岩手県博で展示されていた「日本の希少な鳥獣」コーナーの【ニホンオオカミの毛皮】。

先述の通りこの毛皮には『オオカミ研究の権威である今泉吉典博士の見解が出されている』の案内表示が有ったのです。

ただこの毛皮!1996年5月、研究仲間の長岡氏と共に二戸市の黒岩家迄出向き、調査済みでした。

 

黒沢家の人達と

 

前年の11月、三峯神社で開催された「二ホンオオカミフォーラム」に黒沢氏が参加され、それが縁で翌年岩手県二戸市まで足を運んだのです。

フォーラム開催にあたって至る所に足を運び、万全の準備をする中、秩父市内の民家に保存されていた「ニホンオオカミ」の毛皮に遭遇。

 

秩父市内の民家に保存されていた毛皮

 

そして全ての写真を今泉吉典博士に送付し、「ニホンオオカミの毛皮の見方」を伝授されていた私ですが、黒沢家の毛皮を前にして困惑の極みになっていました。

秩父市内の毛皮と比べ両手/両足/尾が無く、全体像を想像するのが難く、黒沢家が望むような答えを出すのは困難だったのです。

 

黒沢家所蔵の毛皮

 

毛皮の後端部

 

調査中の私

 

毛皮の裏面

 

この毛皮について、岩手県博の上席専門学芸員を務めていた藤井忠志氏が、「ニホンオオカミ雑稿」として下記の文面を記しています。

 

藤井忠志氏と私

 

【私が現在、勤務している岩手県立博物館には、1枚のニホンオオカミ(Canis hodophilax)と言われる毛皮が寄託されている。

寄託者は二戸市在住の黒沢修一氏であるが、この毛皮がニホンオオカミであることを示す記録は存在しない。

ただ黒沢氏の聞きとりから、1910年(明治43年)黒沢家の祖父で毛皮商であった黒沢繁左衛門氏(明治12年~昭和6年)が地元の猟師である大端福治氏(明治9年~昭和16年)から購入したものである。

なめしの状態は良好であるが4肢がなく尾もないのが残念である。

毛皮や乳首の状態から、授乳中のメス成獣であり、散弾で撃たれた痕跡がある。

従って、捕獲されたのは夏期であり、当然ながら巣穴には何頭かの幼獣もいたと推測される。

この毛皮について、日本を代表するニホンオオカミ研究者の今泉吉典氏は、耳介の前に長い毛の頬髭がある(ヤマイヌにはこの頬髭がない?)こと。

 

耳介の前の頬髭

 

吻端から眼までの距離と眼から耳孔までの距離が手持ちの和歌山大学のオオカミ頭骨の計算値にほぼ一致したことを根拠に「ニホンオオカミに間違いない」とテレビ岩手の取材で断言されていたが、

毛の特徴や計測結果がたまたま合致・近似していただけのこととも解釈できる。

 

和歌山大学のオオカミ頭骨

 

いずれ重要なのは、時代が進み、科学的手法がより高度になる時代が近い将来、訪れるだろうことを期待して、この標本を維持・管理しながら、

資料的価値を高めるということであり、そのことが資料の存在する県立博物館としての使命と認識している。】

 

当初の目的だった頭骨調査を終えた際、藤井氏は多くのファイルの中から2枚の文面を私に提示したが、それは今泉博士が黒沢家宛に記した毛皮の所見でした。

 

