7月下旬の「夏の日のカメラメンテナンス」で紹介した秩父市在住山岳カメラマン新井康雄氏の作品に「雪の屋久島」が有ります。

氏は写真集を作成するにあたり、12月から2月までの積雪期を13年間通いつめたそうです。

思い入れの深い屋久島での13年間。

科学では理解できない事例に逢わなかったか伺いますと答えは「一杯有る」・・・と。

 

新井康雄作「雪の屋久島」

 

私達がオオカミ探しをしている和名倉山と同じく、九州一の高峰宮之浦岳も行方不明の登山者が多い山として知られています。

 

宮之浦岳山頂で

 

新井さんにそんな質問をした私も、、宮之浦岳の登山口「淀川小屋」で眠れない一晩を過ごしたのです。

 

淀川小屋

 

母親が死んでとても悲しく、宮之浦岳登山と縄文杉見物を思い立ったのですが、1992年5月の事ですから、今から30年以上前の事になります。

一人で夕食の準備をしていると、下って来る多くの登山者の足音がするので待っていたのですが、何時までたっても現れないのです。

多分30分位は待っていたと思いますが、いつしか靴音は止み、周囲は暗闇に包まれたのです。

宮之浦岳周辺ではそうした事例が多いと聞いていましたので、その晩一睡も出来ない夜を過ごす事になりました。

余分になりますが屋久島と云うと、宮之浦岳山頂から下って1時間の、樹齢2000年~7000年と云われ周囲25mの縄文杉を一周して、人生観が変わったのを覚えています。

 

縄文杉

 

私は中学時代から山登りをしている訳で、山と触れ合った長い間に幾つか(片手に余る位)の不思議な体験をしています。

ただ、私の経験は幾つかに過ぎませんが、当欄2014年12月22日掲載の「西丸震哉」欄で記した様に、50数年に渡り山歩き(オオカミ探しを)続けて来られたのは西丸氏の書籍に触れ合ってこそであります。

この欄に置いて再度西丸震哉著の「山歩き山暮し」の一節を紹介したいと思います。

 

西丸震哉氏

 

中公文庫「山歩き山暮し」

 

幽霊の様な「モノ」がもし存在し得ないものであるのならば、洋の東西を問わず、似た様な体験が時折人間に与えられ語り継がれる事を疑問視しなければならず、これがその地区での誰かの思いつきであるならば、内容にあまり類似性がありすぎてはおかしいという疑問を持たなければならない。

人間の考え付く事はどこでも似た様なものかも知れないが、有ったという事を徹底して調べないうちに否定する事は許されるべき事では無い。

幽霊やお化けや人魂などに付いても、もっとデーターを集めたり、引き出せる条件を作り出す努力をしてみなければならない段階であって、拒絶してしまってはそれで全てが終わりとなる。

 

西丸震哉氏のイラスト

 

春の浅草岳周辺へ私の身替りとして出て行った隊に頼まれ、雪崩が起こりやすい地域を通過する二日間、確実に雨だと予想されていたにも係わらず、雨の来るのを二日間後にずれさせる実験が旨くいって、その間を快晴にする事が出来た様な、今までに十回以上のテストをしてみて、全て満足出来る結果を得た。

 

山岳雑誌中の西丸夫妻

 

苗場山の小屋番をしていた50数年前、繁忙期手伝いに来るおばさんから「八海山の行を極めた修験行者は、天気さえ変えられる。」と聞いて、腹の中で「何を馬鹿な・・・!」と笑っていたのですが、

西丸氏の書籍に出逢い吃驚し、信条を「かも知れない!」に変えたのです。

つまりニホンオオカミに関してなら、届いた情報全てに「ニホンオオカミかも知れない!」として調査をする。

そしてその積み重ねが現在であるのです。

 

小屋番時の私