皆さんこんばんは。


10月というのに寝る時はパン一。


キャンです。


突然ですが皆様にご報告があります。

先日、帯状疱疹になりまして…。


最初は目の周りの痛痒さから始まり、ほどなくして左目の周りからおでこにかけて水膨れが発生。

異変に気付いた時点で皮膚科を受診しておけば良かったのだが、どうせただのかぶれだろうと決めつけ、数日放置していたのが大きな間違いだった。


ていうか、ついこないだもチ○コで似たような話があったなぁ!


時医者に任せても症状は一向に改善せず、それどころか扁桃腺が腫れ激しい頭痛にまで襲われる始末だ。

かてて加えて、顔の異変であるからして、来社されるお客様からも何事かと突っ込みが入りまくる。

とうとう堪えきれず皮膚科に駆け込んだのは、発症から四日目のことだった。


「先生、顔がかぶれて辛いんです!」

そうシャウトしながら駆け込んだ皮膚科の美人女医さん(推定60才)は、俺の顔を一目見るなり、「あ、それかぶれじゃないです」と即答。

受診三秒で「帯状疱疹」という診断が下ったのだった。


お恥ずかしながら、名前は知っていても具体的にどのような病気なのかは承知していなかった俺氏40才。

美人女医さん(推定60才)の説明によると帯状疱疹とは、「水痘・帯状疱疹ウィルス」によって引き起こされる病気で、これは幼少期に「水疱瘡」を引き起こすウィルスと同じであるという。

このウィルスの厄介なところは、一度水疱瘡にかかると、治った後もウィルスは体内に潜み続け、免疫力が著しく低下した際に活動を再開。

今回の俺のように帯状疱疹として症状を現すわけだ。

つまり…


「モルダー、あなた疲れてるのよ」


前述のようにウィルスが原因であるからして、ウィルスを抑え込むお薬を服用しつつ、疲れやストレスを溜めず安静にして過ごすことが回復への近道だと言う。


…またそんな無理難題を…。


さて、そんな帯状疱疹の症状はと言えば、痛みを伴った発疹や水膨れ。

発生部位としては胴体部分が多いが、今回のように顔に発生した場合には少々注意が必要で、ウィルスは神経を伝ってやって来るので、俺のようにリンパの腫れや頭痛を伴い、悪化すると長らく痛みが残るという。


ほんと、早めに行っとかんといけんかったなっていう…。


お陰様で、皮膚の症状はずいぶんと良くなった。

水膨れ的なグジュグジュ感はなくなり、患部はかさぶた化、あとはかさぶたが自然に剥がれ落ちればOKだ。

しかし案の定、未だに頭痛が残っている。

一番酷かった時はズキンズキンと鋭く痛み、その都度快楽堕ちさせられたエロ漫画のヒロインばりにビクンビクンと痙攣、夜眠ることさえままならないレベルだった。

それを思えばこれもずいぶん楽になり、時おり不意にキンと痛む程度だ。


だがその“程度”というのが曲者である。

何もできないほどの強烈な痛みであればどうしようもないが、日常生活には支障がないものの、決して無視はできない程度の痛みが予告なくちょこちょこやってくるわけで…要するにクッソ鬱陶しい。

「キィ~!」ってなる感じと言えば察して頂けるだろうか?


これには「瀬戸内のガンジー」と呼ばれた穏和な俺もイライラし通しで、ちょっと気を抜くと「瀬戸内のガーシー」になってしまいそうなほどに、キチゲが溜まっているのだった。


こんな気分の時は何を見ればいいのかなぁ…?


そうだ、ニコラス・ケイジを見よう。

『マッド・ダディ』

最愛のパパとママが突然殺人鬼に!?
「ずっとニコケイのターン!」な狂気のハイテンションスリラー!
ニコラス・ケイジ流大人のキチゲ解放術に酔い知れろ!

それではストーリー!

