クリエイター | small planet

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日々の散文。
もしくは 独り言。

今日の休日、直接的だったり間接的だったりに色々な『友人』とコンタクトをとった。


『脳幹海綿状血管腫』になってしまった友人から連絡が入る。

左耳の後ろに穴をあけて、8時間かけて腫瘍切除のオペを月曜に行うとの知らせ。確実に左の聴力を失うらしい。


『右の耳で楽しいことを考えることにした。』


これが友人からのメッセージである。


私は、心を打たれた。


こんなフレーズを言える彼に感動をした。

一切の霧がない。まっすぐに前を向いている。

たぶん内心は、孤独感があるだろう。しかし、そんなことは微塵も感じさせないのだ。

これは彼の優しさだ。私がひどく心配をしているのを彼は知っている。


私にできることなど何もない。何かができるとは初めから考えてもいない。


一つ言えることは、彼が受け入れた現実を私も同じように受け入れようと思うこと。


彼は、ホンダの『メカニック』であり、クリエイターではない。

だから、このフレーズは、私を感動させようとして言った言葉ではない。


なのに私を感動させた理由は、本当に彼が感じている想いだからであろう。

彼の素直さが『言葉』という音になった結果なのだと思った。

本当に伝えたいことは頑張らなくても伝わるものだ。


この言葉の中には、彼にとっての悲しみも、痛みも、希望もあるのだろう。




現場の相棒であり、友人でもある仲間の一人が、近々一つの事例をまとめる。

彼女は悩んでいる。

書くことも、人前に出ることもきわめて大嫌いな彼女には、この上ないストレスになっている。

ただ、彼女には『想い』が溢れている。一番近くにいる私にはそれがとても強くわかる。だから、それは、事例などという単語で表すのすらもったいない。

彼女に私は偉そうに言う。


自分にとって伝えたい想いが明確で強いならちゃんと伝わると。


それは、彼が言ったフレーズのように。

それがなければ書くことにも困るだろうが、きっと彼女に足りないのは『書く』という不慣れな行為だけであろう。

そんなものは、思いがあればいくらでもなんとかなる。


詩人になれというわけではないのだから。




今日、友人の家で二人でお茶をした。

彼は、19、20のころからの友人である。私よりも10歳も年上だが価値観がよく似ている。

彼は、音楽大学なんか出ていない。けれども、立派に『音屋』として生業をしている。彼は、自分を信じ続けて生きている。

新しい音源を創るたびに彼の愛する海外の音楽レーベルから反応がある。

彼は、そのことをとても誇りに思っている。

そして、嬉しそうに仲間たちに話して聞かせる。そういう彼を見ているとこちらも嬉しくなるのだ。


私は思う。全ては『真意』が決めてくれる。


どんなことも、薄っぺらくてはいけない。

本気でやって、はじめて実るのだ。


私は、革命という言葉が嫌いじゃない。一心不乱に突き進んだ結果についてくるような言葉である気がする。


たぶん開拓する気持ちのないやつに革命など起こせない。


他人を気にしたり、羨んだり、流されて生きるだけでは何も始まらないのだろう。


『私は音楽、ジャンルはフィオナアップル』というキャッチコピーを思い出した。

私は、彼女の音楽が好きだ。このフレーズも好きだ。



世の中には、いろんな人がいるものだが、どうであれ、自分のスタイルを持っている人に魅了される。


今夜は、頭の中で『パティスミス』が流れる。

我が家の主は、私のことを我が家のパティスミスとからかう。


そんな大御所には到底なれそうにもないが私は少し得意げにしてみる。


いつかなりたいと想ってみる。


たぶんその時には、彼女とは違うポジションの革命家になっていることだろう。


しかし、私にカテゴリーはいらない。


どうせ、私は私でしかないのだから・・・。