漸くに空に黄砂の治まりて
      チュリップは残照にを閉じ初む

 中国地方から流れてくる黄砂 この間は空が
 黄色になり砂の降ってきた所もあったそうですね
夕方ちかくに空が春の空にもどってきたようです
庭のチュリツプの花残照を浴びながら静かに花を
閉じはじめたようです 花を閉じて夜はやすむんです
 ね また明日咲くのに黄砂が降らなければいいね



  路地裏に車を止める 豆腐うり
         今に変わらぬラッパを吹きて

  夕映えの路地にいつものおじさんが車を止め
 あの長閑なラッパの音 少しも変わらない日常
 風景なのに何故か懐かしく思える今日もラッパ
 に誘われて小走りに出て行く  豆腐屋さんも
 二十年以上の馴染みですものね~たくさんの人に
 支えられて生きているんだな~とつくずく思う
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玄関にさわに活けたる 沈丁花
        来るあてもなき人を待ちをり

春  今日は町内の桜まつりでした 花の下で
大正琴を演奏したり太鼓をたたくひと歌をうたった
りにぎやかでした いつも花を玄関に置くのですが今日
は誰か来るかな~と 思い大きめの壷に沈丁花の花
をたくさん活けて来るかどうかわからない 人を
待っていました  夏日のような暖かさ 桜も
丁度見頃で 素晴らしいお祭りでしたよ 
オーラを初めて語ったのは、多分(ここ強調)、多分、エドガーケイシーの著書「What I Belive」の第2部であると思います。ケイシー自身は、結核菌の発見者です。しかし、功績は、むしろ、ユングのような心理学という方法ではなく、精神世界を世に広めた点にあると思います。その媒体が霊視、つまり、オーラです。この日本版として、江原さんがいらっしゃると思うのです。ケイシー自身は、オーラを色だけでなく、音階、惑星、と3つに分けて説明しています。そして、究極の色を『白』とし、キリストがこの色であったとしています。(復活祭後、キリスト)。熱心なクリスチャンであったケイシーらしい解釈です。このオーラの伝道師の日本版として、江原さんがいらっしゃると思うのです。江原さんが、偽善か否かという問題よりも、自分が自分を正しく見つめているか、(仏教でいうところの「正視」っていうんでしたっけ?)そこが、現代に生きる我々の課題なのではないかと思うのです。正しければ信じる、間違えれば、うそつきという二元論は、自分の判断を相手にゆだねる事になりかねない気がします。間違えて間違えて、その延長に悟りがあるんだよね。多分。
モテスリム。
このスリムな紳士服を着るとモテる。そんな幻想を与えてくれる。さらに、上戸あやが、カメラ目線でいいねと言ってもらえる。ありがたいことだ。しかし、問題はその後だ。上戸あやは、空に向かい「あおきー!」と叫ぶ。そして、はしやぎながら走り、オチはジャンプ。上戸ジャンプ。問題点は、ふたつ。ひとつは、「あおき」とは誰のことか、もちろん紳士服の青木のことだが、青木と叫ぶ、その論拠が明らかにされていない。また、青木と呼びつけでよいのだろうか。究極のジャンプであるが、彼女の場合、片足だけでなく、両足をあげている。これは実際にやってみるとわかるのだが、なかなか難しい。そして、日常生活で喜びを表現するにあたり、上戸ジャンプをして、相手に喜びを伝える事はもっと難しい。友人、知人関係の崩壊の危険にさらされる覚悟が必要である。モテスリムを着ると、まわりが、そんなによろこんでもらえるのであれば、着てみてもよい気がするのだが。一度、実験で友人にやってみようと思う。リアクションが楽しみだ。

手のひらに色鮮らけし落椿
      いのちの雫ほのかに紅し

椿の花ははなびらが一枚づつ散るのではなく
咲いている花のままポトリと落ちるんですね  
おちた花をそのまま手のひらに載せてみると
花の蕊からすーと雫がながれ出て あたかも
命の雫のように思へ 紅い花の色に染まって
ゐる様に見えました
考えてみると、これほど、安く、意味のわからないCMもない。

ひつじの群れがラインダンスをしている。
しかも、模型だか、人形だか、とにかく、安い。
作りも安いが、歌も安い。
ラジオ体操のような前奏から、
「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂」と歌がはいる。
ラインダンスが一回転して、
もう一度、今度は1オクターブ高く、
「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂」と懲りもせずに歌う。
う~ん。安い。
さらに、電話は、2番とは何だろう。

しかし、これほど、息の長いCMもめづらしい。

日溜まりに咲く野が似合う
     濃むらさきすみれの鉢植え店頭にならぶ

  野原にすみれ たんぽぽ れんげそう 咲くころに
 なると散策に出かけたのは もう随分前でしたね 今で
 は蓮華草もすみれも見られなくなってしまいたんぽぽ
 だけは何処にでも生息していますねコンクリートの
 裂目などにも逞しく葉を広げ花をさかせていますね
 店先に在来の濃い紫色のすみれの鉢植えが並んで
いました 
         

  手のひらで携帯を拭く少年の
       受験もおわり画面澄みたり
  
  誰も通る受験の道 険しいよねいまは懐かしい
  けれど 味わいたくないね 声を弾ませて携帯
 で話をしてゐる少年はきっと合格したのかもしれない
 たくさん学んでね  たくさん遊んでね
      

小糠雨ふる衣更着の春の夜
      忘れてゐたき疵の疼ける

思い出して懐かしいこと 嬉しかったこと 生きて
ゆくあいだには思い出したく無いこともありますよね
三寒四温の続く日々  こころも何となく晴れない
忘れていた嫌なことを 思い出してゐる春の寒い夜
また 明日があるものね