閑静な住宅街に居を構えるライアン家。
中国人の親子をハウスキーパーとして雇うなど、それなりに裕福な家庭に見えるが、家族関係はまぁまぁギクシャクしていた。
中でも女子高生である長女のカーリーは反抗期真っ只中。
家族の一挙手一投足が鬱陶しくて仕方ないお年頃だ。
↑彼氏とピンク電話中のカーリー。

幼い弟のジョシュはいたずら盛りで、思春期女子のメンタル事情などお構い無し。
ママのケンダルは娘との距離を感じつつも「家族なんだから不満があっても愛し合うべき!」と熱いヴィン・ディーゼルイズムを発揮、やはりカーリーにとっては疎ましい存在だ。
↑弟ジョシュ。この後パンツ投げてくる。

↑いい感じのmilfママ、ケンダル。

何よりも、カーリーの黒人彼氏デイモンのことを頭ごなしに否定するパパがニコラス・ケイジであるに至っては、これはもうカリカリするなという方が無理な話であった。
カーリーだけに!
↑あぁ、もう事件の予感。

さて、そんなライアン家の何気ない日常が今日も始まる。
パパはやる気なく仕事へ、ママは若作りのためジムへ、末っ子ジョシュはハウスキーパーの中国人親子と一緒にお留守番。
カーリーもどうかと思うほどのミニスカで学校へ行き、授業中に早速スマホを構って先生に取り上げられるなど、見事な思春期ビッチっぷりを発揮するのだった。

しかし、そんな日常を引き裂くように、異変は唐突に、しかし確実に迫っていた。
下校時刻が近くなった頃、校門の外には生徒らの親が大挙して待ち構え、無言のまま不気味に佇んでいる。
どこか普通でない空気に、教師らも校門は閉ざしたままで、現場は物々しい雰囲気に包まれている。
↑爆破予告でもあったのか!?という喧騒。

と、一人の男子生徒が意を決したように校門を強引に乗り越え、母親の元へ辿り着く。
次の瞬間、鮮血が飛び散る。
母親が男子生徒を刺したのだ。
これを皮切りに保護者らが校内に雪崩れ込み、一目散に我が子へと襲い掛かる!
学舎は阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
一体何が起きているのか分からない。
しかし大人たちは、愛しの我が子のみに狙いを定め、これを殺そうと狂奔している!
↑肥満パパもハッスルする死の大運動会!

混乱の中、カーリーは親友のビッチと共に学校から脱出し、ひとまずビッチ宅に身を寄せる。

やっぱりビッチはビッチを呼ぶんやなって…。
↑親友のビッチ。

テレビでは、同様の事件が全国各地で起こっており、原因は未だ不明であると報じられている。
とにかく今の時点で肝要なことは、親子が顔を合わせないこと。
事件が起これば親は心配になって我が子の元へ駆け付けたくなるが、決して会ってはいけない…。

信じがたいニュースに息を飲むカーリー。
不意に、二階から物音が聞こえる。
気付けば、親友ビッチの姿が見えない。
恐る恐る二階へ上がってみるとそこでは、ビッチママが娘を絞め殺している真っ最中だった!

「あらカーリー、いらっしゃい」

我が子を手にかけながら、まるで何事もないように語りかけるビッチママの姿に言い知れぬ恐怖を感じるカーリー。
思わず悲鳴をあげて逃げ出してしまう。
カーリーはそのまま、我が家へと急ぐ。
弟のジョシュは無事でいるだろうか?
途中、一足先に父親を返り討ちにした黒人彼氏のデイモンと合流し、自宅へ辿り着く。
キッチンでは、ハウスキーパーの中国人ママが、これでもかというくらいモップをかけている。
彼女の娘の姿はない…。

あ…(察し)

中国人ママによると、ジョシュぼっちゃまはなぜか怯えて部屋に籠りっきり、昼御飯も食べていないそう。

あ…(察し)

とりあえず弟の無事を確認できて一安心のカーリー。
ベッドの下で震えていたジョシュと再会を果たす。
しかし一刻の猶予もならない。
パパとママに出会ってしまう前に、弟を連れてこの家から出なければ!
と、次の瞬間!

