゚.+:。菩提樹の下で ゚.+:。 -4ページ目
〜夢の話〜
私は狭い和室で
布団にくるまれ、
横たわっている。
左右に箪笥がある。
その左の箪笥の上に
誰かが正座し
じっと私を見下ろしている。
「誰だろう?」
よく見ると
一年前に亡くなった伯母である。
伯母は喪服を着、
感情のない目で
じっと黙って私を見下ろしている。
何かを伝えたいのか
ただ私を見ているだけなのか
判断しかねていたら
目が覚めた。
少し気になったので
そのことを母親にメールで
話してみた。
『○○おばちゃんが、夢に出てきた。
喪服を着て、箪笥の上に正座して
じっと私を見下ろしてた。
ちゃんと葬式とかしてるやんな?』
暫くして、母親から返信がきた。
『ちゃんとしてるよ。』
『それ、親戚とか出てないんちゃうん?
なんかおばちゃん、
寂しそうやったけど』
私が聞くと、
母親から電話がかかってきた。
「ちゃんと親戚集まってしたよ。
どういうこと?
なんであんたのとこに出るん?」
それは、私こそ知りたい…。
「分からへんけど、なんか寂しそうな
顔して、じっと私のこと
見下ろしてたで。
喪服着てるから、私が逆に
死んだんかと思ったわ。」
と、私は話しながら笑った。
「縁起でもない。
ちゃんと葬式してるし、
私らも行ったよ。」
「おかしいなぁ。
なんやってんやろ。
おばちゃんの供養とか
してないんちゃう?
去年亡くなったんやろ?
いつ亡くなったん?」
私が聞くと、少し間があいて
母親が答えた。
「あ、明日やわ!!
明日が一周忌やわ!!
気持ちわる!!」
ああ、それでかと、私は納得した。
私は伯母の葬式には出てない。
親族とはいっても、
母親の世代の親族だけで
葬式をだしたのだ。
一周忌は、家族だけでやるとか
そんなことを言っていた。
結局、私はその伯母の葬式にも
一周忌にも出ていない。
特に親しかったわけでもないが
私が小さかった頃
近所に住んでいて、
歳の近い従兄弟もいたので
たまに、その伯母の家に
遊びには行っていた。
伯母は気が強い人だったので
私はなんとなく怖くて
あまり好きではなかったのだが。
しかし、伯母にとっては
姪にあたる私は
可愛かったのかもしれない。
伯母の子供は
男の子一人だけだったので
女の子の私のことを
可愛いがってくれていたのかも
しれない。
幼いゆえ、
そのことに私は
気づけなかったのでは
ないだろうか。
そんなことを、思った。
そう思うと、
伯母のあの、感情のない目が
何か伝えたそうな佇まいが
私のことを案じて
じっと見ていたような
そんな気も、した。
私は、伯母に感謝と
葬式には出られなくてごめんね、
と、心の中で伝えた。
それ以来、今日に至るまで
伯母は出てこないでいる。
不思議なことの
話を書くのには訳がある。
それは、私自身の
人生そのものであるからだ。
今の私を形作ってきた
一因であるそれらのこと。
それらなしには
私は語れない。
ある時は私を導き育て
またある時は軌道修正し
気付きを与えてくれるもの。
それら故に
この世の素晴らしさを再確認でき
異なる次元を知り
成仏への道を探り当て
諸々の事象の理の一端を知る。
仏のように悟ることは出来ないが
ほんの少しばかりの
大海の中の一滴を
私にも見せてくれるものなのである。
この世にこそ
全ての答えがある。
あちらこちらと
その宝石は
散りばめられている。
人生は、宝探しのようだと
遊園地のようだと
以前思ったことがある。
自分が何を見るか
何を探すか
何を目的とするか
それらに対して
この世は
全て応えてくれるのであるから。
そしてそれは
この世に存在する
一人一人、全てにおいてそうである。
謂わば
一人一人が宇宙であるとも
言えるのだ。
たくさんの宇宙が
縁に触れ、干渉し合い、