今から8年前の丁度今頃-7月中旬―研究仲間4名で岩手県立博物館に向かいまし
た。

奥州市江刺区の菅野家に保管されていた「ニホンオオカミ頭骨/他」2点の調査の為で
した。



        
                         菅野家の庭にて

 
当時の新聞記事から頭骨の由来等詳細を抜粋すると

         
                        掲載されていた新聞


『3人を食い殺したオオカミを先祖が退治し、魔除けとして玄関に祀ったと伝えられ
ていた。

             
                         この魚の尾の下に吊るしていた
 

研究になればと思い、獣医の菊地氏にお譲りしたが、二ホンオオカミと分かり言い伝
えが本当だった』と感心しきり。

頭骨の調査に菊地獣医が着手したのは平成25年に次男が帯広畜産大学に入学したのを
機に、同大の佐々木教授に鑑定を依頼した。

二つの頭骨はそれぞれオオカミと日本犬の骨と判明。

           
                            左がオオカミ

 
オオカミの種類を特定する為、岐阜大学の石黒直隆教授にDNA鑑定を頼み、ニホンオ
オカミのDNAと一致したという。

この話を知った県立博物館が展示を企画。

菊地獣医も「貴重な資料だと分ったので、しっかり保管してくれる所に預けようと
思った」と同館への寄託を決めた。

同館の学芸員は「東京大学のニホンオオカミの標本は岩手のものであるなど、かって
は県内に多く生息していたが、

骨や毛皮は岩手のみならず東北地方に数例あるだけで非常に貴重」と話す。

           
                               東京大学の剥製
 

記録では江戸時代に多くのオオカミが県内におり、家畜などを襲ったため藩が駆除を
奨励し個体数が減少したという。

「これは裏を返せば、それまでは岩手に生態系のバランスが取れた自然があった証
拠」と説明・・・云々。

 

私が注目したのは、保管されていた頭骨2点の捕獲地は菅野家の裏山で、

先祖は「オオカミ」として2頭を捕獲して、頭骨を保管していたのですが一頭はイヌ
だったと云う点です。

            
                       祠の裏方面にオオカミたちが居た


岩手県の史実でも、オオカミに懸賞金を掛け200頭前後のオオカミを駆除して、某牧
場に埋めたとされています。

何時の日か埋められたとする場所を掘り返し骨を調べて見れば、ニホンオオカミに関
する多くの謎が解けると思うのです。


その後、奥州市江刺区の菅野家を後に盛岡の県博に向かったのですが、県博に足を踏
み入れてすぐ正面の展示「日本の希少な鳥獣」のコーナーに、

驚くべき毛皮が展示されていたのです。

                 
                                日本の希少な鳥獣コーナー
【ニホンオオカミ(毛皮)?

この毛皮は明治43年(1910年)岩手県二戸市の蛇沼牧場で打ち取られたものと口承さ
れています。

オオカミ研究の権威である今泉吉典博士は、この毛皮が間違いなくニホンオオカミで
あるという見解を示しています。】の案内と共に。

                        
                                     毛皮の案内
4月に掲載した 「オオカミ探しの途中咆哮が…」の現場が気に掛かり、5月末カメラ
設置に向かいました。

私と蒼穹号の他2人のYo氏が同行でした。

実はこの場所12~3年前に捜索した現場でしたが、思わしい結果が出ずに1年位で引き
揚げています。

          
                        炭焼き釜跡とカメラ

 
設置したトレイルカメラに思う様な映像は撮れなかったのですが、三峯観光道路上に
現れる動物達はこの周辺から発生していると思われます。

2019年7月5日掲載の「三峯神社行きのバスで」がその代表ですが、同様の事例は多い
のです。

         
                    三峯観光道路上の目撃現場

 
そして去る3月18日の夜の、親子で確認したオオカミと思われる咆哮の件。


オオカミ探しを始めてから一番通っている山は和名倉山(2.036m)で、かれこれ30
数年。

山の東西南北到る所へ捜索に入っていて、未発表ですが重要な映像も得ています。

ただこの山、南半分を東京大学の演習林,北半分を私有地(共有林)の為少し厄介なの
です。

 
昔三峯集落の人達は、川向こうの共有林中に平地を求め、畑仕事で生活の足しにして
いたのです。

             
                               山道に残る小屋

 
その証に山道の整備をし、吊り橋も掛けていたのですが、今回は吊り橋が使用禁止に
なっていました。

            
                            使用中止となった吊り橋

 
仕方が無いので浅い場所を見つけ対岸まで渡ったのですが、登山者/釣り人達が使う
山道は、老齢の私には無理筋でした。

              
                                何時もこんな水量なら…


カメラの設置をしても次回のメンテナンス時、渡渉出来るとは限らないので、熟慮の
末この現場でのカメラ設置は諦める事にしたのです。


車に戻り、Yo氏の一人と別れを告げた後時間が早かった為、帰り道を奥多摩経由とす
る事にしました。

すると、荒川上流のダム湖も笛吹川上流のダム湖も貯水湖としての威厳を保っていた
のですが、多摩川上流に足を踏み入れると…!!!

―御承知の通り奥多摩県境は東京都の水源林で、カメラ設置でも東京都水道局の許可
が必要です。―

それが何と、下記写真の通り貯水湖としての体を成していなかったのです。

          
                            奥多摩湖の上流1


          
                             奥多摩湖の上流2

 
但し、この写真は本年5月末の状況でして、その後台風が数回雨を運んで来てますの
で、少しは改善されたのでしょうか。