「アイムホ~ム!パパだよ~!」

…安らぎの我が家を舞台に繰り広げられる一ミリも安らげない極限サバイバル!
子供を殺そうとして深まる夫婦の絆!
よくよく考えるとこの世で一番ヤベェ産婦人科!
予想外の戦闘力の低さでボコボコにされる彼氏!
渾身の手作りビリヤード台を叩き壊すニコラス・ケイジ!
ランス・ヘンリクセンに襲われるニコラス・ケイジ!
やっぱりアへ顔で吹き飛ばされるニコラス・ケイジ!

果たして子供たちは、全力で殺しにくるパパとママを退け生き延びることができるのか!?
そして、ニコケイとママは正気を取り戻すことができるのか!?





…余計頭痛くなるわ!

「なんか知らんが親が我が子だけを狙って殺しにくる」というワンアイディアだけで全力で走りきった感のある本作。
まさにそれだけと言えばそれだけの作品で、その病気?症状?現象?の原因が何なのかは明示されないし、何ら解決も改善もないままに投げっぱなしで物語は幕を閉じる。
そんな乱暴な設定や構成に相応しく、上映時間はまさかの90分切り!
狂乱と共に嵐のように過ぎ去っていくのだった。

しかし本作が、わけも分からず親が子を惨殺しまくる様を垂れ流すような作品かと言うと、決してそうではないので始末が悪い。
むしろ逆に、直接的な残酷描写は驚くほど少ない。
やっぱ犠牲者が子供だからですかね?
例えば踏み切りに放置された車内に見えるチャイルドシート。
振り上げた凶器と飛び散る血飛沫。
突然車の前に投げ出されるベビーカー等々。
そのような、100%害されたことは分かるが血みどろの子供の画は決して映さない手法でもって描かれている。
↑凶器は車のキー…。

直接的残酷描写がない場合、いつもの俺なら物足りなさを感じてしまうところだが本作は違う。
こんな内容と上映時間の短さでありながら、生意気にもそれぞれのご家庭のドラマもそれなりにカットイン。
やはり限られた時間の中でのことなので、クドクドとしつこい演出や台詞が入るわけではないが、ちょっとした描写や短い台詞で、家庭の事情を匂わせる小粋な演出がキラリと光る。

また、本作の軸となる子殺し現象はまさに問答無用。
親たちは、まるで何かに取り憑かれたように一心不乱に殺しにかかってくる。
そこに後悔や悲しみのような感情は存在せず、むしろそうするのが当然であるかのような風情だ。
なので、

「おねがいパパ!あの優しかった頃のパパに戻って!」

「ぐ…うおぉぉぉ!た、頼む…。俺が正気でいられるうちに…さぁ早く!」

「パパー!!」

みたいなぬるい展開は一切ない。

子殺し現象は、親子関係の良し悪し、男親か女親か、年が若いか成人しているか等の別なく、等しく発揮される。
中でも産婦人科で新生児に対して発動する、『燃えよドラゴン』のヤン・スエ以来の死の抱擁は戦慄の一言!
事ここに至りては、産婦人科こそがこの世で一番の地獄と化すのだった。
↑死の抱擁を発動する新米ママ。

何と言っても切ないのは、犠牲になる子供たちというのは、それぞれの親子関係に問題はあれど、最後まで親を信じていること、信じたがっていることである。
↑涙が出ますよ…。

親は全力で殺しに来ているというのに、子供は戸惑い、嘆き悲しむばかりで全力の反撃ができない。
例えば、カーリーの彼氏であるデイモンの家庭は、もうどっからどう見ても問題ありで、父親は昼間から家で酔い潰れているようなダメ人間、デイモンもあからさまに軽蔑している様子だ。
そうであってさえも。
デイモンは反撃らしい反撃もできずただ懇願するばかり。
結果的には父親の自滅で生き延びることができたものの、「うちは片親だから助かったよ…はは…」などと、悲し過ぎる自虐ネタを披露するしかなかった。
↑笑えない自虐ネタはNG…。

