こんにちは。
とてもお久しぶりのブログですね。
今回もつらつらと、思うがまま乱文ながら書いていこうと思います。語彙力がログアウト…じゃなくて、そんな概念そもそもないんだった。

例のごとく(?)長くなりますがどうぞお付き合い下さい。


私のTwitterをフォローいただいてる方にはおなじみかも知れません。
#きゃにストレート卒業チャレンジ
とかいう、頭の悪いタグ。

チャレンジには成功したわけですが、その裏話やら「絶対こうなるなよ」っていうメッセージも込めてブログに残そう!と思った次第です。

就活日記の中編(だったかな?)に単位がやばいって内容も添えたような気がしますが、深く掘り下げていきたいと思います。


0.大学に入るまでの話
いま私は某Fラン私立大学の経済学部経済学科に通ってます。といってももう1ヶ月もなく卒業ですが…
しかしながら、そもそも志望していた訳ではなく元々は音楽大学でトランペットを専攻して奏者になる気満々でした。高校3年の初夏ぐらいまでは。
高校3年になってすぐ、当時の私は学年を上がる時点で吹奏楽部を辞めていました。一日のルーティンは朝起きて1時間半かけて高校へ行く、授業を受けたら同じルートを戻って楽器を回収して、また30分から1時間かけて駅前の防音室に行って篭って練習して帰る…という生活をしていました。日によっては家から楽器を持って高校に行っていたので、練習室に直行できる日もありました。

ここでひとつ、そもそもなぜ練習場所には困らない吹奏楽部を辞めてしまったのか?という疑問が出てくるかと思います。
辞めずに続けるメリットは山ほどあります。練習場所はあるし部費以外のお金もかからない、楽器は部室における、楽典やらなんやら座学の勉強も放課後の教室なりでできるわけです。
そのメリット以上に辞める決断をしたのにもちゃんと理由があって、それは部内でのいじめでした。何されたか挙げるとキリがありませんが、おかげで音楽もトランペットも苦痛極まりなく、やめた後ですら楽器を吹こうとするだけで思い出して心身共にボロボロでした。

さて、先述の1日のルーティン…当時の私には相当キツいものでした。ましてやボロボロの状態でしたから、いつかボロがでます。

ある日、レッスン中に倒れてしまいました。何とか帰宅するも、後日いつも見てもらってた病院で「過労」と言われてしまいます。レッスンでも「このままでは相当厳しい、音大は考え直してもいいのでは?」と指摘され、暫くして諦めることにしました。

ここまででも相当長くなってしまいましたね🙃
もう少しお付き合いください。まだ高3だよ…()

さて、これで完全にやりたかったことが無くなってしまい、当時の私は進路などどうでも良くなってきます。もう夏なのに。


1.今の大学に決まるまでの話
高3の夏、だいたい三者面談とかが入って進路について特に具体的な話をするタイミングなのではないでしょうか。この時点で高校卒業後どうしたいか、なんて何も考えていませんでした。
三者面談の場で、「お前どうすんの?流石に方針を決めないとマズい」って現実を学年主任に突きつけられ、「うーん…欠席多くて就職は無理だし、専門行くにも何したいか分からないし、大学行くにもAO入試は終わっちゃってるし、推薦入試は欠席多くて推薦自体もらえないし、残された道は一般入試で大学行くくらいしか無さそうなので、大学行こうと思います。学部は…いま1番成績良いのが政治・経済なので、その系統の学部にしようと思います。」 って決めたのでした。


とはいえ、やる気は完全にゼロでした。結局受験勉強を始めたのは秋も深まった頃でした。遅すぎますね。
通っていた高校は私立だったのですが、私のいたコースでは大半の人がAO入試か一般推薦、指定校推薦枠で大学や専門学校に行く前提のコースでした。なので秋にはみんな進路が決まっていて、私の居たコースで例年一般入試を受けるのは手で数える程度の人数でした。
ちゃんとした勉強をしたのも冬になってから、挙句正月は沼津に行って推しの家に転がり込んでたくらいにはやる気のない人でした。
センター試験当日の朝は余分に貰えた昼代でまずスタバでコーヒー飲んでましたし、試験の休み時間はずっとスクフェスしてました。試験はさっさと終わらせて寝る始末です。周りにそんな人はいなかった…。
(センター試験にやべぇやついる!!ってTwitterに上がることがありますけど、幸い晒される事はありませんでした)