この世という宇宙を創り出す。
私が何を見、何を思い、
何をするか、
それにより因が生まれ
縁が出来、果が実る。
その繰り返しのなか
私はそれらのことにより
導かれてきたのだ。
私は私自身を知りたいと思い
この世を知りたいと思っている。
これは、私自身を探り
この世を探求することでもあるのだ。
ああ
本当にこの世は
美しく
不思議で
奇跡に満ち満ちていると
思うのである。
亡くなった人が
私の所に
来ることがある。
それは夢の中に来たり、
現実であったり、様々だ。
20代後半、
新婚の頃のことだ。
当時私は、
マンションに住んでいた。
片田舎に建つそれは
周囲も割と静かで、
なかなか
住み心地が良い部屋であった。
夫婦二人で住むには広い3LDKで
リビングのすぐ横に
和室があった。
和室とリビングは
障子の引き戸で仕切れるように
なっている。
私は開放的な空間が好きなので
普段は障子を閉めることはなかったが
クーラーを入れた時などは
電気代節約のため
障子は閉めていた。
どんよりと暗い、
ある雨の日のこと。
朝からねずみ色の雲に
覆われた空からは
絶え間なく雨が降り注いでいた。
湿度も高く
ジメジメとしていて
湿気の不快さに耐えきれず
クーラーをつけることにした。
障子を閉め
リビングでくつろいでいた
その時、
パン…。
音がした。
何かが当たったような音。
障子の向こうの方からだ。
虫でも当たったのだろうか。
そう思った。
パン…。
パン、
バン、バン、
バン!!バン!!バン!!
バババババババババババババ
!!!!!!!!!!
手だ!!
無数の手が、障子の向こうから
障子を叩いている!!!!
咄嗟に、そう感じた。
あまりの恐怖に
私は身動き出来ずに
障子の方を凝視しながら
その場に立ち竦み
固まってしまっていた。
しばらく我慢すれば
鳴り止むだろう…。
震えながら、そう思って
鳴り止むのを待った。
バババババババ!!!!!
障子を叩く音は
鳴り止むどころか
どんどん激しくなっている。
怖さのあまり
私はガクガク震えながらも、
もうその音に耐えられなくなり
思い切って
障子を開けることにした。
障子さえ開けてしまえば
叩くものがなくなって
音が鳴り止むだろうと思ったのだ。
恐る恐る、障子に近づく。
心臓が破裂するかと思うほど
バクバクと激しく脈打っている。
震える手で、息を止め、
思い切って一気に戸を開けた。
タン!!!
障子は壁にぶつかって止まった。
フワッと、生暖かい空気が
流れ込んできた。
そこには
何もいなかった。
当然と言えば当然のことだが、
気が抜けた私は
しばらくその場に座り込み
動くことが出来なかった。
その2日後のこと。
知り合いの訃報が届いた。
高校の時の先輩で
その頃は顔を知っている程度の
人だったが、
大学生の頃、
バイト先でたまたま一緒になり
バイト仲間達とで
遊びに行ったりもした人だった。
その人は、まだ30代前半であったが
実家の自分の、
クーラーがきいた部屋で
亡くなっていたそうだ。
朝になり、
その人の母親が見に行ったら
既に亡くなっていたという。
それを聞いた時、
「ああ、あれは、先輩だったのか」
と、思った。
その人は、そういう
ちょっと悪戯をするような
人を驚かすのが好きな
そういう性格の人だったので
妙に納得したのである。
あの人なら、
いかにも、ああいうことをしそうだ。
先輩は、自分が亡くなったことを
私に知らせに来たのであろう。
なぜ私なのかは分からない。
たまたま、私のことを
思い出したのか
感応したのか
みんなのところに行ったけど
気づいたのが私だけだったのか。
まあ、あまり驚かさないでほしいと
つくづく思うのである。
「火車」
火の燃えている車。
車と言っても
こんなのである。