この辺りの展開には、「子供にとって親はどんな存在か」というメッセージをガツンと叩き付けられた思いだ。
俺も二児の父として、襟を正さなければならない。

直接的残酷描写が少ない中で、ひたすらひどい目に遭いまくるサンドバッグ役を一手に引き受けているのも、このデイモンだ。
いきなり父親に切りつけられ派手に流血したのも序の口。
カーリーを守るために彼女の家に同行すれば、ニコラス・ケイジに殴りつけられ呆気なく失神。
ようやく目覚めたと思ったら今度はケンダルママに針金ハンガーで頬を刺された挙げ句二階から転落して再び失神と、まさに踏んだり蹴ったりだ。
↑痛い痛い痛い痛い!

さて、いくら直接的残酷描写が少ないからと言っても、親による子殺しというハードな現象を容赦なく描き、各家庭が抱える問題も非常なリアリティーを持ってカットイン、ノスタルジックな音楽に乗せて時に静謐でさえある雰囲気の漂う本作。
本来であれば胸鬱がれる展開の連続で、精神的にも非常にキツく、鑑賞後は何らかの後遺症を引きずること間違いなしだ。

…そこでニコラス・ケイジの出番ですよ。

陰鬱になりがちな展開の中、全力の絶叫と顔芸のいつものニコラス・ケイジの姿が、見る者の心を安じてくれる。
まずは手始めに、会社のデスクに置いてある子供たちの写真をチラ見して、唐突に絶叫。
子殺しを邪魔してくる黒人彼氏デイモンを、不必要に恍惚とした表情で殴打。
地下室に籠城する子供たちに「クソガキどもドアを開けやがれ!」と目を剥いてシャウトしたかと思えば、半泣きになりながら蚊の鳴くような高音ボイスで「カーリー…ジョシュ-…」とへたりこむ情緒不安定さ。
アへ顔で爆風を食らってボロボロになりながら「万能ノコギリは…万能で…なんでも切れる…」などと呟きながら万能ノコギリを激推しする狂気等々。
↑いつものケイジ。

↑いつものケイジ。

↑いつものケイジ。

特に、今にも我が子を手にかけようという現場に、ニコラス・ケイジの両親が訪ねて来てからの混沌ぶりは必見だ。
ドアを開けた瞬間に催涙スプレーをぶっかけてくるニコケイママだが、この時のケイジの「パパママアアアァァァァ!!のスピード感にまずは一笑い。
↑プシュー。

さらに、元軍人設定で、戦場で培った戦闘力で襲いかかるニコケイパパがまさかのランス・ヘンリクセン!
『エイリアン2』の某アンドロイドを彷彿とさせる冷酷無比な所作で、ニコケイをナイフで刺しまくる!
↑完全にキマっているランス・ヘンリクセン。

さらに、ランス・ヘンリクセンにとっては孫にあたるジョシュの姿を見つけて猫なで声で目を細めたかと思うと、再びニコケイに全力の殺意を向けるなど、振れ幅の広すぎるさすがの演技力を披露。
もはや演技力の悪用と言うほかない!

結果として、ニコケイがジョシュを追いかけて、ランス・ヘンリクセンがニコケイを追いかけてという、本作でも狂気レベルマックスの死の鬼ごっこが展開されるわけだが、ランス・ヘンリクセンに尻をプスプス刺されながら「アー!アー!(裏声)と絶叫するケイジの姿にはさしもの俺も爆笑するしかなかった!

