第1回優勝決定戦秘話?
昨日のカーリング記事。けっこう見ていただけたようで、ありがとうございます。やっぱりまだ人気あるんですね。
アクセス解析見直しで、アクセス数激減の中、この3日間は休日ってこともあってか、多くて嬉しい限りですが、おそらく今日から現実に戻る(^^)
だもんで、多分アクセス数稼げないであろう大相撲ネタを書きますね(^^)
古本読んでいると、気づけなかったことに、気づいたりします。
「大相撲」平成3年九州場所総決算号に掲載の小島貞二先生の「戦後相撲視」を読んでいたら
優勝決定戦制度導入まさにその場所で行われた第1回優勝決定戦、
これが豪華メンバーで9勝1敗で横綱羽黒山、大関前田山、大関東富士、入幕2場所目の力道山。
1回戦の羽黒山力道山戦は乱戦となり、力道山の猛攻をかろうじて、羽黒山が打っ棄ったが、力道山は生涯あれは俺が勝っていたと、力説していたと。
まぁここまでは好角家の方はご存じかと。
で今回気付いたのは、この4人の決定戦、6人になっていた可能性があったと!
この4人のほかに千秋楽を1敗で迎えたのがもう2人。
1人が大ノ海
ご存じ引退後花籠親方となり、若乃花、輪島等を育てた名伯楽として有名ですが、上の写真の注釈にあるように、相撲が遅くて平幕とまりだったのですが、こんな場所があったのですね。
もうひとり緑島
このへんになると、よほどの好角家出ないとご存じないかも。三賞制度が少し早まれば、この場所技能賞もらって、後世の好角家にもう少し知名度があがったかなと。この力士、休場ぬかせば、幕内勝率5割で終わっています。
上述の「戦後相撲視」によると、この2力士は、がちがちにかたくなって敗退したようです。
あと厳密に言うと、千秋楽1敗同士の対戦がなかったので、前日まで2敗力士にも可能性あったと。
見ると照国と神風にも優勝の可能性があったと。力道山が勝った瞬間になくなったわけですね。
こちら神風。当時大人気だったのわかりますね、この写真、美青年だ!
いやぁ勉強になりました!
あっし的には、このブログ、大相撲記事が一番気合いれて書いてるので、おもしろいと思うんですけど、アクセスねーだろーなー。
マニアックでごめんねbyウクレレえいじってとこですな(^^)