私の実家は
三十数年前の新興住宅地で、
もともと山だった処を
削り取って開き
住宅地にしたものである。
先日も、曰く付きの
土地について書いたが
私の実家もそうであるのか
はたまた
風水的に悪い家相なのか
不思議なことが
多々起こる家なのである。
前投稿の病魔にも
この実家で遭遇している。
そして
この「火車」についても
そうである。
話は、私が中学生の頃まで遡る。
当時の私は
深夜番組大好き、
夜更かし大好き少女であった。
若さゆえ体力もあるので
あまり寝なくてもへっちゃらだ。
徹夜でもいいくらいだ。
そんな私は、
家族が寝静まった夜、
一人、一階のリビングで
テレビを観るのが
何よりの楽しみであった。
それでも、そういう家であるので
これ以前にも、まま変なことには
遭遇していたゆえ、
少々の気味悪さも感じていた。
しかしそれがまた、
楽しいワクワク感と
怖いドキドキ感が合わさり
深夜の一人の時間に
絶妙な味をつけていたのである。
そしてその日も
私は一人でテレビを観ていた。
夜はだんだん深まっていく。
時刻は丑三つ時へと
うつっていた。
ふと、
何か遠くの方で
地鳴りのような音が
聞こえる気がした。
それは遠くから徐々に移動して
こちらに
近づいてくるようであった。
まさに、どんどん近づいてくる。
聞き覚えのない
ゴォーーッというような
ボォーーッというような
それの中間のような
ボワッとして
空気が振動しているような
音である。
ボイラーの燃える音が
近いかもしれない。
車ではない、他の乗り物でもない、
物体が移動する音ではない、
何かの「音」だけが移動している。
それが、窓の外、
道路から聞こえてくるのである。
その不思議な音は
どんどん近づいてくる。
大きくなってくる。
そしてついに
家の前の道路を
その音が通過した。
その瞬間、私は
「あ!火車だ!!」
と、思ったのである。
なぜか、外を覗いて見ようとは
思わなかった。
覗いてはいけないような
気がしたのである。
私は暫く身動き出来ずにいた。
そして音は遠ざかっていき
聞こえなくなった。
聞こえなくなるまで
私は息を詰めていたようだ。
やり過ごしたことにホッとして
また、テレビを見ていた。
と、その時。
今度は、夜の闇を裂くような
消防車のサイレンの音が聞こえてきた。
ウーー、カンカンカン!
と、ものすごい速さでもって
私の家から川向こうの
集落に向かっているようであった。
あの、変な音が聞こえてきた先、
その辺に向かっているような気がした。
私は、何とは無しに
「ああ、火車のせいだ」
と思ったのだ。
あの火車が、火を点け
そこから私の家の前を通り
何処かへ消えていった、
そんな風に思った。
実際のところはどうか分からない。
今もって、それは謎のままである。
火車は、罪人の亡者を乗せ
地獄へ行くらしい。
あんなものには
乗らない方がいい…。
「病魔」
病気を魔物に例えていう語
新潮文庫から出ている
杉浦日向子さんの『百物語』という
本があるのだが、
ご存知だろうか。
漫画で描かれた
江戸時代の怪異譚だ。
その中に「雨中の奇物の話」
というのがあるのだが、
ザッと説明すると、
雨の中、通りの向こうに
何やらうずくまる
人らしきものがいる。
通りかかった人が
その人らしきものに近寄って
話しかけたところ
それはたちどころに霧散し
その後、その人が高熱を出すという
そういう話だ。
病が形を得たもの
「病魔」であるなと、
この話を読んだとき思ったのだ。
「病魔」なんてあるわけないと
お思いだろうか。
実は私も
「病魔」に遭っているのだ。
20代中頃のことだ。
夜、ぐっすり眠っていると
何やら、口の辺りを
モゾモゾとするものがいる。
それがこそばゆくて
半ば目覚めてしまったが、