さらには、ケンダルとニコケイママによる今回の子殺し現象とは根本的に関係のない嫁姑対決まで勃発!
「お前はうちのケイジに相応しくないんだよ!このアバズレ!」などとシャウトするニコケイママをケンダルが殴り倒すというシンプル殺し合いだ。

改めて、醜い大人同士の殺し合いほど心洗われるものはないなって。

ニコラス・ケイジのイカれっぷりについて言及すべきことはまだある。
なんか『カラー・アウト・オブ・スペース』の時も似たようなこと言ってたような気がするが、事件が起こる前から既におかしい。
朝っぱらからジョシュのミニカー遊びにリアルガチのケチャップをぶっかけて応戦したかと思えば、中国人のハウスキーパーさんが「ご飯は冷蔵庫に入れておきます」と報告しただけで「知るかボケ」と小声で呟く。
↑テーブルにケチャップを直がけ。

また、子殺し現象を発動した親たちというのは基本的に、その異常な殺意は我が子のみに向かい、その他の人たちには普段通りの、至って常識的な態度をとるのだがケイジは違う。
帰宅した我が家で娘の彼氏と鉢合わせると、「今はネットでなんでも手に入るし、どうせお前らも色んなオモチャを口やケツに突っ込んでるんだろ!?俺の時代は雑誌しかなかったのに!と下ネタ交じりにキレ散らかす。

↑彼女のパパがこんなんだったら嫌だ…。

あるいは、そんな狂騒状態の中、時折まだ家族関係が良好だった頃の子供たちの思い出がカットインする。
例えば、ケンダルママとカーリーならこうだ。
まだ純粋だった頃の洋ロリカーリーがある時、ママの化粧道具でこっそりお化粧をしているところをケンダルママに見つかってしまう。
謝るカーリーに「ええんやで」と優しく微笑み、お化粧の手ほどきをしてあげるケンダルママ…。

今の子殺し現象に見舞われている状況のみならず、いつの間にか心が離れてしまった家族の有り様との対比が際立ち、胸が締め付けられるような名演出だ。
しかし、ここでもやはり、ケイジと息子ジョシュの思い出は一味違う。

犬か猫か分からないが、とにかく動物の死体をまだ生きていると勘違いしてケイジパパの車の中でお世話するというハードなやらかしをしてしまったジョシュくん。
その後、ケイジは息子を慰めるために自身の過去のやらかしを披露するのだが、その内容がこうだ。

思春期真っ盛りの若きケイジくんはある日、ヘンリクセンパパの大切にしていたクラシックカーを勝手に乗り出し、当時の彼女と最高にハイなカーセックスをキメながら爆走して盛大に事故ってしまったという…。

…同情の余地なし!

挙げ句、この話の結論が「いい車に乗れば女とヤレる!」という話であるに至っては、もうこの時点でマッド・ダディだったと言うほかない!
↑ちっちゃい子にする話じゃねぇ!

こうして見ると、切なく重たいストーリーをいつものニコラス・ケイジの狂気のハイテンション演技で全てをかっさらっていく作品と思われるかも知れない。
実際、それは確かにそう。
しかし、それだけで終わらないのがケイジの名優たる所以だ。

…やっぱり『カラー・アウト・オブ・スペース』でも同じようなこと言ってた気がするなぁ!

本作の構成としては、実質的な主人公は娘のカーリーで、狂っていく大人たちや世界の姿が、カーリーを始めとした子供たちの目を通して描かれている。
しかし実際には、子供よりもむしろ多くの大人たちの心に寄り添い、その本質を鋭く抉るような意図は明らかだ。
おそらくは大人ならば、特に家庭を持つ大人ならば男女問わず思わず共感してしまうような展開や台詞が頻出する。

ケンダルママからしてそうだ。
家庭を築くことが確かに夢であったが、今や家族関係は理想とかけ離れ、特に長女のカーリーからは辛辣な言葉でもって拒絶されている。
↑こんなん言われたら泣いちゃうね!

それならばと以前勤めていた会社の社長(訳あり風)を訪ねてみても、「君は相変わらず最高だけど、え?子供もいるのにその年で職場復帰?笑止!」みたいな感じで鼻で笑われる。

若作りのためにジムに通い、若いインストラクターの前で尻を付き出してみても、夫は最早こちらを顧みようともしない…。

…あ、僕は今からジムのトレーナーを目指します。

とにかくもう彼女は、日々の暮らしの中でいっぱいいっぱい。
涙で化粧が崩れ顔がぐちゃぐちゃになっていく様などは見るに耐えないほど痛々しいが、その疲れたMilfっぷりにちょっと興奮してる俺がいた。(人でなし)

