学生服のヤマダのブログ

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ブログ書いてみます(恐らく限定的で・・・)

先日の「雲井滝」つながりのお話です。
 (なお、つらつら講釈のようなものを綴ってはおりますが
  歴史的な資料などいっさい調べもせんと
 「憶測」のような独り言を
  駄弁ってるだけでありますので・・・ご了承のほど^^)


先日「滝がある」とお伝えしたものの
あのように、ほぼ山頂から流れる滝
どこから水流が流れ集まるのだろう?と気になって
地形図調べてみましたら↓


分水嶺で囲んでみてびっくり。
流域面積めっちゃ狭くないです?
いやいやさすがにこの面積では
地中に蓄えた水分、目いっぱい集めたとしても
写真で見る滝の水量にはならないでしょう?
それに現在は「朝山森林公園」として
散策できる山上の開けた平地。
想像するにここは
かつて水田であったであろう場所ですよね?
(古い航空写真からかいま見ても)

なんでもこちらに鎮座します社は
出雲大社が建立される前から歴史が残る由緒ある社で
おそらくは古来よりこの山上で収穫されたご神米を奉納し
日本海が一望できる滝の上部より
地域の五穀繁盛を祈願されてたのではなかろうかと思うのです。

それならなおのこと
水田を潤すのに十分な潤沢で安定した水源が必要だったと考えるのが必然で
考えうるに・・・
1つは岩の多い周辺の山々の地形からして
岩の割れ目より地下からの水が自然と湧き出でる個所があり
古来よりあったこの雲井滝を神々しく思い
この地に社を建立した。
2つ目にはそれでも1年を通して水量が安定するのは難しいだろうし
ご神体である滝の水源を利用すること自体はばかられるかと思われますんで
高度差を巧みに利用した水路を新たに拓くことで
周辺の山々からの雨水を引水して稲作に利用した。
と考えられます。
(この地がすでに灌漑という概念が定着していたということが
島根の古代文化センターさんの記事からも見てとれました。
ご参考までに・・・
「弥生時代のかんがい用水路」より)

山上の標高がおよそ140~150mくらいですので
等高線の150くらいで線を引けば
南西に伸びてる細い尾根からも引水できたでしょうし
もし簡易な水路隧道を開鑿する技術があったとしたら
南の大袋山系のあたりから・・・とか
さらに工夫すれば稗原ダムの野尻川水系からも
導くことが可能だったんじゃなかろうかと思う訳ですね。
(さすがにそれは飛躍しすぎか)

あ、ちなみに神社の境内はもちろん
山の頂き部分は神聖な聖域ですからね。
無粋に探索などしませんからね^^
妄想の範疇で楽しんでるだけですので。かしこ。


そんな狭い圃場の為にそこまでしなくとも・・・とか
もっと広大な土地が他にも見受けられるのに・・・と
今の人からみたら、そう思われるかもしれませんよね。
しかしながら、このような狭い土地であっても
当時としては圃場としてなくてはならない地であった
そんな場所もありまして
当方徳島にそんなエピソードが垣間見える地域があります。

その場所は徳島市のちょっと山あいに入った辺りにあります
「入田町内ノ御田」という地域です。
読み方は「うちのみた」と読みます。
場所はこちら↓
https://maps.app.goo.gl/Nojg9kzFTHySq3xV8

大体このような感じの風景です。
https://maps.app.goo.gl/9VPFKGMq8Xw2icrx7

こちらは「御田」の名の通り
朝廷に献上するための奉納米を
生産するために選定された地域で
そこで作られたお米は山を越えた先にあります
「白鳥神社」から奉納されていたとのことです。
どの文献で読んだか失念してしまいましたが
確か時代としては「荘園」の頃の時代。
まだ白鳥神社が海に面していた時代の話だそうです。
そう。
「徳島」や「小松島」もその名の通りまだ島だった時代で
白鳥神社から船で運んでいたそうな。
海だった頃の名残りは地名にも残っていまして
内ノ御田の隣に「海先」という地がありますよね。
ここは元々「海見山」という地区と「先田」が合併してできた地名で
そこにある小高い海見山からは本当に海が眺められてたそうです。

・・・そして時は流れ・・・
海であった土地が平地になり
献上するにも船での荷出しが能わなくなったこの地に変わり
香川にある現在の白鳥神社がその任を引き継ぎ
内ノ御田の役割を引き継いだ田んぼが
「引田(ひけた)」になるそうです。

全国の中で見たら本当に小さな地域のようにしか
思えないかと思いますが
安定した平地が少なかったであろう背景を鑑みますと
「御田」と名付け大切にされてたのもわかりますよね。
おそらくは雲井滝の地と同じように
灌漑の技術をいち早く取り入れ
豊かな水田を造り上げ
それが現在まで脈々と受け継がれているんでしょう。