よっぽど疲れていたのか
目は閉じたままでいた。
無意識のうちに
手で口を少し拭い
又眠りに落ちかけたその時。
そのモゾモゾするものが
私の唇をこじ開け
口の中に
何やら細い棒のようなものを
数本突っ込んできた。
これにはさすがに驚き、
今度はハッキリと目覚めた。
すると目の前
口から顎にかけて
真っ黒い
グローブ位の大きさの
蜘蛛のような
伊勢海老のようなものが
その脚を数本、私の口の中に
突っ込んでいるではないか。
ますます驚いた私は
慌ててそいつを口から払いのけると
勢いあまって
畳の上に飛ばしていた。
あんな大きなものが
畳の上、自分の部屋の中で
ウロウロ逃げ回られると
寝るどころの話ではない。
おちおち寝ていられないのは
たまったものではない。
それよりも、
あいつが何なのか
正体をハッキリさせたい。
私は、すぐに部屋の電気を点けた。
と、同時に
そいつがものすごい速さで
部屋の角に逃げていったのが見えた。
何としてもつかまえてやろうと
それが逃げた方を凝視した。
部屋の角に逃げたので
そこにいるはずであるのに、
それはいなかった。
もしかしたら、
押入れに入ってしまったのかと
押入れを開け、
中を見渡して探してみたが
やはりいない。
全く何処にもいない。
結構な大きさのものだ。
見落とすはずがない。
そいつは、部屋の角に逃げて
まるで煙のように
消え失せてしまったのだ。
あまりにも不可解なことに
夜中だというのに一人で
「えーーーー?!」
と声に出して頭をひねっていた。
まあとにかく
次の日は仕事だ。
朝早く起きなくてはいけない。
消えてしまったのなら
もう現れまいと
まだ唇に感触が残ってはいたが
再び寝ることにした。
次の朝。
酷い喉の痛みで目が覚めた。
私は風邪を引いていた。
あいつのせいだと
直感が告げていた。
脚を突っ込まれただけで、
酷い喉の痛みを伴う風邪を引いたのだ。
あいつは、私の口の中に、
全身入って来ようとしていた。
もしも、あの時
あいつの全身が
私の中に入っていたとしたら、
一体どんな病に
かかっていたのだろうかと、
ゾッとした。
払いのけることができて
良かった。
部屋の角に、霊はいると言う。
部屋の角から、そいつは現れ
また、消えたのだろうか。
その時から私は
病魔なるものは存在するのだと
思っている。
〜 不思議なこと・おぞましきもの1.
からの続き〜
その後、
それから何年か経ち、
私が亡き祖父の導きにより
仏教に帰依したことで、
ようやくその謎は、半分解けた。
あの土地は、
マンションが建つ以前、
ある新興宗教団体が
管理していたものであった。
もともと、そういうものが
集まりやすい土地だったのか、
その団体が管理するうちに、
そういうものが集まってきたのか、
それは分からないのだが、
所謂、それら魔物が、
もっともっとと力を求めて、
私の家のお札の中に
いつの間にか潜んでいたのである。
そしてそれは、
私がそのお札を拝むうち、
ある程度の力を得てしまい、
とうとう実体化出来る迄に
なっていたのだと思われる。
そういうもの達は、
私達が拝めば拝むほど、
信仰すればするほど、
力を得るものなのである。
しかし、当時の私には
それすら分かるはずもなく、
そのまま例のお札を
家に置いていたままであった。
当然、その前もその後も
お札が存在し、
あのマンションに住んでいる間中、
気味の悪いことばかり続いていた。
とうとう、私と娘は、
精神と肉体に被害を被り始めた。
夫は、半信半疑ながらも、
あまりにも娘に悪いことばかり起こり、
私が精神的にも肉体的にも
参ってしまったこともあり、
引っ越しを決意した。
引っ越してからは、
嘘のようにそれらは治った。
お札についてだが、
その時は、
