前回に続き、10年前の4月に掲載した「平岩家の動物文学」のリニュアル版です。
私が未だ駆け出しのころ平岩氏の意見は絶対的で、下記文面の通り、ニホンオオカミ生存に関する事案は「絶滅」の二文字以外は認めず、生きている(かも知れない)考え方は闇の中に葬られました。
そんな中、「動物文学」に生存説を多数投稿していた「松山義雄」氏は、「狩りの語部」三部作を発表したのです。
2015年4月11日掲載の紙面
松山義雄著「狩りの語部」
国内で科学的見地に立った二ホンオオカミ(Canis hodophilax)の研究は、日本犬保存の為の研究と平行して開始されました。
明治維新後の文明開化によって欧米から洋犬が輸入されるようになると、日本犬の飼育をする人は少なくなり、昭和になると純粋な日本犬は、ほとんど姿を消す事となりました。
この現状に危機感を抱いた斎藤弘吉氏・平岩米吉氏等は、1928年(昭和3年)に日本犬保存会を創立して保存運動を展開すると共に、二ホンオオカミの科学的な研究を始めたのです。
斉藤氏は主に頭骨の計測により、平岩氏は頭骨計測、古文書の発掘そして生態の観察に努めました。
その後平岩氏は「動物文学会」を創立し、その機関紙として1933年「動物文学」を創刊・主宰し、1986年の死去後は長女由伎子氏がそれを継承しています。
動物文学 平成九年初冬号に掲載の平岩米吉氏
動物文学 主宰者 平岩由伎子氏
20年くらい前の事ですが、図書館で貸し出し禁止の「動物文学」全巻を紐解き、掲載されている二ホンオオカミ体験記等をコピーした事が有ります。
一日がかりの作業でしたがコピーを束ねると分厚い書籍と化していました。
米吉氏は「動物文学」創刊以来「二ホンオオカミ絶滅説」を貫き、由伎子氏もそれを踏襲しています。
私達は【二ホンオオカミは生きている】と考え、その為の活動を続けています、が、一般的には平岩氏等の考え方の方が圧倒的に多いのです。
下記は仲間が送ってくれた、二十数年前「動物文学」に掲載された主宰者の文面です。
「動物文学会」の機関紙である「動物文学」である事を念頭に、ご覧願えればと思います。
日本狼残存説を憂える 平岩由伎子
少し前になるが、「狼―その生態と歴史―」を読まれた和歌山の西本喜一氏(明治29年生)という方から次の様な手紙を頂いた。
『昭和22~23年にかけて和歌山県西牟婁郡すさみ町江住の谷奥で岩谷万六と言う男が炭を焼いていました。
その炭焼小屋の側へ山羊を繋いで飼って居たが、朝自宅から小屋に来たら山羊は食い殺されていたので、穴を掘って埋めた。
その夜は小屋泊まりだったが、狼が怒って一晩中鳴いていたので、とうとう眠る事が出来なかった!と言っていた。
その後私も同じ場所で昭和50年~51年にかけて、炭を焼きました。
私も家から通っていましたが、一釜焼くのに一晩は小屋に泊らねばなりません。
その時も夜は狼に吠えられました。
長い間山の中で仕事をして来たのに、狼の正体、姿を見たことは有りません。
妻が中年の時、夜遅く家に帰って来た事が有り、その時百メートルくらい遅れてイヌが着いて来て家まで送ってくれたが、これが送り狼であった事は確かです。
又、夜も朝方も狼が吠える声は良く聞きます。
今でも炭焼小屋の奥に居ると思います。』
なお、氏は二十歳のころ山猫に遭遇した体験も寄せてこられた。
お手紙を見ると非常に真剣で好い加減なことをいう人柄では無い様である。
しかし、この報告の内容を見る限り、狼がいるという証拠になるものは何一つ無い様である。
つないであった山羊が殺されて喰われたからといって狼の仕業だとは決めてしまっているが、野生化した犬が山羊どころか牛を倒した例もあり、
山羊が殺されて喰われたからと言って狼とは決められない。
犬であっても少しも不思議ではないのである。
山中の吠え声やフン等についても、狼のものであるという証拠はどこにもない。
夜遅く人の後をつけてきたから送り狼というのもそうである。
西本氏が言ってる事は、これまでに無数に繰り替えされてきた狼残存説と少しも変る処が無い。
以前、日本狼の残存というロマンを追うあまり、終にはおかしくなって狐、狸まで日本狼だと主張したり、六甲芦屋の住宅街にも若狼が出没する等と言い出した人物がいたが、
この文章の件は斐太猪之介氏(写真)と思われる
最近、またまた、それに類する残存説が一部のグループで流布されている様である。
