ご無沙汰しております。

先日の金環日食は、あいにくの曇りでした。

金環の時刻の頃には、ちょうど太陽のある位置に

孫悟空の觔斗雲のような分厚い雲がでんと構えており

まったく見ることができませんでした。

私は「テレビで見よっと」と早々に諦めたのですが

学校に集合してじっくり観察させてもらった娘は

「金環がちょうと終わった頃に見えた」と

日食は見ることができたようです。

いつもより早い時刻に集合し、先生方の引率のもとの観察でした。

早朝から先生方には大変お世話になりました。

時間外勤務手当てが出るわけでもなかろうに。

などと下世話なことを考えてしまうのは、私だけでしょうね。

先生なんて本当に、高い志がなければできないお仕事だと思います。


さて。

小学校の家庭科で娘が、団欒なるものを教わったそうです。

家族の団欒はとても大切です。

みなさんはおうちの人と、たくさんお話していますか?

家族そろってごはんを食べながらお話するのも、大切ですよ。

せっかく家族がそろっても

テレビを見ながらごはんを食べているおうちはありませんか?

みんなでごはんを食べるときには

たまにはテレビを消して、ゆっくりお話をしてみましょう。



・・・といったような内容だったらしいです。

そんなことを言われても

一人でいるの楽しいし

そんなにしゃべること無いし

テレビが消えてシーンとすると、なんだか落ちつかないし

困ったなあ…

と、真剣に悩む娘のかわいいことネコ


一人の時間を楽しめるのは、特技だよグッド!



団欒の目的が、家族間のコミュニケーションによって心の安定を得ることならば

わざわざ居間に集合して「さあ団欒しよう!」というのも

いかがなものかと思いますし

信頼しあっている人間どうしが、お互い声の届く距離に居る

ただそれだけでも十分だと思うのですが…

たとえ喧嘩していて、一時的に冷戦の真っ只中にいたとしても

同じ屋根の下に誰かがいてくれることのありがたさ!

一人暮らしの長かった私だからそう思うのかもしれませんが

特に改まって会話しなくても

通りすがりにカンチョーしたりされたり

お尻をはたいたりはたかれたり

いえ、黙ってすれ違うだけでも、心は潤うものです。

他愛ない会話がそれにプラスされれば、なお結構。

学校で言われた通りにするのが全てとは限りませんから。

これも団欒、あれも団欒、多分団欒、きっと団欒。

そんな無理しなくてもと、夫も私も、娘にそう言ったのですが

学校で言われた通りにできないのが気になって気になって

悩む娘でした。



学校に限らず、何かを教えるときは

大原則となる基本的なことを伝えたうえで

例えばこんなふうにするのもいいですよ、という実践例を示しますが

それをそのまま自分の暮らしに当てはめようとしても

うまくいかないことのほうが多いものではないでしょうか。

大原則を自分の人生にどう適用するかは、十人十色、百人一首。

じゃなくて、百人百葉。

自分なりの適用のし方を工夫することが大事なのだと思います。

その過程で悩むのは、おおいに結構なこと。

ふ・ふ・ふ。

さあ娘よ、存分に悩むがよいニコニコ




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