・・・
朝山神社の「雲井神苑」には
滝の上部から眺めた出雲の展望が
イラストでしめしてくれていますが
古代の方々にはどのような景色が映ってたんでしょうかね。
そんなのを地形図を眺めながら
考えるのが好きなヤマダでした。
(まいどの長文、失礼しました)

自分は地図を眺めるのが好きで
地図で気になる所を見つけては
想いをはせたり
そのまた逆に
旅行先などで道すがらに目にした景色を思い出しては
地図で探したり、ネットで検索してみたりして
ああ、あそこは、こういう所だったんやなぁ・・・
思い返すことが多くあります。
(2つ前の広島の橋みたいにね)

それでも
あれって見間違いだったんかい?な
それとも幻覚??」的な事案も多々ありまして
もうかれこれ7、8年の話にはなるんですけどね。
場所もあいまい過ぎるし、いっさい検索にも当たらんし
そもそも高速からの一瞬の景色だったので
それこそ見間違いが正解なんやろな、って箇所があるんです。

場所の記憶も
だいたいこんな感じの景色が開けた瞬間に見えた場所」って候補は

2、3か所はあがるんですけど
なんせ、2日旅の遠征の初日に見たのと
今みたいにスマホなど持ち合わせてない当時の我が家でしたからね。
事前に組んだ旅のスケジュールを完遂するのに
脳のメモリー使い果たしちゃってましたから
記憶なんてもうアバウトもいいとこなんですよ^^

ただ文明の利器といいますか情報の進化といいますか
「おそらく、ここなんじゃね?」って場所までなんとか特定できましたので
今こそ全ての日本国民の皆様に問いたいと思います!

出雲の高速走ってて、車窓から
滝!
見たことあります??
(あ、すみません地元の方か現地訪れた人しかわかりませんよね^^)

走った事のある方ならわかると思うんですけど
出雲大社近くの出雲インターから高速乗って

宍道JCT目指すと、ほぼほぼトンネルばかりですよね?
たまに出る明かり区間でようやく出雲らしい景色を拝見できるのですが
自分の記憶では
 ①高速乗ってすぐのとこ!
 ②向かって右に開けた場所!(南側ね)
 ③道路脇とか近くではなく

   正面に見える山の
   それこそ山頂付近の高い位置に滝!

そんなシチュエーションだったのです。


これだけのインパクトある景色なら
帰って探せばすぐ判るやろと、たかくくってましたです。はい。

ストリートビューさんでもそれと思しき箇所見当たりませんでしたし
そもそも目視できるほどの大滝なら
写真一つ上がっててもおかしくないでしょう?

そんなこんなで月日が経ち
どなたか経由で出雲の地図をなにげに見てましたら
あれ?ここそれっぽくね?って箇所が見受けられましてね。
それならばと、皆さまにお伺いしたいなと思った次第なんですよ。

その場所と言うのがここ↓
https://maps.app.goo.gl/HGhbe9qQ3axMFg8y9
 

このくぼんだ辺り

(↑勝手に画像加工したらあかんかったら削除します。)

また別の年代の写真ではこちら
https://maps.app.goo.gl/amjoxXzP4eSXsYdA9

これならうっすらそれらしい筋見えません?

そこにおわします
「朝山神社」と「滝」で検索してみましたら
ありました。

雲井滝!(読みは「ういたき」)
写真も載ってる♪

あれ?でも待てよ・・・
写真家さんの話でも滝の全体像は見えないとの事・・・
またある方の記事では
昔は下の国道からでも見えたが今では木が多くて見えないと
地元の方に聞いたらしい・・・。
じゃあ、高速から見えたあれはまた別物?なんでしょうかね^^
それとも
いわゆる「はだかの王様」よろしく
こころの清き人しか?・・・以下略・・・

また地元でご存じの方や
同じ疑問でモヤモヤされた方いらっしゃいましたら
こころの声でお伝えくださいね。
 

(くれぐれもわざわざ見に行って

脇見運転だけはしないようにご注意くださいませ!

これはガブり運転

あ・・・だから敢えて宣伝してない案件?)


追記:
ちなみに当日の旅行スケジュールはといいますと・・・
朝3時に出発
早朝ベタ踏み坂出雲大社
昼→秋芳洞→柳井にて泊
翌日
早朝宮島平和公園
昼→倉敷美観地区→香川のうどんで〆
という日程でした。
 

ん?待てよ?
ベタ踏み坂
鳥取県跨いでんじゃん?
てことは辛うじて中国地方
5県こんぷり?
でも高速の乗り放題で
しばき倒せるからと言っても
さすがにこれはしんどかったかも?

あ、思い出しました。

当日、尾道からやまなみ街道越える道すがら

前も見えんくらいの

物凄い土砂降りに見舞われたんでした。

もしかしてあれか?あれの影響だったのか?