お札のことに疑問を持ちながらも
お坊さんに書いて貰ったということで
処分出来ずにいたが、
今はもう処分して、
家にはない。
土地が持つ因縁、業が、
そしてそこに巣食う魔物達が、
お札や私と反応したゆえの
ことであったのだろう。
とにかく、
そういう土地は存在するのである。
不思議なことが起こったり
そんなものに遭うのは、
自分の体調や
波動の状態によっても
変わってくると思うのだが、
その土地がもともと抱えている
"何か"にも寄るのだと
思えることがある。
昔住んでいた賃貸マンションは
新築だったのだが、
どうも、おかしなことが多かった。
さらには、そのマンションの
すぐ斜め前の交差点で、
見通しがいいにも関わらず
しょっちゅう事故が発生したりしていた。
私達家族にも
奇妙なことが多発したのだが
その中の一つに
とても怖い思い出がある。
ある夜のことである。
当時、私と夫、
そして2歳になる娘が、
クィーンサイズのベッドで
川の字になって寝ていた。
夜半過ぎごろ、
私は何かの気配を感じて
うっすら目覚めた。
そしてその気配のする方を見た。
「それ」は、私の娘の上に
覆い被さるようにして、いた。
「それ」を見た瞬間
全身の毛が逆立つような
非常なおぞましさを感じた。
(これはダメなヤツだ!)
私は直感的にそう思った。
ジワリ…と、嫌な汗をかいた。
全身真っ白な、ヒトのようなもの。
服が白いのではない。
服など着ておらず、
体全体が白いのだ。
黒々とした髪はざんばらで
肩まで伸びている。
「それ」がヒトでないのは
一目瞭然であった。
娘の上にいるので、
危険だと察知した私は何とかしようと
顔をそっちに向けてじっと見ていたが
どうにも身体が言うことを
きかないでいた。
すると、
「それ」が私の方を見た。
私は恐怖のあまり息を飲んだ。
「それ」には
目も鼻も口もない。
顔がなかった。
代わりに、
額の部分からお腹にかけて
身体の中央に、真っ黒な字で
梵字が書かれていた。
胸の辺りには、朱印があった。
黒々とした髪と梵字と朱印が
白い全身に浮かんでいるようであった。
「それ」は、片方の手を伸ばしながら
私にゆっくり近づいてきた。
その時、頭に「それ」の言葉が
響いた。
「もっと力を…」
「それ」は手を伸ばし
手のひらを私に向けて
徐々に近づいてくる。
私は顔を背けることも
逃げることも出来ずに、
それどころか、意思とは逆に
「それ」に合わせるかのように
私も手のひらを「それ」に
向けて伸ばしているではないか!
ついに「それ」の手のひらと
私の手のひらとが合わさってしまった。
その瞬間、
ビリッと感電したかのような衝撃と、
今までに経験したことのない
この世ではあり得ないような
忌まわしさが全身を駆け抜け
総毛立った。
私は渾身の力を振り絞り
飛び起きた。
「それ」は、消えていた。
が、手のひらには
「それ」の感触が残り、
まだ全身に鳥肌が立ち、
身体がブルブルと震えて
ビッショリ汗をかいていた。
私は震える身体を何とか起こし
足をもつれされながら
台所に向かった。
そして、塩を全身にかけ
手を何回も洗い、
うがいをした。
何分くらいそうやっていたか
定かではないが
ようやく一息つき
落ち着いてきた私は
「それ」が、ある物に似ていることに
気がついた。
その時、家には、
お札があった。
夫が、会社の人から貰った物だが
その会社の人が、
あるお坊さんに頼んで
書いてもらったものらしい。
家系が繁栄するとか、
何かそういう触れ込みであった。
そのお札に似ていたのだ。
それに思い当たった私は、
恐る恐る、そのお札を見に行った。
まさに、
その白い紙、
紙の真ん中に墨で書かれた梵字、
中ほどに押された朱印、
あの「それ」に酷似しているではないか!