さて、センター試験が終わって2月頃になると一般入試のラッシュが始まります。
最初の2、3日を受けたあと、今通っている大学の一般入試当日朝、事件が起こります。
布団から起きようとすると、身体が重すぎて動かない。なんだか息も苦しいし、そのうちたまらなく暑いことに気がつきます。

「うわぁ…やっちまった…」
この一言に尽きます。

測ると40℃を超える高熱の中、なんとか近くの病院まで行き、検査を受けます。結果は陽性。
インフルエンザA型でした。
その後数日間は寝込んだまま、トイレに行くのがやっとのことでした。
それでも刻一刻と第1志望の大学の入試が近づいてきます。熱が前日に38.5℃まで下がると、歩けるようになりました。
さて、第1志望の試験当日。熱は38.5℃。なんだか知らないけど、歩けるぞ!!
模試でもA判定だったこともあり、気合でフラフラだけど試験を受けに行きました。そんなフラフラで受けても通るわけなく、結果はもちろん不合格でした。(笑)

センター利用枠で今通っている大学に出願していて、思ったよりもセンターの点が取れていたので合格が出ていました。出揃った合格で一番マシなのが今の大学でした。


ようやく大学に入ります←


2.大学に入ったはいいけど…って話
さて、もう約4年前になってしまうわけですが、大学生になれました。
"最初は"同期と一緒に授業を取ったり、やる気も雀の涙くらいにはあったりしたので1年の前期は平均くらい単位を取れました。
しかし、自由とバイトによって従来と比べて圧倒的な財力は、徐々に「行くのめんどくさい」の感情を産んでしまうのでした。

1年の後期。
サボりにサボりまくり、結果1桁の単位しか取れませんでした。この頃から大学辞めたい…が割と口癖だったような気がしています。
周りは1年終わる時点で40単位は取れているわけです。それに比べて私は半分ちょっと。
完全に出遅れを取ってしまいました。


3.どんどん状況が悪化する話
2年、なんだかんだ大学にも慣れてきて本来なら着々と単位を取っている頃。
見事にバイトにのめり込みます。周りの心配もよそに、夜勤明けは部室で爆睡して授業をブッチは朝飯前でした()
加えて、大学辞めたい感情のピークでした。行ってなんになるんだ、遊んでいたい、好きなことをしていたい、授業に行きたくない、めんどくさい、なんで大学なんて来たんだ…などなど。本当に酷かったです。
1年間で取った単位は…2桁に行くか否か…と言えば悲惨さが伝わるでしょうか。

さて、2年が終わる頃だったと思います。
成績表が実家に郵送され、単位やばいよって記載がなされていたわけです。

もう…後はご想像にお任せします()
留年したぶんの学費は出ない、留年しようものならば実家(地獄)へ強制送還だ、と宣告されました。いわば余命宣告です。


4.#きゃにストレート卒業チャレンジ 始動
さて、このタグはいつから使われ始めたのでしょうか?
大学3年、2019年の4月19日です。
それがこちら。

完全にノリでした。
たくさん紹介しつつ、大学3年の1年間を振り返ります。

これはまだ緩い部類になってしまうから、このタグは本当に酷いです。(自分で何を言ってるんだ)

つぎ。
単位は買える…要は教科書に書いてあることを解答用紙に雑に書けば、持ち込み可の試験はほぼ確実に取れるようになる。ってわけですね。

お次はこちら。
3年の前期の結果です。
まだ124必要なうちの半分すら取れていません。
GPAは0.86です。(は?)

さて、3年の後期に行きます。
相変わらずひでぇなぁ🙃

この頃から段々と慣れてきていて、「適度に」サボるようになりました。このくらいの塩梅が楽でよかったですね。

結局限界になっていました。
やっぱりギリギリにならないと頑張れない人間なのかなぁって自分を理解したのかも知れません。

段々頭が悪くなっていくのがよくわかるかと思います…。


これは真なので単位認定。

やはり、試験期間には限界になっていました🙃

さて、3年の後期も試験期間になってきます。
この頃はよく試験会場の写真と、好きな曲の歌詞を一緒に書いてましたね。

さて。
3年が終わり、結果発表です。
ようやく卒業に必要な単位数のうち、半分を超えることができました。
残り54単位をラスト1年で取らねばなりません。
普通に考えたら相当やばい危機的状況です。

就活をしつつ、フル単せねばなりません。


5.もうやりきるしかない話
留年は絶対にできない、フル単しないといけない…。加えて就活日記の方にも書かせていただいた通り、内定をなんとしても取らないとヤバい。
予想外のコロナ騒ぎまで発生して、正直に相当やばい崖っぷちになってたのは言うまでもなさそうです。

