モラトリアムとサカナクション | small planet

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日々の散文。
もしくは 独り言。

どうしても聴きたくなってタワレコにいそいそ出向き『サカナクション』を購入。

無機質なエレクトロニカが体に心地よい。


嘆いて 嘆いて 僕らは今うねりの中を歩きまわる

疲れを忘れて この地で この地で終わらせる意味を探し求め

また歩き始める・・・・  (アルクアラウンド)




small planet 私は、大概三年に一度の周期でロックを捨てる。

とはいえ、すぐに拾い上げるのだが。


前回は、ドーピングパンダがお気に入りであった。


近縁のアーティストに「木箱」という人たちがおり、その人たちにお会いする機会があったことで随分前にこのサカナクションを知った。

しかし、一度も音源を購入せず今に至り、最近どこに買い物に行っても

サカナクションの『僕と花』が流れており耳に憑いて離れないのでついに購入してしまったのだ。


私は、この歳になってしてもまだ自分という人間は「青春」の中を生きているような気がしてならない。

つまりは「大人」になりきれないのだ。

いつでも思春期のような考えが頭をよぎる。

「自分にはまだ何かの可能性があるはず。」最後に行きつく考えがいつもこれである。


そして、その原動力になるのが「音楽」であったりする。

歌い手なり、楽器弾きたちがそれぞれの感性で紡ぐ『楽曲』には魅力がある。


なにかの目標に向ける「思い込み」は誰にも負けない自信がある。


私は、自分勝手な生き方をしていると思う。

サカナクションのこの曲が好きだ。

地位も名誉も富も何にもいらないが、感性だけは無くしたくはないし奪われたくはない。


年寄りたちは、アーティーだ。

だから、「感性」を奪うような日々だけにはしたくない。

私のケアに関する自己理念はただ一つ「感性を生かす。」である。


心を刺激されることで人は動く。

感情に訴えかける出来事にであって人は感情を表現する。


それは、見えないものだからテキストには記載されていない。

そして、誰も教えてなんかくれない。

難しいことは私にはわかんない。


つらつら生きながら 音楽を楽しみ自分で遊ぶ。


私が大人になる気がないのは言うまでもない・・・。






        悩んで 僕らはまた知らない場所を知るようになる

                  疲れをわすれて

         この地で この地で 今始まる意味を探し求め

                  また歩き始める


              (サカナクション/アルクアラウンド)