鹿俣『泥流地の子ら』。かのまた・まさみ 1936年、北海道上富良野町生まれ。防衛庁事務官を経て中学教諭。大正十五年五月二十四日の十勝岳の噴火で大規模な融雪型火山泥流が発生し、144名の死者、行方不明者が出た。その時被災した上富良野町の創成国民学校は建て替えられてから二十年近くたった。泉田淳(いずみだ・じゅん)は三、四年生の複式学級に通っている。淳を取り巻く生徒や先生、近所の人たちや親せきなどの姿が活き活きと描かれている。