1月初めの某日が本年最初のカメラメンテナンスでした。

参加者は会員のYo1氏/Yo2氏/Sa氏/と私の4名/+/元朝日新聞山岳専門記者ko氏/ニ
ホンオオカミ体験豊富なI氏の6名で、集合場所9:00にしっかり集まったのです。

私達は上尾市在住ですのでAM6:00出発で集合出来ますが、Ko氏は長野市在住の為
AM3:00出発・・・大変な事です。

      当日のメンバー(左/山岳専門記者とI氏)

 

登山口を9:00少しで2班に分かれメンテナンス作業に向かったのですが、若い人
たちが向かう尾根ルートは11台のメンテナンス、私たちは4台。

それでも4台目の作業をしていると、尾根ルートを終らせた若者班がすぐ近くまで来
ています。

何時もの事ですが「若いって素晴らしい!」と思わざるを得ない状況でした。

          Sa氏と私

 

私達のコースは15分の上り下りの他は、往復2時間のトラバース。

通常なら問題無く歩行できるのですが、今回は氷結した山道と、歳と共に衰えていく
体力。

駐車場までの3時間で大きなエネルギーを費やしていました。

        橋が崩落して梯子に

 

そして、昨年6月に起きた体調不良の症状が再び・・・・・。

―右足ふくらはぎ部位が腫れ、蒼穹の散歩も妻にお願いする形にー

そんな訳で、「新年のご挨拶」以降更新出来なかったブログでした。

        カメラの使用方法をレクチャー

 

2010年6月に第1号を掲載してから今春の「新年のご挨拶」が675号となって
おります。

ニホンオオカミ生存確認が為るまで、ブログ掲載も何とか頑張ろうと思っているので
すが、体力だけでは無く精神の衰えも著しく、今回のような形になった次第です。

毎日の様に当ブログを訪れている読者も居るみたいですが、申し訳ない気持ちで一杯
です。

 

実を言うと年末の作業(12月28日)で、私はとんでもない間違いを犯していま
す。

カメラの予備、バッテリーとSDカードを用意すべきところ、SDカードを忘れ、当日の
作業が出来なかったのです。

二瀬ダムの駐車場でその間違いが判り同行者をあきれさせたのですが、若しかしたら
認知作業が寄る年波に・・・と言う事かも知れません。

        二瀬ダム全景

 

その後体調も少し回復した2月最後の日曜日、18台設置の山域に行って来ました。

Yo1氏と私が、上からのルート/下からのルートに別れ作業に向かったのですが、山
道には残雪が有り日陰ではガチガチに凍っていました。

蒼穹は4足歩行ですから全く気にしていなかった様ですが、足腰が覚束無い私は何回
転んだ事か…。

落ちたらそれで終わり・・・そんな処は殊更注意しますが、少し気を抜けばズルズ
ル・・・と。

途中で合流したYo氏も同じ感じだったとの事。

        道中で見つけた毛糞

 

12月28日以降山行の打ち合わせをする際、Yo1氏は必ず(カメラの予備、バッテ
リーとSDカード)の確認と言うのですが、とても耳が痛い今日この頃です。

謹んで新春のお慶びを申します。

 

    

 

昨年は、ニホンオオカミならぬクマが日本各地を賑わせた年でした。

 

皆さまは、つつがなく1年を過ごされましたでしょうか。

 

かく言う私は5月下旬、一寸した注意不足で歩行困難になり、元の体調に戻すべく現在も、病魔と闘っております。

 

そんな訳で山中のカメラメンテナンス参加も例年の半分以下で、若い会員の皆様に苦労を掛けて居ります。

 

そうした状態でも会の運営が出来ているのは、今までの作業の積み重なりの賜物で、今後も明るい未来が待っている・・・と考えている次第です。

 

また体力の衰えと共に、来る誕生日は喜寿を迎える事になります。

 

誠に勝手ではございますが、本年を持ちまして年賀状仕舞いをさせて戴きたく、お願い申し上げます。

    

令和八年 元旦

 

    〒362-0051 埼玉県上尾市地頭方376-7

           Tel/FAX: 048-781-8463

                     E-mail hodopcanis @yahoo.co.jp

    秩父宮記念三峰山博物館客員研究員 

    NPO法人ニホンオオカミを探す会代表

           八木 博

今項は本年最後の記載になります。

実はそれに相応しい記事・・・と言う事で3ヶ月くらい前に大事にファイルしていた
のですが、いざファイルを探して見るとそれが何処に在るか・・・と言う事で、

全く違う内容になってしまいました。

ただ、本年最初の記事(1月11日記載)「長野県下の目撃情報―5」の延長的な内容
ですので、これも何かの縁かも知れません。

 

長野市郊外の目撃情報周辺には現在もカメラが3台設置されていて、定期的にカメラ
メンテナンスがされておりますが、現場近くの久米路橋建設に関わる悲話になりま
す。


       
                  カメラ設置時の様子
                                
 
                      久米路橋周辺図

       
                     名勝久米路狭

この伝説は久米路橋にまつわる悲しい伝説である。

昔村の百姓は一様に貧しい生活をしていた。

貧農の一人娘お菊は病気になり、何も食べない日が続き、お父が「何か食いてえもの
はねえか」と聞くと、

お菊は「あずきまんま(赤飯)が食いてえ」と言った。
 

年貢に搾り取られた貧農にはもち米や小豆の貯えはなく、明日の命もわからない娘の
願いをかなえてやりたい親心は、ついに盗みを働いてしまった。

地主の蔵から、もち米と小豆を盗み出し、赤飯を作ってお菊に食べさせたのである。

 
お菊は食欲を取り戻し外に出て遊べるようになった。

「おら、うまいあずきまんま食ってるぞ」と一緒に遊ぶ子供達に誇らし気に話した。

この話が証拠となりお菊の父は捕らえられてしまったのである。
 

昔の久米路橋は大雨のたびに橋が流されてしまい、神の怒りによって流されると信じ
た村人は、人柱をささげて鎮めようとし、捕らえられたお菊の父は久米路橋の掛替の
人柱として生き埋めされたのである。

           
                         久米路橋の悲話

父を失ったお菊は放心のあまり口をきかなくなってしまった。

何年かあと、お菊の眼の前で雉が鳴き、その鳴き声がもとで猟師に撃ち落されたと
き、お菊は一言だけ口をきいた。

「きじも鳴かずば撃たれないものを・・・・」。

それっきりお菊はまたもとのおしになって、一言も言わず悲しい毎日を過ごしたとい
う。

この悲しい親子の伝説は、今でも親から子に語りつがれている。

           
                       目撃現場