ちなみにではあるが、このジムにはケンダルのママ友である例のビッチママも一緒に通っているのだが、彼女が披露する大人の本心がもう明け透け過ぎて引いてしまう。

「こないだ娘の下着姿に嫉妬した。どうせそのうち尻も胸も垂れるのにって思った」

「娘は私の財布から金をくすねてる。ビッチよ」
↑お前モナー。

さて、そんな大人の腹に響く本音の吐露は、もちろんケイジもこれでもかと叩きつけてくる。
むしろそれこそがケイジの真骨頂と言ってもいい。
それが、これまた回想シーンとして挿入される地下室での事件だ。

ある時、何を思ったか地下室で突然ビリヤード台を作り始めるケイジ。
材木をカットし、マットを敷き、水平まで取って、それはもう並々ならぬ拘りでもって見事にお手製ビリヤード台を完成させウッキウキのケイジ。

そんな様子を冷ややかに見つめる視線が一つ、そう、妻のケンダルだ。

「まぁ驚いた、ビリヤードが好きだったなんて(棒)。男の隠れ家のつもり?一体いくらかかったのカシラ?」

疲れたMilfの口から繰り出される皮肉の連打に、案の定ケイジはブチ切れ。
「やぁ、こんな所に塩梅いいハンマーが!」などと雑な三味線を弾きつつ、手元にあったハンマーで丹精込めて作り上げたビリヤード台を完全破壊!
↑オラァ!

車のギアをいきなりトップからバックに入れるような相変わらずのケイジ仕草だが、このウキウキワクワクの気分が嫁や彼女からの一言で急速に覚めて全てがどうでもよくなる感じ、実は多くの男性が共感できるところではないだろうか?
実際ケイジも、ひとしきりビリヤード台を破壊した後で、「さっきまでガキみたいに浮かれてたのに…」と半泣きになっていた!


しかしそこは、前田慶次と並んで傾奇者界二大ケイジと吟われるニコラス・ケイジである。
ただやけくそにビリヤード台を破壊しただけでは終わらない。
むしろこのシーンはここからが本番だ。
ニコラス・ケイジオンステージ、オッサンの愚かしくも切ない純度100%の本音が、これでもかと炸裂しまくる!

「あぁそうだよ、君は正しい!隠れ家が欲しかったんだ!家族のために週6日も働いてる!大人のためだけの場所があったっていいはずだ!」

「ビリヤードなんて嫌いだ!仕事も大嫌いだ!

「明るい未来が待ってると信じてたけど、現実は理想とは程遠い。若い頃は女とだって簡単にヤレたのに!
↑ここだけ共感できませんね…。

「まさか自分がこんな疲れ切ったオヤジになるなんて思ってもみなかった!腹は出るし耳毛も鼻毛もひどいもんだ!」

「こんな人生に何の意味が…?」

もういい!もういいんだケイジ!!

こんな台詞を聞くと、意識の高さが天井知らずな良心的知識人の方々におかれましては、「何をごちゃごちゃ言ってんの?自分で選んだ道だろ?」と思われるかも知れない。

…あぁそうだよ、君は正しい!全部自分で決めたことだよ!まさか自分が亜鉛サプリが手放せない疲れ切ったオヤジになるなんて思いもしなかった!こんな、中折れしてにっちもさっちもいかなくなってペロリンチョでお茶を濁そうとするような大人になるなんて思いもしなかったんだよ!!
あと仕事も大嫌いだ!!

