第4回目のテーマは「満足した大学生活」である。
大学というものは案外、人生において非常に重要な場面であるにちがいない。
最近ふとそのように感じるのである。
私にとっていわゆる「学歴」というものは重要ではなく、「自分にあった大学」というのが非常に大切だ。
高校2年次から大学受験のことを教師や学年主任から毎日洗脳のように、話をされていたが私にとって上の空といったところで、いったいどうやって受験する大学を決めれば良いのかわからなかったのが現実であった。
しかし世間や友達は「〇〇大学を目指す」やら「〇〇大学に行きたい」など、あたかも彼らの受験軸は定まっているように聞こえ、自分だけまだ目指すべき大学を探せていないような気がしていた。
いちおう大学受験案内やオープンキャンパスなどで情報収集していたが、情報が増えてもなんだか曖昧で、どこの大学も同じように感じてしまっていた気がする
差別化するのであれば、「偏差値」や「キャンパスの綺麗さ」などであろうか。
結局のところ、私はグローバルに強いイメージのあった大学を第一志望としたのであった。(そこに入学すればきっとグローバルな人?になれるのではないかと期待しただけだが...)
ここまでの話はさておき、いまふと高校時代素晴らしい教師らを思い出した。
彼らは生徒を偏差値でしか判断していなかったように思う。
また、生徒に期待をしていなかった。
ここで登場人物が2人いる。1人はテニス部の顧問、もう1人は高校3年次の担任である。
私は高校1年次からテニス部に所属していた。
しかしテニスがあまり上達しなかったことや部員との関係があまりよろしくなかったこと、テニスよりも勉強したかったことを理由に退部を考えていた。(特に人間関係が複雑で常に協調や同じでいることが求められ、まさに私にとっては自己を否定されるような環境であった)
数週間後に顧問に退部を希望していることを話すと、「どうせ部活を辞めたって、勉強もしないで落ちこぼれるだけだ」、「過去にも君と同じような生徒がいたが結局受験に失敗したよ」と言われるばかりであった。
正直、顧問に対して失望した。もともとコミュニケーションが円滑ではなく、完全に「自分の意見は常に正しい」「自分の意見をわからないやつはおかしい」と主張するタイプの大人であったため、仕方のないことではあったのだが、
これが1人目の顧問の話。
次は、2人目の高校3年次の担任の話である。
受験する大学名(第一志望から滑り止めまで)を彼に伝えたとき、「本当にこの大学を受験するのか」「もう少し他の大学も受験したほうが良いのではないか」と伝えられた。
もちろん、担任の立場から心配する姿勢もあったとは思う。
しかしながら、当時の私にとって高校には自分を信じてくれる教師はいなかった。
そこで非常に重要な存在であったのが、塾と自分であった。(この話は省略)
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ここまで長く、あらゆるトピックが混在してしまい申し訳ない。
ここからは満足した大学生活に戻ろう。
なんだかんだ曖昧で受験大学を絞ったが、やはりある程度「何を欲しているのか」は重要な要素であると感じる。
例えば、「通学時間」や「学部」や「サークル活動」など。
いざ入って、「こんな場所に通学するのは嫌」「この分野勉強できないの?」「このサークルないのか残念」と思わないように、ある程度の選定は重要。
私は自分の興味があるサークルに所属することや、興味のある分野の勉強、大学でのボランティアなど自分のニーズにあった選択肢が存在していたことで、非常に満足のいく大学生活であった。
特にこれからまたは現在大学生の方に伝えたいことは「何でも自分次第」であるということだ。
必ず自分の求める選択肢はゴロゴロと転がっているし、せっかく大学に入ったのなら大学が提供している施設や制度を制覇するつもりで活用すると、大学への好感度も上がるのではないかと思う。
想像以上に、素晴らしい制度や教授や学生は存在し、視界が180度変化することに気がつくであろう。
というわけで「満足した大学生活」?であった