授業は5月にオンラインで再開されました。スケジュールは就活を最優先に、空いた時間に授業と課題を全回収する…というような余裕もへったくれもないような状態が丸々2ヶ月続きました。それ以前に緊急事態宣言で実家に強制送還をさせられていたので、相当来ていた時期でしたので無茶していたのかなぁ…と今は思います。
締切の山に追われていて、エントリーシート、適性検査、WebSPI、課題、レポート、リアペ…常にGoogleのToDoリストは大渋滞でした。
こんな感じで、特に5・6月なんかは就活絡みの締切もあって忙しい日は寝る時間を削っての対応でした…。

このように指示をミスったこともありました。すごいヒヤッとしたんだけど、頑張ってるから…ってことで教授がC付けてくれたこともありました。

全タスク回収完了したときには本当にほっとしてました。まだ確定はしてないのに()


就活の方はブログにも載せたんですが、なんとか鉄道現業の内定を掴み…その翌日には祖父が亡くなってしまい、葬儀もあって課題どころではありませんでした。


そして、結果が出ます。

なんとフル単に成功してしまいました。
いや、成功しないとダメなんだけど←

ここまでで、卒業に必要な124単位のうち99単位の回収に成功し残り25単位となりました。

加えて、入学して始めてS判定を取り、Sが実在することをこの目で確かめることが出来ました。

これ、非常に不思議なのが卒業見込判定に合格してるんです。規則を確認しても通常このタイミングだと120単位くらい履修済みじゃないと出ないんですが…。全回収した場合のみ見込が出るとかいう特例でもあるんでしょうか←

これで卒業見込証明書も発行ができるようになり、残り1セメスターとなったのでした。


6.ラストスパートの話
もちろんラスト半年もフル単しないと不安要素が残ります。もちろん限界まで突っ込みました。

前期との違いは就活がないこと、1年で3落としたらアウトから半年で3落としたらアウトになったこと、オンラインになれたことなどの理由で相当楽に進めることが出来ました。
そもそも4年でフルコマ突っ込まないとダメな時点で終わってるって指摘はその通り過ぎて…心が痛いです←
ストレート卒業チャレンジも、大詰めになってきます。

1月も後半になると、各科目最終のレポートやら課題やら期末試験やらの提出ラッシュです。
ひとつひとつ、最終列車を送り出して行くような気分になっていました。

大詰めです。

さて、ついに終わりが来ます。

最後のレポートを送り出し、ついに最後の春休みに突入したツイートです。
清々した一方、本当に大丈夫か…?という不安がたまーによぎる日々でした。


「果報は寝て待て」

この言葉を信じて、寝るのはもちろん、遊んだりバイトしたりとのびのびと過して待っていました。


7.決着する話
さて、2019年の4月からここまで2年。
ついに2021年3月3日。卒業判定発表。

当日から同期と18きっぷ卒業旅行へ行くため、発表の9時を前に約3時間の見切り発車で家を出ます。
集合は小田原駅。
JRの改札で入鋏してもらい、東海道線ホームに。
小田原8:21の高崎ゆきに乗り込もうとするも、緊張からか到着直前に腹痛を催して駅のお手洗いへ行く始末。

乗り込むも、ソワソワが止まりません。
列車は小田原駅を発車。スジが寝ているのでノロノロ走るのが尚更ソワソワを引き立てていたように感じます。
列車派定刻通りに平塚、茅ヶ崎…と進行して行きます。


辻堂発車、定時。

携帯で大学のサイトを開く準備。
59分、ログイン直前で待機。

あと30秒。

同期3人も見守ってくれています。

10秒前…
5、4、3、2、1…

ログインボタン押下。

卒業判定発表。



合格」の2文字。

やった!!!!
同期も拍手して祝ってくれました。

まずは各所へ連絡。


横浜駅だか川崎駅くらいでようやく胸を撫で下ろし、ぬるくなってしまったコーヒーをひとくち。


最後までやりきりました。




#きゃにストレート卒業チャレンジ

サクラが咲き誇りました🌸🌸🌸🌸


改めまして、応援して見守ってくれたみなさんに心から御礼申し上げます。
ありがとうございました!


最後にひとこと言わせてください。

僕みたいにならないでください。
単位は大事です。3年間で大半を取って、4年生でたくさん好きなことしてください。


長々とお付き合い、ありがとうございました。

きゃに