春日野部屋の「栃」 | 勝手なこと言うなよ、俺

春日野部屋の「栃」

岩友親方。現役時の四股名は木村山。

 

もちろん幕内まで昇進したわけですから、エリートには違いないのですが、幕内力士としての戦績は、そう光るものではなかったです。あっしの印象としては序盤にけっこう星を稼ぐんだけど、結局尻つぼみで終わってしまうって印象がありました。平成22年7月場所で、10日目を終わって7勝3敗。最終的には8勝止まりでしたが、翌場所最高位の西前頭7枚目にあがったあたりがピークでしたかね。

ただ、この、木村山という四股名。

 

ひとつは、小学校低学年でも読める四股名なので、ちびっこに、覚えやすい力士だったかもしれません。

 

もうひとつは、本当に春日野部屋力士だったの?という点。

 

というのも、春日野部屋は「栃」ではじまる四股名が多く、現在の部屋の親方だと、春日野が「栃乃和歌」竹縄が「栃乃洋」二十山が「栃乃花」三保ケ関が「栃栄」そして清見潟が「栃煌山」ってわけだ。現役に碧山がいるが、彼は三保ケ関部屋からの移籍力士なので、ちょっと別枠。純然たる春日野部屋育ちで、「栃」で始まらない四股名はちと違和感??

 

って別に決まりがあるわけではないので。そもそも四股名に徹底した統一を始めたのは、琴櫻が佐渡ケ嶽を襲名した際、当時ベテランだった長谷川と昭島を除いて、すべての力士に「琴」をつけたのが走りと思います。確か、呼出とか床山にも琴ってつけたんじゃなかったっけかな?

春日野部屋のルーツは、大正時代の名横綱「栃木山」が引退後、出羽海部屋から独立して始まるわけですが

 

弟子で戦時中に入幕を果たした力士は

神東山

鹿島洋

相模川 と栃などまったくない力士が続きましたが

戦後、栃錦が横綱となり、この後、栃ノ海、栃光と続いて「栃」ではじまる四股名が定着していったわけです。

 

でも徹底はされておらず。

 

コマ犬型仕切りで有名な鳴門海や、一乃矢、若鳴門とかいましたね。

 

あっしがオンタイムで相撲見るようになってからも、本名の金城はさておき(のちに栃光を一時襲名)

巌虎や

和錦もいましたね。

 

あと八百長問題で時の人になった春日錦とか。

 

十両力士では、春日竜、春日洋、輝山、忍の山とかいたし、幕下以下では、一時期待された韓国籍の京竜、当時最長身力士として有名だった後藤(のち大聖)重量力士の加城、高校相撲経験者の城錦、弓取りの太晃山とか、非栃はたくさんいました。

 

その後、「栃」率はあがっていって、現在は16人中11人が栃ではじまっています。

春日野部屋は、連続幕内力士維持の記録が碧山の十両陥落でストップ、その碧山も精一杯の相撲で、年齢もあり、今後そう期待できない。大器塚原が先場所ようやく十両昇進して「栃大海」の四股名ももらって勝ち越したけど、彼は新十両インタビュー見てたら、ものすごい「いい人」ってことが判明して、勝負師として、どうかな、と。取り口もまだ引きが多いし。一時隆盛を誇った幕下力士も名古屋場所では4人に。新十両で優勝して期待された栃武蔵はずるずる後退して、休場続きで三段目陥落。その栃武蔵ともめて、実情はわからないけど、伝わっている限りでは、ものすごくつまらないやめ方してしまった栃神山が、あっし一番期待してただけ残念。

そんな停滞時に、岩友親方の訃報。弔い場所として、がんばって、天国の親方を喜ばせてあげてほしいものです。