ちゃんと見えているのか?当たり前が出来ているのか? ”事の理に因れば 則ち労せずして成す”  | canyon-hill

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時事的なこと、生活など徒然に


”事の理に因れば
則ち労せずして成す” -韓非-


意)
目的を達成しようと思う時、其の方向性や、やり方が間違っていれば只の暴走に過ぎず、物事は達成できない。
目的を達成するための方向や方法が合っていて効果的なら其の目的は予想以上に楽に達成できる。


これは、人が人それぞれ幸せになりたいと願い努力していることに充て嵌められる。

今、幸せを謳歌出来ている人とそうでない人の行動や今に至る因果関係を調べれば其の原因は正しく「事の理」に因っているか否かしか無い。

無用なLGBTQ法然り、政治汚職然り、停滞経済然り、ジャニーズ問題然り。

それぞれのポジションの人間がそれぞれに思惑、目的を持って事を成そうとしているが、うまく行っていない、うまく行かない者の其処に至るまでの行動、因果関係を見れば今の状況は成るべくして成ったと言える。

では、これからはどうか?

これからなら軌道修正して直せることもある。

人は考える葦である。

人は躓いて考えて伸びていく。
躓いて転んだら痛さをバネになぜ転んだかを学習し、立ち上がり、また幸せに成るために歩き、前に進めばいい。

赤ん坊は立ち上がるのを覚え、何度でも尻もちを着いて、あっちこっちにぶつけ、それでも立って歩き出す。また転んでも、立ち上がり歩く。

我々の多くはそうして、今、ここに立ち生きている。

其の事を忘れてはならない。


失敗を恐れるな。

失敗を隠すな。

見晴らし良くして
生きたい方向を
見据えて進めば。

必ず其処に清々しい
幸せがある。