明武谷 | 勝手なこと言うなよ、俺

明武谷

元関脇明武谷、本名明歩谷清さんの訃報が流れました。


写真は「相撲」昭和45年1月号から。

大相撲中継、初日に元琴ケ嶽(琴魅鳳)の訃報が流れましたが、今日になっても明歩谷の訃報は流れませんでした。まだ確認事項じゃないのかな。

 

柏鵬時代の強豪関脇、優勝決定戦2回進出。起重機といわれた吊りを得意としていて、筋骨隆々、彫りの深いマスクは当時の外国人客の一番人気だったようです。

 

あっしが9年前くらいに、ここで書いた「白鵬対昭和関脇」の妄想劇場にも登場させて、どうやら今回の訃報で、見てくれた方もいたようです。

あっし、現役はオンタイムでぎりぎり間に合ったんだけど、晩年で、中堅以下で負け越しが多い時期だったし、最終場所は初日から12連敗(最後は不戦敗)での引退だったので、印象としては、弱い力士としか映らなかったのは、しょうがなかったかな。この翌場所に引退した海乃山も、当時のあっしには過去の力士として感じていて、でも海乃山は晩年でも大鵬に勝った相撲とか見てるので、実績を感じられなかったのは明武谷でしたね。子供も子供の時でしたので、その後、書物で強豪だったんだって学んだわけさ。

引退後は中村親方として勤めていたのですが、「エホバの証人」に入信して、以後は相撲界とは距離を縁遠くなって、話題に上ることも少なかったのですが、千葉県で建設会社の社長さんをしていたって、さっき雷電タメ子さんの投稿で見ました。

86歳と角界の中では長命でしたので、幸せな人生を全うされたと思っています。ご冥福をお祈りします。

 

これで土俵の鬼、若乃花と本場所で対戦した力士でご存命の方はいるのでしょうか??そのへんは詳しい人に調べてもらって!