お坊さんに書いてもらった
ありがたいお札であるはずのものが
何故、私の娘や私の生命力を
奪うようなことをするのだろう…!
しかも、あのおぞましさである。
あんなにもおぞましいものに
触れたことは、
後にも先にも、あの時だけである。
訳が分からなくなった私は、
まだドキドキしている心臓の音を
聞きながら、
娘の無事を確認し、
眠りにつくことにした。
とにかく寝て
いったん自分を
落ち着かせようとしたのだ。
ありがたいことに、
娘は何事もなかったかのように
スヤスヤと眠っていた。
ー〈つづく〉ー
たまに
夢か現実か
はっきりしないことに
遭うことがある。
そういうのは大抵
寝ているか
寝ていて起きた時などだ。
しかしそれとも違う
不思議なバージョンがあって
それは、
「あれ?私、寝てたっけ?
いつ寝たんだろう?」
と、自分が
寝た覚えがないのに
眠りから目覚めたりすることだ。
いつだったかはっきり覚えてないが
30代の頃かもしれない。
こんなことがあった。
ふいにその光景が始まる。
私は、とても大きな宇宙船の中にいる。
宇宙船の中には重力があるようで
きちんと床に立っている。
仕切りのない広い空間だ。
船の材質は金属なのだろうが
私達の知っている金属質独特の
ギラギラするテカリはない。
が、もしかしたら、
金属ではないのかもしれない。
柔らかな光が辺りから自然に
発光しているようで
空間の中は程良い明るさだ。
私は一人ではない。
周りにどうやら沢山の人、
いや、人ではないかもしれない、
人型の生命体がいる。
私はとても深い安堵感を覚えていた。
ゆったりとした気持ちで
周囲を見渡す。
宇宙船には大きな窓がいくつもあり
そして、そこから外を見た。
私は、驚きと感動に打ち震えた。
星々輝く宇宙空間に
沢山の宇宙船が漂っていたからだ。
遠くには明るい星雲が見える中
様々な形、大きさの宇宙船が
光りながらそこにある!
なんと凄い数だろう!
なんと素晴らしく美しい光景だろう!
私が乗っている宇宙船は
他のそれらと一緒に
隊列でも組むかのように
どこかを目指して進んでいた。
私は歓喜のあまり、涙を流していた。
「ああ、やっぱり、いたんだ!」
嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
私達は孤独ではなかったのだ。
そのあと、側にいた生命体と
話をしたのだが
何か目的があって
みんなでそこに行くのだと
言っていた気がする。
そこから急に
記憶が怪しくなり始める。
次に記憶がはっきりした時、
私は布団の中にいた。
「夢?」
最初はそう思った。
しかしだ、そもそも私は
寝た覚えがないのだ。
一体、いつ寝たんだ?!
