2025年も残す処あと僅か。
5月下旬、足を痛め歩行困難になって、蒼穹号の散歩も妻にお任せ。
8月から足を引きずりながら、何とか歩く事が出来る様になったのですが、山歩きは
別次元の事。
6月初めからの山行きは10回近く記録されていますが、助手席での話し相手が殆ど
で、カメラメンテナンスを行ったのは3回のみ。

本年9月の山行にて
体力の限界と云う事なのか……。
生存の確認まであと少しと私の心が呟いているので、身体に鞭打ってもう少し頑張っ
て……と。
年末の慌ただしい時期にお願いと言っては何ですが、
2024年9月11日/9月21日当欄掲載の「ニホンオオカミを獲って食べた越後の人」/
「獲って食べた人の後日談」をご覧願えればと思います。
ご存じの通り「絶滅論」なるものは、「過去50年間に渡り生存に関する確かな事例が
見つかる事」です。
2024年9月11日/9月21日掲載の事例は昭和35年(1960年)2月に捕殺された為、2025年
現在では50年の区切りを越えています。
とは言っても、国内外10例に満たない「ニホンオオカミの毛皮標本」が新たに加わる
事にでもなれば……。

ニホンオオカミ捕殺現場
下記が9/11と9/21の記事を抜粋した一部です。
【「鼻面から尾の付け根まで約1メートル、尾が30センチ位で、尾の先は切り落と
したように丸くなっていた。
毛色は全体的に茶色っぽく、後頭部から背中にかけて黒っぽい毛が生えていて、肢は
細くて長かった。」
色々聞いた後でどの標本に似ているか、私が持参した資料を提示して見ますと、3人
とも大英自然史博物館の、いわゆる最後のニホンオオカミにそっくりだと言ったので
す。

大英自然史博物館の標本
動物の毛皮を弟(利友さん)が山奥から持ち帰ったのを見て、ほぼ強引に3.000
円で譲ってもらい、音松荘のシンボルとして宿泊者に見せていたのです。
皮をなめすのに8.000円を更にかけ、“ニホンオオカミの毛皮だよ”・・・と。
しかし、昭和40年頃の浅草岳の山開きの夜、40人の宿泊者に毛皮のお披露目をしたの
が、乙一さんとの別れとなってしまいました。
浅井乙一さん

浅井利友さん
翌朝毛皮の紛失に気がついた乙一さんは、宿泊者全員にザックの中身の提示を求めよ
うとしたのですが、
村役場の担当者に「山開きのお目出たい日に、罪びとを出すのも忍び難いか
ら・・・」とたしなめられたそうです。
「泣く泣く諦めざるを得なかった・・・」と、私の前で悔しそうに語った姿が今も眼
に浮かびます。

当時の音松荘
―当時の小屋の宿泊者名簿を探って何とか毛皮の所持者まで辿り着きたいーと、話を
聞いてからずーっと思って居るのですが、未だ果たせずにいます。
この文を読んで戴いた方から、紛失した毛皮の情報でも手に入る事になれば・・・そ
んな思いで一杯なのです。】
昨年9月に上記記事を再掲載して『毛皮発見の手掛かりになるお便りが来ない
か・・・!?』そんな思いを抱いていますが、残念ながら2026年が訪れようとしていま
す。