荒磯部屋! | 勝手なこと言うなよ、俺

荒磯部屋!

いやーMLBオールスター戦見たよ!!大谷はすごい!!打てはしなかったけど、二刀流で出たことが凄い!日本の鑑!同時代に生まれてよかったよーーー!!

 

ってこの話は、皆さんされるでしょうから、ここでおしまい!

 

さて日本の大相撲は白鵬・照ノ富士の2人、全勝を続け、一騎討ちの様相を。まー崩すとしたら髙安だけかなぁ。

 

その髙安、場所前は元稀勢の里の荒磯親方の胸を借りて稽古してたのですが、それも今場所が最後。なぜなら荒磯親方が8月1日付けで独立して茨城に荒磯部屋を興すからです。髙安も連れていってあげればいいのにね。

 

さて荒磯部屋と、言うと好角家の人は、思い浮かべるでしょう。

 

まずは、38代横綱照国が引退後、荒磯を襲名したのですが

その際、照国の親方だった、元清瀬川の伊勢ケ浜親方は全弟子を荒磯に預けて、荒磯部屋となる。伊勢ケ浜が定年後は、名称を引き継ぎ、伊勢ケ浜部屋になる。あっしが生まれる前の話だね。

 

その後、荒磯は元大豪が継いだりしたが、その後、無双の名人二子岳が継ぐ。

二子岳のことは、何回か書いたかな。竜虎・陸奥嵐と仲良しで、無双の名人、あとあっしが見た唯一の幕内の引分が二子岳対三重ノ海だってこと書いたと思います。あとあっしが中学校の休み時間の「廊下相撲」で大内山から二子岳に改名したってことも。

 

付け加えると、二子山部屋での第1号関取。当時の四股名は「若二子」ただこの場所巨漢東錦に倒され骨折で幕下にUターン、これがなければ、もっと早く入幕できて、もっと活躍できたかもです。最高位小結、技能賞1回、金星は大鵬に1勝。

 

引退後は白玉から荒磯と変更して二子山部屋付の親方として働いていたが、土俵の鬼の二子山が定年退職する際、独立して。この時、息子も力士だった気するけど、勘違いかも・・・今度確認しておきます。結局関取は出せず、定年になるちょい前に部屋を閉じた、その際花籠部屋に移籍させた力士が。のちの幕内力士、荒鷲だったと。

 

これが2008年9月場所をもって、ということなので約13年ぶりの再興って形になりますね。

二子岳の現役時代は大相撲アーカイブ場所で!って今の流れだと当分先かな。

 

お元気であれば、いぶし銀列伝にも出てほしいですね。