基本的には誰だって、自分の人生の選択は自分の意思によって決定される。
だが、人生に後悔のない大人なんて一人でもいるだろうか?
「自分で決めたことだから」と、そんな後悔や葛藤を圧し殺して誰もが生きているのではないか?
自ら望んで家庭を持った。
自分を犠牲にしてでも愛する子供のために全てを捧げなければならない。
一個人としての自己実現よりも、父として、母として、家庭人としての役割を全うしなければならない…。
一見すると正しい。
そう思っているからこそ、多くの大人が芽生えかけた「よくない感情」を胸の奥深くにしまいこみ、黙して語らず、日々の役割を生きているのだ。
「こんな気持ちを抱くなんて私が間違っている」
「自分がおかしいんだ」

果たしてそうだろうか?
どれほど子供を愛していても。
どれほど家族を大切に想っていたとしても。

「子供がいなければ俺はもっと違った夢を追いかけられたのに」
「家庭に入っていなければ私はもっと違った自分になれたのに」

そんな思いがふと脳裏をよぎる瞬間。
あなたにも覚えがないだろうか?
大人は誰しも、そんな相反する感情を、大いなる矛盾を孕みながら、毎日を生きているのではないか。
家庭の中で、社会の中で与えられた役割に埋没していく「俺」という人格。
確かに失われていく若い頃の全能感。
眩しいくらいに輝いていたはずの世界。
そこから目を逸らし続けることは難しい。

「あの頃俺はニコラス・ケイジだったし、君もケンダルだった」

そんなケイジの台詞が切なく響く。
作中で二人が、子供を殺すという目的のために協力し合い、次第に夫婦の絆を取り戻していく様子は、あまりにも皮肉で、しかしどこか美しくもあった。

忘れてはならないのは、例え今の自分に不満があったとしても、例えかつての自分を懐かしんだとしても、例え今なお忘れ得ぬ夢があったとしても。
それがすなわち家族への愛情が薄いということでは決してない。
それはどちらも、偽りのない本心なのだから。
我々人間は、いや、人間に限らず多くの生物は、時に相反する行動原理を持って生きる。
歪なようでいて、それはごく自然なことだ。

俺だってそうだ。
今でも時折、かつて描いた夢に想いを馳せる。
鼻くそほじりながら三日くらいで書いたラノベが大ヒットしてマルチメディア展開、人生ひっくり返るような印税生活で毎日パチンコでも打って暮らしていけねぇかなぁって!
あと仕事も大嫌いだ!!

本作のケイジ夫妻も、子供たちを殺そうと奔走しつつも、同時に子供たちへの深い愛も垣間見せている。
さっきまで自分の手で子供を殺そうとしていたのに、ケイジが銃も隠し持っていたことを知ったケンダルが「子供の五人に一人が銃で怪我をしているのよ!」とキレ散らかす姿は、なんとも名状し難いおかしみがあった。

繰り返しになるが、我々は一見すると相反する様々な感情を抱えて生きている。
それはちっともおかしなことじゃない、みんな同じだよと、ケイジがキレ散らかしながら教えてくれている。
例えばどうしても叶えたい夢があっとして、それは果たして、家族に愛情を注ぐことと両立できないことだろうか?
仮にそれで子供や配偶者に不便を強いることになったとしても、そこは協力し合っていけばいいじゃない。
ファミリーだぜ!ハァン!?

少なくとも、感情を圧し殺し続けて、ある日突然子供を殺し始めるより余程いい。

「お父さん今の仕事辞めて、女性向けフィットネスジムのインストラクター目指すわ」

「通帳だけ置いて出て行け」


そんな訳で、親が子供を容赦なく殺すというハードな内容ながら、ニコラス・ケイジの狂気のハイテンションで全てを塗りつぶしつつ、悩みを抱えながら生きる多くの大人たちに寄り添う暖かいメッセージも込め、それでいて上映時間90分弱にまとめ上げるという、これはこれで名作!としか言えない結果となった今作。

折しも今回のレビューを書き始めた頃から仕事が急激に忙しくなりストレスマッハ、気力も体力も著しく削がれ記事も進まず、気付けば三週間の時が流れていた。
さっきまでガキみたいに浮かれて書いてたのに!

忙しさのピークは一先ず去ったが、三週間経ってもまだささやかな頭痛が残っているように感じるのだが気のせいだろうか?
これはジムのインストラクターに転職する日も近いかも知れんね…。

そんな状況の中、改めて本作を振り返ってみて思うことはこうだ。

仕事なんて大嫌いだ!!