また小学生の男の子が、親の暴力によって亡くなりました。
学校、行政の会見では“知っていた”ということでした。
じゃぁ、なんで?
なぜ、彼は亡くなってしまったのでしょう?
彼は「ぼくは何も悪い事をしてない」と言ったそうです。
親たちは「しつけのため」と言ったそうです。
そして親の言い分と、「これからは気を付けます」という言葉を信じて、
様子をみるということにしたそうですが、今回の結果になってしまったわけです。
亡くなった彼は、どれほどの想いで救いを求めていただろう?
愛されたいと願い続けていたのではないか?
大人たちの手は冷たかった・・・
そんな想いをこの世に残して逝ってしまったのではないでしょうか?
これは、私の想像でしかないけれど・・・。
私は、子育て支援サポーターという活動をしています。(ボランティアです)
親子のふれあい、近所(地域)とのふれあいをサポートする活動で
サポーターの日に、会場へ遊びに来てくれる親子が大勢います。
お友達ができた!
子どもと楽しく歌ったり、踊ったりできた!と
キラキラの笑顔で帰っていくママさんたちの姿に、
いつも救われる想いがしています。
私自身も、この土地に嫁ぎ、友達もなく
妊娠、同居・・・そして旦那ちん☆の不在。(休日も出かけてばかりでした。)
カミングアウトすれば、上の子が泣くと
舅・姑に聴かれたくなくて、口をふさいだ事もありました。
公園で出会ったお友達が、元幼稚園の先生で
私の煮詰まった気持ちを救ってくれました。
そしてその方を中心に、サークルを立ち上げて
公園でピクニックや、近場の動物園へ遠足へ出かけたり
毎月、会員の誕生日会を開いたり、会報を作ったり・・・
自分の経験を、サークルに求めてくる方に提供してきました。
会員の皆さんの救いでもあったと同時に、
私自身の救いでもあったのでした。
子どもたちも大きくなり、サークルは解散しましたが、
私の心の底には、ずっとこの時の感謝の気持ちがずっと残っていたため
このサポーターの活動に参加することにしたのでした。
この活動の基本は子育てに悩み、孤独になっている親を助けるということ。
それが今回のような事件を未然に防ぐ活動につながれば・・・と願って行っています。
(地域の家庭支援センターなどとも連絡をとりあえる形をとっています。)
だからこそ・・・
今回のように、“知っていた”のに助けられなった大人たちに
怒りと、悲しみを感じてしまいます。
このような事件をニュースで見るたびに、「もう2度と」と願うのですが
なくならないことへの悔しさが募ります。
と、同時に、もっと何か自分にできることはないのだろうか?と
自分の非力さと限界にも悔しさが募ります。