何か、日にちがとんでいるような
そんな感覚を覚えた。
とても不自然なのだ。
どう考えても、
記憶が繋がらないのである。
記憶がすり替えられたような
切り取られたような
曖昧模糊として
思い出そうとしても
思い出せないのだ。
しかし、夢にしては
感覚がリアル過ぎた。
まあ、とてもリアルな夢というのは
たまにあるが、
しかしそれと引き比べたとしても
あまりにも現実味があったのだ。
もしかしたら私は
本当にそこにいたのではないだろうかと
思っている。
幼少の頃から持っていた疑問。
「私は誰で、ここはどこだ」
それは私が成長していく過程において
度重なる不思議な現象ともあいまり
どんどん膨らみ、加速していくことになる。
ああ、それはまさに
宇宙の姿のようだな、と、
今そのことを書きながら、ふと思った。
そう、私は宇宙にもとても強い興味がある。
私の根本的な疑問は
私自身から派生して、
私をとりまくもの全てへと
その謎を広げていくことになった。
それは物理的な対象物のみならず
精神的なものに対しても同じである。
そもそも人間は
精神と肉体から成るものであるから
当然私の疑問は、
そのどちらにもむいたのである。
人と世界、世界と宇宙、
精神と世界、魂の存在。
私の疑問は、精神世界
いわゆるスピリチュアルへと向かう。
しかし、それでは
根本的な何故、という疑問に
深く追求出来ずにいた。
論理として確定していないからだ。
ある程度までは、それを知ることで
納得がいく部分もあった。
しかし、肝心の核の部分が
ボヤけてしまうのだ。
核の部分、それはつまり
真理である。
私は結局、この世の真理が
知りたかったのである。
もしも誰かが、この世の真理を
宇宙の謎、実態を、
私達の存在、意義を解明し、
「これだ!」
と私に差し出し見せてくれるなら
もうその時に
私は死んでもいいと、
強く、本当に強く思っていたのだ。
私の魂は渇望していたのだ。
今世で私の意識が目醒めた瞬間から
私の魂の渇望は始まっていたのだ。
渇望してから長い時間が経ったのち
そして私はとうとう
仏教へと、たどり着くのである。
そこには、また、不思議な導きがあった。
私の祖父が関係してくるのだが、
祖父が亡くなってからの話である。
その話は、別に書こうと思う。
亡くなった祖父によって
仏教へと導かれた私はそこで、
ようやく核心を得たのだと思う。
思う、というのには訳がある。
それは、
仏教はあまりにも奥が深く
それこそ、とてもとても深過ぎて、
私はまだまだ勉強出来てないからだ。
しかし、その一端を齧っただけでも、
既に私の稚拙な疑問への答えは
出てしまっている。
そこからさらに奥へ進むと、
それはもう、
あと何回私が
生まれ変わらねばならない?
というくらいの深遠である。
とても今世では理解が及ぶまい。
理解は及ばないかもしれないが
私の魂は共鳴しているのが分かる。
そんな私でも分かるのは
仏教とは論理的であり、かつ、
論理に破綻がない、
ということだ。
簡単に例えて言えば、
お腹が減ったらご飯を食べる。
眠くなったら寝る。
そのような、
小学生でも理解出来ることに
きちんとした論理的説明があり、
それが体系化されているのである。
しかし私は、仏教のみならず
科学についても信頼を置いている。
物理的にみてどうか、
量子力学的にみてどうか。
仏教と科学は
相反するように思われるかもしれないが
実はそうではない。
仏教で既に説かれていることが
最近では次々と科学で
証明されてきているのである。
そのことをニュースで知る度に
私はとても嬉しくなるのだ。
それはつまり、
同じ一つのことを
見方、角度を変えて
見ていることになる。
角度を変えた視点から同じものを見、
そしてその結果、
同じ答えが出ているのだ。
科学も音楽も絵画も
最初は全て
神への追求から始まった。
神、すなわちこの世全ての真理である。
私は仏教徒なので、そこは
「仏」となるのだが、
一般的に言えば、神となる。
人々は、その得意とする事柄により
真理への追求を試みていく。
そのアプローチは
人類が人類として覚醒した瞬間から
終わりのない旅へと
歩みを始めているのだ。
渇望してやまない私達人類は
まさに親の愛情を渇望する
子供のようだ。
神、仏よ
あなたはそこから
無上の慈悲を私達人類に照らし
微笑んでいることだろう。
私達の歓びは
貴方の歓びでもあり
私達の哀しみは
貴方の哀しみでもある。
