当ブログ「井戸端会議」は20106月からの開始で、現在号を重ねて400回に達しようとしています。
 
それ以前はHPからの情報発信で「canis hodophilax MUSEUM」「wanted canis hodophilax」からでした。
 
私がパソコンをはじめた当初(今でもそうですが)基礎的なものは全く知らず、機器に慣れる事を優先しました。
 
canis hodophilax MUSEUM
 
wanted canis hodophilax
 
 
 
どういう事かと云いますと、岸田日出男氏著「日本狼物語」をパソコン入力すると共に、内容の把握に努めたのです。
 
岸田日出男氏の像
 
 
 
同著は吉野史談会機関紙「吉野風土記」の、196312月に第21号として発行されたものです。
 
私の手元にある「日本狼物語」はガリ版刷りで、それを幾度もコピーした代物だった為非常に読み難く、誰でも簡単に読める著書―何時か出版―を夢見てそれに取り組んだのです。
 
ガリ版刷りの「日本狼物語」
 
復刻版「日本狼物語」
 
 
 
「日本狼物語」に載っている体験談は数多ですが、その中の2件は標本が現存する事例です。
 
 
 
1.倉谷友吉が39才の時、上北山村大字河合小字大谷(河合の部落より4~5丁下流)で、夏の午後三時頃歩いておると、何物か後より出て来て足を咬んだ。
 
驚いて振返ると狼だったので、石を投げて逃げたが尚追って来るので道上の山へ登り、石や木の株等を投げて終に殺して持って帰った。
 
口が耳まで切れておると云うのは嘘で黒い條が牙の外側についているのである。
 
上北山村河合周辺地図
 
倉谷家所蔵オオカミ根付け
 
 
 
2.上北山村小字天ヶ瀬の岩本おきち氏の聞き語りとして
 
それは辰の年で旧の1月で雪があった(岸田曰く明治12年)。時は丁度八ツ頃、一匹の狼が現われ畑の縁を歩いて来り、付近に吊下げてあったカモシカのアバラ(肉を取って骨となしたるもの)を**始めた。
 
之を見た利平(おきちの夫)と井場亀一郎氏が鉄砲で打ち殺したが、その骨格は2、3年前まで保存してあったが、邪魔になるので焼いて終った。
 
(が尚小さな骨片が残っており、岸田は5月22日の朝、婆さんからこれを貰いうけ、辞退は受けたが50銭を払った。)
 
その後株の谷(辻堂山より西南に落ちて西ノ川に流れ込む谷)で陥穴に落ちて死んだものを拾って来たものを見たこともある。おきちの見たのはこれ二つだ。狼の大きさは大凡、犬と同じだが、少し位大きい。
 
上北山村天ヶ瀬周辺地図
 
岸田家所蔵上顎頭骨
 
 
 
こうした事例を、秩父の標本採取例と比較しても、生息域は高地では無いと私は考えています。