前項のおさらいになりますが、

採集者であるシーボルトは長崎の出島でオオカミとヤマイヌを飼育し、それらをオランダのライデン博に送った。

しかし受け取ったテミング館長が「Canis hodophilax」の名の下に一括りにし、後世に混乱をもたらしそれが今も続いている…と云う事です。

 

呼称についてですが、ヤマイヌについては以前より3つの可能性が言われてきました。

 

ド・ヴィルヌーブ、スケッチのヤマイヌ

 

  1. ニホンオオカミとヤマイヌは同一である。
  2. ニホンオオカミとは別の動物種である。
  3. 野生の犬か、あるいはニホンオオカミと犬の交雑種である。

 

遺伝子解析的な面で石黒氏はーこれまでの私たちの研究や今回明らかになったシーボルトのヤマイヌー C 頭骨のmtDNA―解析の結果から、

イヌ型やニホンオオカミ型以外の特別なmtDNA配列を有する個体は見つかっていない。

このことは、ヤマイヌという特別な動物種は存在しなかったことを意味している。

そうすると、残りは上記①と③の可能性であるーと述べています。

そして最近の研究結果として、タイプ標本を核遺伝子での解析した結果が③となったのは、前述の通りです。

 

石黒直隆氏

 

ライデン博のスミーンク博士は私見として「ニホンオオカミと云う動物は確かにいたはずです。それは「頭骨B」の特徴を持つものだった。

しかし、この標本が採れた時代、日本ではすでにオオカミと野生のイヌとの雑種化がかなり進んでおり、当時の日本人の間でもオオカミとヤマイヌのはっきりとした区別がなかったのではないか。」と述べていて、遺伝子解析的な面での結果を先取りした状態でした。

 

 

スミーンク博士

 

また、私の敬愛する故清水大典先生(秩父市出身で、冬虫夏草の研究に於いて世界的権威)が、数多い著作物の一つである【奥秩父の自然】(ユスラウメ特集号 《奥秩父》)でこんな事を述べています。

 

【奥秩父地域に棲んでいたニホンオオカミは、大小二型のものがあった。

その一つは「毛が灰色に黒ずみ形の大型のもの」であったが、他の一つはそれよりは「体の小さい体毛の灰褐色系」のオオカミであった。

前者の大型オオカミは、明治以前に奥秩父では滅亡したらしく、後者は明治の中頃(甲州地方では明治末年)まで棲息していた。】

 

清水大典先生

 

そして、以下は幾度となく交わす事が出来た文面からです。

【・・・かえりみますと私が狼の伝承に集中するようになったのは昭和十年代で、当時幻と目されておりました「ソロッポ」(1本角の鹿)やオコジョにまつわる口伝なども含まれておりました。

それが日本狼1本に絞りこむようになったのは敗戦二十年からのことで、まず足元の日本の自然の見直しと云う目標を掲げ、狼を中心に動物、植物、菌類の再調査に取り組み、日本狼ではまず地の利(狼の適棲地)のよい秩父山地を囲む群馬、長野、山梨、東京都下をフィールドに食糧事情の悪い極限のなかで煎り大豆をザックに詰め山合いの部落或いは一軒家を訪ねて歩きました。

特にご老人の所在に重点をおきました。

従って上黒平の西山家も、湯久保の市川家も、当時実施した調査行で初めて明るみに出たものでした。

なお当時蒐集した狼にまつわる様々な伝承は相当な量で、直良(信夫)先生から一日も早い出版をうながされておりましたが、残念なことに引越しなどにまぎれて資料が所在不明となってしまいました。】

 

直良信夫氏

 

文中の西山家とは甲府市西黒平のニホンオオカミ頭骨所有者、後者は都下桧原村湯久保の市川家の事で、いずれも清水大典先生が標本発掘をされたものです。

(市川家については、校倉書房刊、直良信夫著、日本産狼の研究“狼の乳を飲んだ貞次郎老人”に詳しい)

 

甲府市西黒平西山家の頭骨

 

都下桧原村市川家の標本

 

直良信夫著日本産狼の研究

 

清水先生の仰る「奥秩父地域に棲んでいたニホンオオカミは、大小二型のものがあった。」の捕捉になりますが、

私の下に届いたニホンオオカミ目撃情報は、かれこれ100例近くになります。

その中に「秩父野犬」的小型(標準型)では無く、大型の目撃情報も届いているのです。

例えば昭和35年(1960年)の酉谷山、昭和39年(1964年)に両神山での目撃例、平成2年(1990年)に和名倉山頂付近での目撃例等々。

 

また、遺された標本にもそうしたことが言えます。

三峰山博物館の2点、東京都瑞穂町の毛皮標本は頭胴長125Cm以上なのです。

 

三峰山博物館毛皮標本1

 

三峰山博物館毛皮標本2

 

東京都瑞穂町の毛皮標本

 

そして本年7月から、三峰山博物館で展示されている山口県産オオカミの毛皮は、大きさ的にはヤマイヌと考えられるのかも知れません。

 

三峰山博物館毛皮標本3