションあがりまくり♪

その後なんどかつづれ折りした写真がこちら
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すごいっしょ!?
しかもちゃんと車がきれいに通れる幅も備わってるんだから
こりゃ、旧トンネルを見つけられない方がおかしいってもんでしょ?!

さらに登ると
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おお!年代ものの土管まで!
確かどこかの旧道にもこんなのがあったよな。
うん、これは確かに力の入った道だ!
しかも嬉しいことにこの更に上にはもう九十九折はない!
という事はあとはもう目的地まであと登るのみ!

この時期は草木は少ないものの
かれた棘が密生していてすすむのは意外と困難だったんですよね~。
でもこの光景を見たら、そんな泣き言も吹っ飛んでしまいます。

よ~し!気合入れて登るぞ~!
って登ったとこから振り返った写真がこちら
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ど、どこまで登るねん!^^
さっきの土管の見えたあたりは写真の奥のさらにもっと奥の方・・・
写真でわかりますかね?結構な角度でかなりの高度を
一気に登ってきちゃってるんですよ。
道はきれいなままで嬉しいんですけど・・・。
ちなみにここから下を眺めた写真がこちら
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えっと、中央の一番白くなってるとこ辺りがさっきの広場あたりでしょうか・・・
で、この時点でもう一つ気になる事が・・・
おもいっきし、山のピークがすぐそこまで迫ってきちゃってるんですけどぉ~?

そして・・・ついに
イメージ 9


じゃ~~~ん!
やりましたよ!ヤマダ!
見事に峠のピークを制覇しましたよ!!
ってダメじゃん!

ってここ隧道跡??
違うよな?どう見ても長さ100mはないっしょ?
じゃぁ?他の場所に隧道が??
いや、ヤマダは隈なく目を皿のようにして見回してましたが
そんな痕跡は一切見られませんでした。

仕方ないな・・・
それならセオリー通り
反対側の道筋を辿りながら探して降りようか・・・。
と思って堀切に足を踏み入れた瞬間。
ぷつり・・・。

え”?
その先、道がないしっ・・・。
(あ、写真は撮ってません。だってただの森だけなんですもの^^)

はい、この先はまるで道の痕跡はなく
せいぜい獣道程度の細道が下に向かってるだけでした。

ええ??なんで?
こんなに立派な道がちゃんとここまで続いていたのにぃ?
なんで??
「・・・説明しよう」
ヤマダ「え??だ、だれ?」
「ボク?ぼくはかんたろう。高知に住む大ミミズさ」
ヤё「(っち、ミミズ風情に説明されたくないわ・・・)」
かё「え?何か言った?」
ヤё「いや、なんでもないよ。で、この道はいったいなんなんだい?」
かё「この道は林道さ」
ヤё「林道?」
かё「そう、古い林道で昭和の初め頃に切り開かれた林道なんだよ」
ヤё「そうか、だから道の感じが同じ年代の古道のと似てたんだね」
かё「そうだよ。森林鉄道とは違い車で運び出す道だったからしっかり広く作ってるんだよ」
ヤё「ふ~ん、でもなんでこんな所で道が途切れちゃってるのさ?」
かё「それはここが県境だからだよ」
ヤё「県境?」
かё「そうさ、この道は”県営の林道”だから高知の県境までしか開発してないんだよ
   ほら、そこに杭があるだろう?」
ヤё「ああ、この赤い棒のやつ?」
かё「そう、それが県の管理してた時の境界線なんだよ。わかったかな?」
ヤё「ああ、わかったけど、じゃぁこの道はトンネルの旧道じゃないんだね」
かё「そうだよ」
ヤё「じゃぁ旧の古いトンネルがあったなんて話は聞いたことない?」
かё「え?ないけど、なんで?」
ヤё「だってこのリスト見てごらんよ、今のトンネルよりも短いじゃないか」
かё「ははは、よく見てごらんよ、高知148m愛媛176m・・・合計すると・・・?」
ヤё324・・・げ」
かё「あはは、そうさ。今のトンネルとほぼ同じって訳さ♪」
ヤё「って事は、ここまで来たのは・・・?」
かё「骨折り損ならぬ、藪こぎ損のくたびれ儲け♪ってやつだね^^」
ヤё「ぬおお、ミミズごときに言われたくないわ!」
かё「じゃぁ頑張って降りて帰ってね♪」
ヤё「ちょ・・・どこか他に降りられる道はないの?」
かё「そんなのある訳ないじゃないか♪
   車に戻るまでが探索だからね。
   気をつけてまた藪の道帰るんだよ。アディユ~」
ヤё「お~い、おいてくなぁぁぁ・・・」
・・・
なんて幻覚を見たり見なかったり・・・。

仕方なしに、とぼとぼ帰途につく訳ですが
さすがに猛烈な藪にもう1度突っ込む気力はなく
2枚前の写真の急斜面を、ただ重力に身を任せ
駆け下りて(ずり落ちて?)いくヤマダでありましたとさ。おしまい