私達がこの世を常寂光土に出来た時
初めて貴方は私達と
相まみえるのかもしれない。
ならば私は、旅を続けるまでのことだ。
決して諦めることのない旅を。
「あなたには、その価値があるから。」
昔、シャンプーか何かのCMで
言っていた言葉だ。
そう、価値のない人間など、
誰一人としていない。
例え、この世界で生きていても
仕方のないように見える人間でもだ。
この世に人間として存在出来ること、
そのことこそが、
とても奇跡的なことなのだ。
誕生する迄の
肉体生成のプロセスを辿ってみても
そこには奇跡としか言いようのない
驚愕の世界がある。
私は仕事柄、最近DNAについて
強制的に学ばされたが
超ミクロの世界においても
それはもう奇跡のような世界がある。
例えば、ALU配列というものが
ヒトゲノムの中には散在しているが
それらはその近くの遺伝子を
変化させる作用があるらしい。
私達の身体の中で、日々、
そんなことが起こっている。
自分でありながら
自分の意思ではない、
その自分の肉体が勝手に起こし、
活動している様は
沢山の奇跡に満ち満ちていて、
畏怖の念すら覚えるものだ。
故に、
私達の毎日は
奇跡の連続である。
この宇宙の中において
存在することこそが
奇跡であるのだ。
存在自体、宇宙自体が奇跡なら、
たとえ、普段の生活の中において
不思議なことがたくさん
あったとしても、
それは理屈のうえでは
不思議でもなんでもないのである。
この世自体が奇跡で不思議なのだから。
まあそれでも、
いわゆる人間的に不思議だなと思えること
不可解なことに、
私が昔から良く遭遇するのは
私の感覚や、興味や、性格や
生い立ちや、
そんな私の全てが関係している
それだけのことであろう。
私にはきっと、そんな役目が
与えられてきているのだろう、
と思う。
生きていても仕方がない、
と言う人がいる。
わたしの身近な存在にもいる。
人間なので、弱った時には
そう思えることもある。
しかし、それならば、
この世には存在し得ないのである。
特別な何かを成し遂げることや
一見この世で成功している人だけが
凄いのではない。
例えこの世的に、何もしてないように
見えたとしても、
あなたはあなたとして
存在している
そのことこそが、凄いことなのである。
宇宙は、とても精密に出来た
機械のようでもある。
私達は、それを形成する
ピースだとしたらどうだろうか?!
機械は、精密になればなるほど
例えほんの小さな部品が
欠けただけでも
壊れたり調子が悪くなるものなのだ。
そこに不必要なものは存在しない。
宇宙であってもそれは当てはまる。
いやむしろ、世俗的なことが
そうであるなら尚更のこと
宇宙的規模ではそうである。
何故なら私達は、
その宇宙の中にこそ存在するからだ。
どうしても一定のルールが
この世にはある。
神のルールとでも言うような
決められたこと、
生まれたら死ぬ、
人は老いる、
これらはもう、変えようのない事実。
そんなルールのことだ。
そのルール、
それは真理とも言う。
私達はその真理に則って
生まれ、生き、死ぬ。
これは、個人の好みでは
変えられないことだ。
機械で言うなら
手順に従って、機械を動かす。
従わなかったら?
機械が壊れるのだ。
私達は、この宇宙を構成する
一人一人かけがえのない
存在である。
一人欠けたら
どうなるか分からない。
不慮のことがあり、
一人欠けたとしたら、
宇宙は必死に修復しようとするだろう。
想像してみてほしい。
気が遠くなるほど広大な宇宙に
たった一つ存在する地球。
そこにはたくさんの人がいるが
あなたはたった一人である。
マクロの世界からミクロの世界まで
あなたという存在は一人。
たった一人しかいないのだ。
どれだけ貴重なことであろうか。
それこそ、サハラ砂漠から、
たった一粒の砂を
探し当てるようなものだ。
そんな奇跡の世界で
私達は生きているのである。
いや、生かされているのだ。
あなたはあなたであるが故に
価値があるのだ。
どうか、あなたが生かされている
そのことにこそ
価値を感じてほしい。
例えあなたが
何もしていないと思っていても
あなたはあなたであるだけで
知らず知らずのうちに
誰かに何かを与え、
感じさせ、
影響を及ぼしているかも
しれないのだから。
それは誰でもない
あなただけにしか
出来ないことなのであるから。
もう一度言おう。
価値のない人間など
誰一人としていないのだ。

