本来なら今週も「オオカミはいた。そして、やまいぬも-2」の掲載を予定していましたが、朝日新聞12月3日(日)版に
「新・山へ行こう」―ニホンオオカミを探し続ける八木博さん講演、信州でも目撃談―として、山岳ジャーナリスト近藤記者の記事が掲載されていましたので、その全てを紹介する事に致しました。
この記事は甲信越3県での掲載でしたので、ご覧になれなかった人の方が圧倒的に多く、当欄での掲載を許容してくれた各位に感謝する次第です。
12/3欄「新・山へ行こう」
日本初の山岳をテーマとした博物館として有名な大町山岳博物館(長野県大町市)で、来年1月28日まで企画展「大町と絶滅動物」が開催されています。トキやニホンカワウソの剥製、ニホンオオカミの頭骨などを展示。かつて大町市周辺に生息していた生き物を紹介するユニークな内容。
改装中の大町山岳博物館
トキの剥製
ニホンカワウソの剥製
ニホンオオカミの頭骨
11月中旬、NPO法人「ニホンオオカミを探す会」代表の八木博さん(74)が同館で講演しました。
講演中の私
複数の参加者から「ニホンオオカミらしき動物を見た」との目撃談が発表され、今も長野、山梨県内に「未確認の動物が生息している」との期待が高まりました。
ニホンオオカミは、1905(明治38年)の奈良県での捕獲例を最後に確認情報がなく、その後まもなく絶滅したとされています。
長野県内では明治時代まで生息していた記録が残っています。
大町周辺のニホンオオカミ
だが、現在も目撃や遠ぼえを聞いたなどの生存情報が絶えません。
1969年7月、八木さんは山小屋番をしていた長野・新潟県境の苗場山でニホンオオカミと思われる遠ぼえを聞いて以来、オオカミ探しに情熱を燃やしています。
ただ、国内に残るニホンオオカミの剥製は国立科学博物館(東京)など3体だけで、生きた姿の写真はありません。
さらに、ある動物を特定する「タイプ標本」は、オランダの博物館にある剥製なのです。
タイプ標本は、江戸時代後期に来日したドイツ人医師のシーボルトがオランダに送ったものです。
シーボルトは、オオカミとヤマイヌの2種類の動物の毛皮や頭骨を送りました。
タイプ標本の台座には「Jamainu(ルビ=ヤ・マイ・ヌ)」と記されています。
オオカミとヤマイヌは別の動物なのでしょうか、それとも同じ動物なのでしょうか。
今も混乱が続いています。
ニホンオオカミは、日本の研究者が詳しく調査する前に絶滅してしまった謎の動物といえるのです。
講演会で八木さんは、長年にわたるニホンオオカミの研究成果を説明しました。
1996年10月、埼玉県秩父地方の山中で撮影したイヌ科の動物の写真が参加者の興味を引きました。
動物の大きさは紀州犬くらいでした。
八木さんは「ニホンオオカミに間違いない」と思い、国立科学博物館の元動物研究部長に写真を送りました。
すると、耳の形や前脚の短さ、尾の先が黒いなど12の特徴から「ニホンオオカミの生き残りの可能性がある貴重な動物であることだけは確かです」との回答でした。
八木さんはこの動物を「秩父野犬」と名付け、ニホンオオカミ生存の証拠と考えています。
秩父野犬
講演会の最後に、会場の参加者から驚くべき内容の情報が明かされました。
長野市信州新町の筒井和之さん(57)は、5~6年前の体験談を語りました。
信州新町の筒井和之さん
夜間に自宅に帰る途中、カーブで車のスピードを落とした時、大型犬ほどの謎の動物が車の横を通りました。
「私は野生動物が好きなので、どんな動物でも大体判断できますが、その範疇を外れていました。
テレビ番組で秩父野犬を観た時、『これだ』と思いました」
東京都昭島市の伊藤博之さん(53)は10年前、山梨県の木賊(ルビ=と・く・さ)峠で星空を撮影中、その動物に出合いました。
東京都昭島市の伊藤博之さん
「午前5時頃、約15メートルの近距離で現れました。
耳が小さく、尻尾が真っ直ぐで筋肉質。秩父野犬の写真を見たとき、そっくりだと感じました」
このほか、伊藤さんは山梨県の乙女高原や三窪高原で、八木さんが聞いたような遠ぼえを何度も聞いています。
八木さんは、「遠ぼえをぜひ録音してください。分析すれば動物を特定できます。
事例が複数集まれば、真実に近づくことができます」と期待を寄せます。
この方も体験者
果たしてニホンオオカミは今も生き残っているのでしょうか。
それも長野県や山梨県に。
帰宅前に記念写真
左から2番目が近藤記者