地域紛争からグローバルな大戦へ向かうのか? | CAPIN(キャピン)公式活動報告

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認定NPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワーク CAPIN」
公式ブログ

ガザの痩せこけた犬や猫。

骨と皮となったパレスチナの子どもたち。

子どもを含めた民間人に狙いを定めるイスラエル。

やがてレバノン、イランを巻き込んだ。


ヨーロッパ。

ロシアにより爆撃を受けたウクライナの動物保護施設。

餓死した畜産動物たち。


爆弾を避けながら現地に留まり動物たちに水と食糧を運ぶ人。


これが21世紀なのか。理性もち互いに敬意を表しながら、話し合いと交渉で解決する道を探れなかったのか。あの凄惨な第二次世界大戦を経験した私たちホモサピエンスは。


コロナ禍が明けた世界はさっそく闇に満ちています。コロナが明けないほうが地球は平和だった。




ホロコーストは間違っていなかったと言い出す人が出てもおかしくないのでは?現在のイスラエルがやっている非人道さを見れば。との声が囁かれます。そんなはずはないのに。ホロコーストは、確かに起きてはならなかった。



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日本に在住して20年、ヨーロッパ出身の友人から、もう日本を出ようと思う、と連絡がありました。

地震も怖いが、、、日本は戦争に巻き込まれる。

彼らは核を使うかもしれない。日本は自給率が低いので、瞬く間に食糧不足となるだろう。北海道はすでにロシアのものだとプーチンは話している。それを英語放送で聞いた、と。

外国人は避難所に受け入れられないし物資はもらえないだろうから、と。

絶望した友人に、かける言葉は見つからず。





数日前からウクライナ情勢が深刻化しています。


地域紛争から様々な国を巻き込んだ世界大戦に移行するのではないか、、

今、世界で緊張が高まりつつあります。


民主党のアメリカ大統領バイデンがウクライナに核兵器使用基準引き下げ、長距離弾道ミサイル使用、対人地雷使用許可にGOサインを出しました。

退陣前に軍需産業にひと儲けさせるためか?

トランプはウクライナ支援に消極的だから。


ロシア領に打ち込まれたミサイル。

反発するプーチン。


北朝鮮もロシアに派兵。


イギリスはウクライナに武器を供与。

マクロン仏はウクライナに派兵を議論し始めた。

宗教のベールをはげば武器商人。

だれが戦争で儲けるのか。

軍需産業です。





友人から言われたこと。


あなたたちは犬を守らねばならない、と。



かつて、日本人は犬を食べました。


第二次世界大戦の食糧難の際、犬の飼育は贅沢だと見なされ、柴犬、秋田犬たちはみな供出され、撲殺されたのです。


以下、引用させて頂きます。


あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと






(略)


...



なかでも犬たちを直撃したのが「節米運動」だ。当時、犬は人間の残飯をもらっていたので、これは死活問題になった。何より周囲の目が厳しくなったのである。「人間でさえ米が充分に食べられないのに、犬ごときに米を食べさせるとは何事か」と。

 

 翌昭和14年(1939)には、燃料不足から木炭バスが走り出す。国民徴用令も公布された。そして翌昭和15年(1940)、犬にとって決定的となる出来事が起こる。

 

 2月13日、第75回帝国議会の衆議院予算委員会において、北昤吉議員が驚くべき発言をしたのである。この日、北議員は畑陸軍大臣に対し、まず「非常時には統制を強化しなければいけないと言いつつ、閣僚たちは実際には何もしていない」(趣意)と批判した。そして「軍用犬以外の犬猫を全部殺してしまう。そうすれは皮は出る。飼料はうんと助かります。そこまでやらなければ、統制は強化にならぬと思う。陸軍大臣のお考えを承りたい」と迫ったのである。ちなみに北議員は、二・二六事件に連座して処刑された北一輝の実弟である。

 

 北議員の質問は人々を驚かせた。畑軍大臣でさえ、「犬を全部殺して愛犬家の楽しみを奪ったが良いか悪いかにつきましては、なお折角検討いたしたいと思います」と、受け流した。

 

 愛犬家で知られた荒木陸軍大将も、帝国軍用犬協会の機関紙『軍用犬』に掲載された座談会で、「了見が狭い」と苦言を呈した。この時点では陸軍さえ驚く極論だったのである。それが、あっという間に国策のようになっていったのだ。ちょうど今、NHKで放送中の朝ドラ『ブギウギ』が、この時代を描いている。

 

 翌昭和16年(1945)、日本は取り返しがつかない決断をした。対英米戦、つまり太平洋戦争に突入したのである。すでに物資が欠乏し、前年に「ぜいたくは敵だ」という標語が登場していた。両国の国力差は歴然で、誰も勝てるとは思っていなかった。何しろ地力も技術力も違う。当時、アメリカの国民総生産は日本の12倍だったのである。しかしなぜか、日本はそういう決断をした。

