前号「ニホンオオカミ存亡の謎」の続きになります。
筆者の高山秀子さんは山形県鶴岡市の出身で、山形新聞オピニオン欄に掲載された訳ですが、感慨深く文面をご覧になった方も大勢いたと思います。
当欄で以前述べたのですが、私がニホンオオカミの世界に深く入ったきっかけの一つが、動物文学を確立した戸川幸夫氏の存在です。
戸川氏は旧制山形高校に在学中、周辺の山々でオオカミ探しを行っています。
そうした過程の中、山形県の地犬である高安犬に深く興味を持つこととなり、後年「高安犬物語」で直木賞を受賞するのです。
戸川幸夫氏
高安犬物語
1995年11月、三峯神社で「ニホンオオカミフォーラム」を開催するにあたり、基調講演を戸川氏にお願いすべく電話を入れたのですが、
闘病中とのことでその願いは叶わなかった・・・そんな思いでのなか、私は「ニホンオオカミ存亡の謎」を読んでいました。
三峯神社でのニホンオオカミフォーラム
本題に戻ります。
日本には、ニホンオオカミの剥製標本は3体しかない。
私が見た1体は実家で兄が飼っていたハスキー犬に比べると、とても小柄に見えた。
魔除けに使われた毛皮や頭骨は残っているが、個人が所有しているものが多い。
科博のニホンオオカミ剥製
江戸時代の狂犬病、その後のジステンパーの流行や東北地方の狼駆除や都市開発などによって、ニホンオオカミの現存の可能性は極めて低い。
しかし疑問は残る。
日本は絶滅と判断するに足る十分な聞き取りや、信頼すべき調査や標本収集を行ってきたのだろうか。
69(昭和44)年夏、新潟、長野両県にまたがる苗場山中で咆哮を聞いて以来、八木博は半世紀以上にわたってニホンオオカミを探し続けてきた。
寄せられる情報に耳を傾け、仲間と共に日本人が忘れかけている動物を追い続けてきた。
96年10月、秩父山中で彼は狼に似たその動物「秩父野犬」に出くわし写真撮影に成功した。
秩父野犬
2018年の晩秋、村の友人が緊迫した声で電話をかけてきた。
聞けば、玄関先の池の縁に狼がいたという。
「あれは犬ではない。ガリガリに痩せてはいたが、怯えるでもなく黙って私を見ていた」
彼女は母親にカメラを持ってきてと声をかけてしまった。
その瞬間、動物は近くの谷川に走り去ったという。
現場を案内する遭遇者
その時の記事
3年前の夏の早朝4時、私は開け放った窓から長い哀しげな遠吠えを聞いた。
遠吠えを聴いた山荘
応えるようにまた遠吠えが聞こえてきた。
魅入られて、録音することさえ忘れていた。
あの後、英字紙でニホンオオカミの取材を続けている息子に、テープレコーダーを持たされている。
息子のマーティン記者
秩父山地に身をおくと、ニホンオオカミの存亡の謎は深まる。
17年に埼玉県立川の博物館開催された特別展「神になったオオカミ」の展示解説図録のコラムにこんな記述があった。
「生存の可能性は限りなく小さいことは確かですが、もし秩父山地のどこかでまだ生きながらえているとしたら・・・