私は来月喜寿-77歳-を迎えます。

70歳を過ぎてから体力が衰え、1年ごとに山行の範囲が狭まり、同行者に迷惑を掛
けています。

と言っても、主たる同行者のY氏も同様で、5年前には一番安易と感じていた東京大
学の演習林のルートが大変になってきている・・・との事。

 

そんな訳で、カメラの設置個所も出来るだけ安易な山域を選択している感じですが、
最近とても面白い情報が届きまして、

カメラの設置をするべく奥秩父のとある沢筋に足を伸ばしました。

ただこの情報は、提供者の許可なくブログに載せる事が出来ないので、2014年10月8
日掲載の「6~7頭のオオカミが私の側を・・・」ご覧下さい。

(注!何かの都合で判読不明になっていますので、以下の文面を参考に!)

 

【夏とは言っても源流域の水は冷たく、河原の流木を燃やして体を温めながら上流に
進んだのですが、川に沿って作られた森林軌道の終点まで辿って漁を止め、午前3:
00頃帰途につきました。

          
                     森林軌道終点近くの橋

 

帰途について間も無く・・・と言っていましたが、森林軌道を歩いていた長谷川さん
が立ち止り「おい!なんだ!あのイヌは!」と指差した先に、

6~7頭のシェパード位の大きさの動物が居って、こちらに向かい1列に並び歩いて来
たとの事です。

動物たちは、2本の軌道が作る小さなスペースの中を、2人の人間を全く意に介せず、
云わば雑踏の中を触れんが如くすれ違い、奥に(上流に)向かったそうです。

動物たちの態度とは裏腹に、2人の人間はいつまでも震えが止まらず、命拾いをした
と感じて、2度と滝川に足を踏み入れず、他の川筋にて漁をしたとの事です。】

 

この森林軌道の先で、面白い情報が有ったのです。

            
                                  森林軌道

 

実を言うと、森林軌道から離れた滝川右岸道では(2010年頃)数年に渡りカメラで動
物観察をしていて、入山経路は熟知していました。

滝川の支流ぶどう沢での墜落事故、それに続くヘリの落下事故、そして日本TV  「バ
ンキシャ」の2名の記者の水難事故時、右岸道に入っている時で、事故を身近に感じ
ていました。

            
                       現在はこんな石碑になって

 

そうした事も手伝って、森林軌道への入山も容易いと考えていたのですが、それらも
10年以上前の事。

使っていた山道も荒れに荒れ現在の私には手強い坂道、ザックの中のザイルを出す気
にさえなりませんでした。

            
                       この斜面も今の私には・・・

 

降下地点を見出せないまま秩父の最深部に車を乗り入れたのですが、9月末で渓流釣
りも終わる為か、予想に反する多くの車が停まっていました。

目的地点迄の山道は明確との事で安心して車を後にしたのですが、10分位で道が途絶
え断崖になっていました。

今年になって幾つかの台風も上陸していますので、その影響だったのでしょう。

 

それやこれやで目的地への意欲も絶えてしまい、最終目的地が猪狩神社入り口の「そ
ば福」になってしまったのです。

            
                           そば福の胡桃天ざる

 

帰途の車中色々と考えたのですが、つまりは年齢と共に低下している、私の体力の為
せる業なのでしょう。
私の知る限りですが「にほんおおかみ」をテーマとして活動をしている団体が国内に3団体存在しています。

「一般社団法人日本オオカミ協会」「NPO法人ニホンオオカミを探す会」そして「ニホンオオカミ倶楽部」です。

 

「日本オオカミ協会」は1993年、オオカミに対する誤解と偏見を解いて、その生態を科学的に正しく伝え、世界中のオオカミの保護と復活のために設立されました。

と云うか、簡単に言うと「オオカミが絶滅した日本国に大陸のオオカミを導入して、森林被害を鹿/イノシシ等から防ごう」と云う団体です。

ニホンオオカミの生存を疑っていない私達としては、(生存の証明が為される)近い将来彼らの活動目的が変わるか、会の解散が為される…と思っている次第です。

 

「ニホンオオカミ倶楽部」は早稲田大学探検部OB会の有志が、ニホンオオカミの生存確認をするべく、今から十数年前に活動を始めた団体です。

つまり、私達と同じ目的で発足した訳ですが、全くknow-howを持たずしてだった為、私達と山中同行を重ねての一歩でした。

数年してから、多摩地区の探索場所を「ニホンオオカミ倶楽部」に任せ、私達は秩父山中をメインに活動をする…地域の棲み分けをしたのです。

              
                                倶楽部発足頃の写真
                           (奥島総長を中心に三条の湯で)

 

猛暑が続く7月下旬 、倶楽部の会員から一報が届きました。

代表の望月さんがお亡くなりになった…と。

倶楽部の人達とはかなり友好的な交流をしていて、その1週間前には望月さんともバカ話をしたばかりでしたので、腰が抜ける程の吃驚でした。

ただ3~4年前毎週末、横浜から千葉県柏市まで1泊2日の治療旅をしていたと云う事で、その治療が上手く行って無かったのか…と。

数年の治療旅を終えたと云う事なので完治として捉えていて、私としては安心していたのです。

それにしても吃驚でした。

十数年のお付き合いだったのでお通夜だけ参加したのですが、猛暑の中私の体調も下降気味になり、自分の体も昔の様にはならない事を実感した次第です。

              
                                奥多摩にて望月さんと

 