最後に簡単に考察をば。

こちらは高知県と愛媛県にまたがる
国道494号線の「境野トンネル」。
こちらも古くからの街道筋らしくて
あの切り通しも往時の街道か?とも思いましたが
どうやら古来の峠道はもう少し北側を通ってたようですね。
(確かにトンネルに至るまでの高知側は急な上り坂で
とてもかつての道にはみえませんでしたし
古道ならではの石碑の類も見受けられなかったですからね)

レポート内にもありますように
例のトンネルリストには
愛媛県道池川久万線:境野176m
高知県道池川久万線:境野148.4mと、あり
この数値にものの見事にだまされたという訳です。
(ってわざわざ県ごとに分けて下さるな^^
同じ高知の四ツ足峠トンネルとか
ちゃんと一つにまとめてんじゃん!)

でも旧隧道はなかったか?と言えば、それはうそになりまして
前回のレポの中でも先述の
「廃線隧道のホームページ」(byしろさん)によりますと
昭和10年の隧道を改修されて今のお姿になっているらしく
初代の扁額がトンネル内にちゃんと保存して下さってるようですよ。
(ありがたい限りです)

現在の長さ323.0mと若干異なるのは
改修の際に地すべり対策などで坑口が延長され
長さが変わったのかもしれないですね。
(もしかしたら、最初の写真の平場がその影響かも?)
まあ、いずれにせよヤマダはこんな風に
得てして峠を知らずのうちに極めてしまう
そんな事が多々あったりしますので
また別の機会にそんな話ができればな・・・なんて思います。

以上、おまけのおまけのレポでした。

「三子上」の隧道では長々とお付き合いありがとうございました。


「なぜこんな高い所をわざわざ?」・・・といえば
大御所さんのサイトでもよくレポートを拝見しますように
山間部ではその「高巻き」ぶりが顕著にみられますよね。

こちらは当方の山あいの
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とある古道。

と、そこからの風景。
イメージ 2

うんよい眺め

写真にも記載の通り現在は、はるか向こうの対岸の
その一番谷底現国道が走っております。

その沢筋に隧道が掘られようやく車道が開通したのが昭和の初め。
それまでこの上流にある村(向かって左ね)に向かうには
こんな高さまで迂回しないとならなかった・・・
そんな時代の道からの景色であります。

この道をさらに進んだ山あいにも古くから人々の生活があり
手前に見えるきれいな道筋は
国道とその集落を結ぶ連絡道。
この道が開かれた昭和の終わり頃までは
そこに向かう為には比較的緩やかな上流側から登るか
(わざわざ迂回して登ってくる感じでね)
この旧道を歩いて来るかでないと
向かえられなかった、そんな集落だったようです。

もちろん山あいとはいえ、かつての主要道でありますので
険しいといえども・・・
イメージ 3


こんなも残ってますし

上下に分かつ分岐点も
イメージ 4

ごらんのようなしっかな造り♪
(ヤマダは上の道から来ました・・・帰りは下の道へ)

古き道を愛して下さってる皆様に
こちらをお届けさせてもらいますね。

(その2から続く・・・)

ちなみに隧道前の平場から見た景色はこんな感じであります。
イメージ 1

おお、いい眺め♪
下に見えるのが出発地点(の養鶏場ね)。
ここから見るとかなりの高さなのがおわかりいただけますでしょうか。

下から見た写真がこちら。
イメージ 2


平場から峠にかけて電線が通されてましたので
大方の位置関係が判るかと思います
(あ、でもこの縮尺だと電柱わかりずらっ)。

片や反対側といいますと、同じ写真で恐縮ですが
こんな感じ。
イメージ 3

電信柱が隧道跡地。
その左上には鞍部もうっすら開けて見えていますよね。

そうなんです。
川が半島をぐるっと回っている間に
これだけの高低差が生じているのです。

でも・・・
ちょっと待ってみて下さい。
地形図を見る限りでもそうですが
現道を走った方(ストリートビューで疑似でも可)も
お気づきになるかと思いますが
現道はさほど険しい道ではないのです。

緩やかに高度を上げて走っている軌道敷きも
さほど難所を乗り越えずとも上流側に合流しています。

では、なぜ旧道だけこのような尾根越えの道を
選ばなければいけなかったのでしょうか?

