FIPで療養中だったまりもが亡くなりました。
いろんな種類のパウチや缶を並べました。
最初は、少しは口にしてくれ、穏やかな時間が過ぎ、ケージをのぞくと微笑むような
やさしいまりもの顔がみえました。が、だんだんとあばらが目立つようになり、さいごは黄疸が出て、何も食べられませんでした。
最期のころはもう、強制給餌はあえてしませんでした。
最期の3日は、体力がなくなったせいか、トイレの横に身を横たえて過ごしていました。
ウエットタイプからドライタイプになり、腹水も胸水もたまらずに
呼吸も安定しており、眠るように逝きました。
最期の夜は、ケージごしに添い寝しました。
翌日は2月5日の集団手術の日でした。
その日のうちに遠くへ行ってしまうだろうと思い、朝、シェルターで獣医さんやスタッフの皆さんに
声をかけ、帰らせてもらいました。
夕方になってほんとうに安らかに、
眠るように旅立ちました。
何もできませんでしたが、いっしょに寄り添い、さびしくひとりでは逝かせなかったことに
気持ちも安堵しました。
たくさんのボランティアさんに、慣らしや給餌でお世話になったまりも。
リリースしていたら、とっくになかった命かもしれないし、
春日のアパートの隙間でまだまだたくましく生きていたかもしれません。
何がよかったのだろうね。
といつも自問しています。
慣れない猫を閉じ込めて、ケージ暮らしをさせるのは、よくないけれど、
餌場のない場所での餓死もつらい。
慣らして譲渡をするだけの時間とお金と人手もないなかで、関わったボランティアさんは
最善と思うことをやっています。
ほんとうに悩みながら。
まりもを連れて、シェルターのみんなにお別れを伝え、翌日、山猫亭の庭に埋葬しました。
殺すことのないように、必死で手術をやっています。
そして、慣れている子は譲渡をめざします。
水戸の野良猫が産んだ猫も、半年を過ぎました。
こんなになついていますが、譲渡ができないままなのです。
譲渡といっても、簡単ではありません。
この大切な命を、だれにでも簡単にあげられてしまうわけではなく、
終生かわいがってくださる、責任をもつ家族をみつけるのです。
保護して、病気を持っていたら、猫がボランティアの家やシェルターにずっと残ります。
ミト
さんご
エイズや白血病の子にはご縁をみつけるのがむずかしいです。
よほどの理解者でなければ。
でも、譲渡できた幸せな子たちを思うから、前に進めます。
カイト
保護した子たちの居場所を確保し維持することのたいへんさは、言葉では表せません。
かしまさんのお知り合いから、立派な棚のご寄附。
ケージを収納しています。
クレーン車でご寄附をお届けくださったのは、初めてです。
皆さんのご厚意に支えられています。
シェルタ-の修繕も必要です。大工仕事など、シェルターには力仕事が必要です。
照明のとりつけ。ゆうみさんのお友達からのご寄附です。
まっくらな敷地が明るくなりました。
米吉さん、和尚さんたち男性陣がたのもしく、遅くまで作業。
ありがとうございます。
がくしくん、グミちゃんで、犬のお世話。
まりも、つみれ、チャッピー、太郎、次郎、ブルー、ふうちゃん。。。
鬼籍に入った子たちの名前を呼んで、心のなかでいつも手をあわせています。
byおかめ






