望月さんとお別れをした1ヶ月後。

【ニホンオオカミ倶楽部の発起人ー矢作、石田、菅原がニホンオオカミ俱楽部の今後について話し合い、明年には解散するとのことです。

望月は年度末に一年間の報告と次年度の計画でカメラ設置場所の許可を東京都水道局に取っていましたが、すべて望月にまかっせぱなしで水道局のどこの部署(担当
者?)と折衝して  

いたのか誰も知りません。

もし八木さんがご存じでしたら教えてください。】

こんなメールが届きました。

               
                               ニホンオオカミ生態調査

 

文面で分かる様に、倶楽部の運営全てを望月さんが行っていた為、会員の人達は大変困っている様子。

望月さんを始め発起人の人達は現在80歳を超えた老齢の状態。

と云うか、次世代の会員の育成を行って居なかった様子。

              
                            新聞の記事になった事も有ったのに

 

私ももう直ぐ77歳―喜寿―となり、山歩きは同行者に迷惑掛けっぱなしの状態。

ニホンオオカミ倶楽部発起人の皆さん(彼らは皆功成り名を遂げた人たちばかりです)も、改めて会の運営に立ち入ることは躊躇すると思います。

そして、山から持ち帰った15~6個のSDカードを分析する事は、山歩きをする事よりもっと大変なはずですから。

                 
                                 倶楽部発起人の人達

                
                                    発起人の一人

                
                                   倶楽部の撮影

 

ただ十数年の蓄積を、望月さんの死と共に無に還すのはとても残念です。

上記の通り以前、秩父と奥多摩の棲み分けをした訳ですので、むざむざニホンオオカミ倶楽部の解散を見ている訳に行きません。

そんな訳で近い将来、私達が探索場所の引継を行いたいと思っています。
2026/08/01の当欄「岩手県博の毛皮-2」で記した通り、1996年5月、黒沢家の毛皮を
拝見したのですが、落胆後長岡氏と共に隣県青森県十和田市迄足を伸ばし、

市内の寺院に保管されている「ニホンオオカミのミイラ化した右後足」を拝見させて
戴きました。

              
                           ミイラ化した右後足

 

「ニホンオオカミを鑑定する」として吉行瑞子氏が

【このたび、ニホンオオカミのものと思われているミイラの鑑定依頼を受けました。

この遺物は青森県十和田市内の寺院に保管されているもので、言い伝えによれば、約
百数十年前に土地の猟師が射殺し、五戸代官所に差し出されたものの一部といわれま
す。

現在では、その寺院の家宝とされているいるようです。

当時、ニホンオオカミは重要な家畜をおそうということで、人に嫌われていたのかも
知れませんね。

宅配便で到着したものはミイラ化した右後足で、下腿部の先端部で切断されて脱毛し
ていました。】

とする文面を記しています。

          
                             文面の一部

           
                            吉行先生と私

 

尚、2002年に吉行先生から黒沢家の毛皮について、 

【毛皮が小さすぎると思います。初めオオカミかと思ったのですが、少し考えてみま
すと、鼻鏡がキツネほどしかなく、イヌにしても小型です。

多分イヌだったなと思っております。】

こんな私信が届いておりました。

 

因みに、残された多くの頭骨とは別に、ミイラ化された足の標本と言うのは、神奈川
県清川村の1例と、広島県加計町に伝わる1例だけです。

                
                                  清川村の足の標本

 

但し加計町の標本は現在行方不明で、再び私達の前に現れる日が何時か訪れる事を祈
る次第です。

 

十和田市の寺院を後にし、黒沢家に宿泊する長岡氏と別れ、私は盛岡駅周辺に宿を取
りました。

ニホンオオカミの民間研究者として知られる、斐太猪之介氏が記した書物中に紹介さ
れていた標本の調査でした。

            
                          斐太猪之介氏

 

翌日バスを乗り継ぎ、大船渡市大森集落の佐藤長吉宅に保存されている「オオカミの
上下顎前部の根付け」を拝見したのですが、

残念ながら求める標本とは大きく異なり、それはクマの上下顎の根付けでした。

        
                       クマの根付け

 

余談ですが、斐太猪之助氏の著書中の標本を求め多くの旅をしています。

が、最終的に、斐太氏のニホンオオカミと私達の求めるニホンオオカミは、違う動物
である事が判ったのです。

              
                    奥飛騨に伝わる白いニホンオオカミ?

 

大船渡市を後に、仙台経由で山形県米沢市まで足を伸ばし、奥多摩の御前山で捕獲さ
れたニホンオオカミの根付け標本を拝見に、

清水大典氏宅まで行くのがこの旅の最後かなと思ったのですが、翌日新潟県村上市の
奥、三面まで足を伸ばす事になりました。

              
                                清水大典氏

              
                            奥多摩の御前山産標本

 

敬愛する斎藤弘吉氏の「日本の犬と狼」に記述されていた三面の風景を頭に刻みた
かったのです。

著書中には三面でのニホンオオカミ目撃例も載っていたのですが、それも大正末期頃
の話で、それから60年以上たった1996年では時代が違い過ぎて居たのでしょう。

斎藤氏の描いた三面とは変わり過ぎて居ました。

            
                            三面の狩人姿の斎藤氏