その答えはこちらにあるのではないかと思われます。

イメージ 4




















(個人のお宅ですので極力小さくしてボカシをかけさせてもらってます)
こちらは神社から参道を下り
軌道に戻ってきた辺りで撮らせてもらった1枚なのですが
ここは沖縄や石垣島?と思うばかりの
頑固な石垣で家屋が守られておられたのです。
(上流側より撮影)

そうなんです。
地図を見て頂いてもお分かりいただけますように。
ここは2つの流れが交わるいわゆる「出合」の地。
本流の奈半利川と比べれば短い支流かもしれませんが
多雨で知られる魚梁瀬と同じ地域にして
南東斜面が大半を占めるこの流域。
もちろん現在は護岸工事も進んでおりますし
河床から家屋までの高さも十分ありますから
これほどまでの囲いが必要あるのかな?と、つい思ってはしまいますが
治山治水が行き届いていなかった当時の荒くれぶりが
どれだけ手に負えるものではなkったかという事は
想像にたやすいと思うんですよね。

だから祖先の方からの古い教訓として
家屋はもちろん生活の要である「道」もこのように高巻きをして
守って来られたのではないのでしょうか。


古い地図を目にしてますと、似たように
「えっ?こんな所にトンネルを掘ってまで?」という箇所が
随所に見受けられます。

わかりやすい例では
「廃線隧道のホームページ」のしろさんに調べて頂いた
「現状報告」内にあります
福井県の「松ヶ谷隧道」も同じく出合の地ですよね。
ここも同様の経緯で通されたんじゃないかと思います。


話は戻りまして・・・


隧道を満喫した私は先人の方への感謝の意をこめまして
旧峠道も実際に登ってみました。
イメージ 5
(立派な暗梁もちゃんと感謝して踏みしめさせてもらってね^^)。

イメージ 6

そこから尾根伝いに神社に向かい再度参拝をすませまして
表参道を下った軌道跡に・・・。


前にも書きましたが、こちらは民家の裏庭で
2回目に訪れた11月は土佐の文旦(だったと記憶してます)の収穫期。
そちらの庭先でも収穫したての文旦を
親戚(ご近所さん?)一同で選別してる真っ最中でありまして
すごく爽やかないい香りが立ち込めておりました。
その香りに釣られるかように、そのお宅へ・・・と、言いたい所ではありますが
なんせヤマダは、まったくもって場違いな方向から顔を出した
不審者当然な者でしたからね^^
(極力怪しまれぬように・・・)笑顔で、そのいきさつを打ち明かして
素直に道のことを尋ねるほかなかった・・・と表現する方が正解かと思われます^^
(お忙しいさなか、まっことすみませんでした)

快く受け答えして下さった、そちらの方によりますと・・・
・本流にかかる橋(落合橋)ができるまでは旧道とトンネルで行き来されていた。
(たしか昭和40年頃とお聞きしたような・・・)
・その後も行き来はしていたが子供たちが入ったら危険だという事で
トンネルも埋め戻された。
・・・とのことです。

恥ずかしながら橋の竣工年を確認し忘れてしまってきてますが
その年代にしては橋が真新しそうだったので
もしかしたらその後改修されてるのやもしれません。
(これも水害だったのでしょうか?)

また神社の境内もきれいにされていましたので
秋口には今でも収穫祈願(感謝)のお祭が
執り行われているのでしょう。
最初に間違えて神社まで登頂してしまった登り坂(九十九折)も
確かに手すりも設けてあって、しっかりとした作りでしたしねぇ。
お祭りがあるとなれば近所のお子さんらも
喜んで登ってくるでしょうから
その脇にこんな怪しげななんて見つけてしまったら
かっこうの遊び場になるのは目にみえてますからね^^
埋め戻されてしまのも納得かと思われます。

今回は森林鉄道に着目してた訳ではありませんので
(というか、要所だけ手短に聞かせてもらっただけなので)
林鉄についてまでは詳しく聞けませんでしたが
道の経緯に詳しい方にお会いできて
収穫時期というタイミングで本当によかったな、と思いました。
(本当にありがとうございました)

ちなみに2回目の訪問時(11月)には
北側の斜面でちょっとした崩落もあり
その時点で九十九折は登れないようでした。
冒頭にも書きましたように
2004年時点の探索をもとにレポートを仕上げてますので
現時点での状況に当方は責任を負いかねます。
また一部民家の敷地のような個所もありますので
その点も留意していただけるよう、あわせてお願いいたします


最後に
今回のルートをまとめてみますとこんな感じであります。
(地理院の3D機能、拝借失礼します・・・)
イメージ 7

また
今昔マップに当時の道路だけ無理やり重ねさせてもらいますと
こんな感じでしょうか。
イメージ 8

1970年代のお写真では「落合橋」はもうすでにかかってますね。
でも県道は広く改修される細道のままですので
こちらが隧道が旧道落ちした当時のままの姿なんじゃないでしょうかね。
う~ん、隧道前の平場も、ぎりぎり見える?かな^^


道の遺構は年々廃れて、つい忘れ去られてしまうものではありますが

イメージ 9

こちらの林鉄の橋梁のようにいつまでも語り継いでいただけからと思い
この尾根にひっそりと残る隧道の歴史を資料として
ここに残させてもらいますね。


長々と失礼しました。ヤマダ