この件は1994年3月20日 、奈良県下で開催したフォーラムの団体らしい
おそらく西本氏もそれ等の説を耳にされた事も有って、体験を報告してこられたのだと思う。
今回の残存説も日本狼のロマンにのめりこんで、本気でそうしたことを信じているのか、よく判らないが、とにかく「日本狼が絶滅した等と言うのは、何も知らない学者のウソだ。
現在でも猟師や炭焼きの中には日本狼を目撃している者が幾らでもいる。」そればかりか「狼が和犬にかかって生まれた子孫が現存する」等と主張している。
その地方の山に、かって狼が多く棲息していたことは事実だし、おそらく他のいくつかの地方とともに最後まで残存していただろう。
岸田日出男氏執筆の「日本狼物語」に多くの記述がある
しかし確実に日本狼と認められるものがその地方で獲られてから、すでに八十有余年の月日が経過している。まず残存しているとは思えないのである。
シーラカンス(写真)は6500万年前に絶滅したとされていました
昭和34年大阪市立大学探検部13名によって行われた調査でも残存は否定され、猟師炭焼きの人達(19名)からの聞き込みでも、いると答えた者はただ1名のみで有ったと言う。
今回の残存説も、昔から狼について言い伝えられてきた誤った観念をもとにしたもので、牛の吠える様なすさまじい吠え声を聞いたから狼の声に違い無い、
足跡が大きかったから、糞に毛や骨片が混じっていたから狼のものだ等々。
全く科学的な根拠を欠いているものばかりである。
言うまでもなく狼の吠え声は牛の吠え声等と言うものでは無いし、野生化した犬の糞にも毛や骨片は混じっていて当然だから、そんな事は狼の証拠にはならない。
和犬に日本狼が交雑したと言うのも、この和犬の飼主はその狼の姿も交尾も確認している訳では無い。
発情した和犬のメス犬を繋いでおいたら、その周囲に、
「犬より大きくて、犬より丸い足跡が沢山残されていたから、狼が来てメス犬と交尾した事は確かだ」としている。
そして、このメス犬が出産したところ、「その子が余りに狼に似ていたので気味が悪くなり、大部分の子を捨ててしまった。
残した子も狼に似ていて、性質などが犬とは違っている」と言う。
日本狼の大きさは中型の和犬よりは大きめだが、小さいのもいた様なので、足跡の大きさだけで決める事はできない。
形が犬より丸いと言うのも狼である決め手にならない。
逆に丸いのこそ犬の足跡の特徴なのである。
これだけでも和犬に掛かったのは犬であって狼では無かった事になる。
炭焼きの中には、現在でも毎日の様に狼の姿を見ている者がいる等と言うのも到底そのまま信用する事はできない。
猟師や炭焼きの中には本当の狼を知らずに、野犬などを狼と呼び慣らしてきて、それを信じている者もあるのだろう。
野生の獣を熟知している筈の職業の人々は、意外にそうした事に無知で、荒唐無稽な言い伝えや誤った観念を、ただそのまま信じている事が多のである。
狼が交雑した確証の全く認められない犬(それらは不鮮明な写真で見る限り犬そのものの姿で狼らしさは無い様である)同士を交配し狼に似た形質を積み重ね、日本狼を復元しようという計画もあると言う。
二ホンオオカミを復元させようとした村上和潔氏
そのグループの人達の主張するように、本当に日本狼が絶滅していないなら、そんな事をする必要は無い筈だと思うが、
そうした計画を進めてどういう結果になるだろうか。
例えば、ストップのゆるい頭骨、上顎第四前臼歯、下顎第一臼歯などの巨大な犬を作っても、犬は犬である。
私達が好みに任せて小はチワワから、大はセントバーナード、脚の長いボルゾイ、短いダックスフントを作り出した様に、狼に似た犬は幾らでも作れる。
だが、いくつかの形質を人工的に作ったところで、それは狼では無い。
村上氏が創出した所謂「戻り狼」
それより私が気になるのは、前記の地方でヌクテ、或いはシベリアオオカミを紀州犬に交配してすでに昨年から子をとっている事である。
この一代雑種の一頭が山に捨てられたと言う情報もある。
この件は世古 孜 氏(写真)の事らしい
これまでもそうであった様に、狼のロマンに取り付かれた何の根拠も無い残存説は、繰り返し浮上してもひとりでに消えていくものだから、それを一々真面目に取り上げるまでも無いと思う。
だが、それが売名を願う人々に利用されたら、狼の研究の歴史に拭い様の無い汚点を残す事になりはしないだろうか。
私はそれを憂うるばかりである。