 

 案の定、戦局はすぐに暗転する。あらゆる物資が足りなくなるなか、贅沢の象徴として犬に敵意が向けられるようになった。そこから犬猫献納運動、犬の供出が始まる。毛皮などにして戦争の役に立てるため、自主的に警察に出向いて引き渡すのである。

 

 しかし太平洋戦争後期には、出征による人不足や機材の欠乏によって、どの産業も崩壊しており、皮革の製作も不可能だった。毛皮として使われた形跡もない。警察署の裏に遺体が山積みになって放置されていたという目撃証言が、いくつも残されている。

 

 結局、「犬など飼っている場合ではない」という、戦争遂行への覚悟を促す象徴的行為として行われたと言えよう。始まりの時期は地域によってばらばらで、早いところでは、開戦後間もない頃から始まっていたようだ。その動きは草の根軍国主義に支えられ、燎原(りょうげん)の火のように広まっていった。

 

 当初は国の施策ではなく、国民運動として下から盛り上がっていったのである。当時、兵役を終えた一般人の組織である在郷軍人会が強い力を持ち、草の根軍国主義を支えていた。彼らが「お国のために!」と主張すると、誰もそれに反対できない。

 

 それを後押ししたのが、地域を小単位で組織した隣組である。配給も隣組を通じて行われ、同調圧力の推進装置となった。「犬を飼うのは贅沢」「戦争に協力しない非国民」という空気は、隣組の水も漏らさぬ監視によって成り立ったのである。別に法的根拠があるわけではないが、同調圧力には逆らえない。最後まで抵抗したのはほんの一握りで、多くは泣く泣く犬を連れていったのである。

 

 犬の供出も他の事案と同様、資料の多くが敗戦間際に焼却されており、全体像を把握するのは難しい。しかし、断片的ではあるが体験が残されているため、後世の我らもその一端を知ることができる。

 

 ヤマザキ動物看護短期大学教授(当時)で、日本におけるトリマーの草分け的存在である福山英也は、家に教師が来て「戦争をどう思ってるいるのか!」と詰問された体験を語っている(2006年8月15日付東京新聞)。父親は、何年もかけて集めた犬関連の写真や雑誌を全て庭で燃やし、福山はそれを見て泣いたという。

 

 『犬やねこが消えた―戦争で命をうばわれた動物たちの物語』(井上こみち著)には、かつて柴犬を供出した女性と、いい仕事があると誘われて行ってみたら、供出された犬を撲殺する仕事だったという男性の、辛い体験が収められている。その心の傷はいまだに癒えないそうだ。

 

 戦争末期の昭和19年(1944)12月、国は事態を追認する形で供出を公式に認めた。どうしても供出できず、山に捨てに行った飼い主もいた。昭和44年(1969)に出版された『戦争中の暮しの記録』には、愛犬をリュックに入れて東京を脱出した女性の体験が掲載されている。例外的な事例だろう。多くの飼い主は深い痛恨のなかで、過去を封印するしかなかった。

 

 保存活動がやっと軌道に乗ったばかりの日本犬は、とくに大きな被害を受けた。秋田犬に至っては十数頭まで減ってしまったのである。この時期、日本の犬はまさに絶滅の危機に瀕した。こういう史実も時と共に忘れられていく。せめてこうして書き残し、二度とこういう時代が来ないことを静かに願うばかりである。




こちらから引用させていただきました。上矢印上矢印上矢印



キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


あのとき日本人は、食べなくても、とにかく犬を集めて殺したのです。


今は信じがたいこと。


が、日本人は、大義名分のためなら、集団の道具となって、非国民をリンチし、信じがたい忍耐で、残酷さを受け入れることができる民族です。


歴史は繰り返されます。それを忘れてはいけません。



いまは大津波を起こせる軍事技術もあり、

狭い島国に老朽化原発がひしめく日本はひとたまりもありません。


富士山噴火による火山灰でも原発事故が起きます。

放射能汚染で立ち入り禁止区域となる地域もさらに広がります。


活断層は全国にあり、南海トラフには限りません。


戦争は最大の環境汚染。

核を使用すれば、あらゆる生命体が生きていかれぬ死の国を広げることになります。


この先 数百年、立ち入ってはならないエリアとなるのです。


愚かなホモサピエンスは、子どもたちの未来を破壊し、地球に暮らす動植物に多大な迷惑をかけながら、自滅の道をひた走り続けるのでしょうか。



ホモサピエンスは欲に駆られて動物たちに迷惑をかけ通し。


こちらは何もいらない、

どうせ何も持っていないですし。


ただ平和に、

シェルターで動物たちを世話させてほしい、


同じ志で、動物たちのためにささやかな行いを重ねて暮らす巷の庶民たちが世界中にいることは、SNSのおかげで分かっています。


何ができないだろうか。


何かできないだろうか。


by鶴田真子美(おかめ)