もし本当に人々を救う神仏がいるとしたら、
なぜ罪もない幼い子が親に置き去りにされ、飢え、暗闇、孤独、悪臭、痛み、およそ考えられるこの世の地獄を全て受けて死ぬのでしょうか。
なぜ遊び呆けてる親を待ち続けて、熱い車の中で死ぬのでしょうか。
なぜ大波にさらわれて死ぬのでしょうか。
なぜ神仏は救いに行かなかったのでしょうか?
救いに行くために一歩踏み出してるとされる足は、実はそれ以上進んでないのでは?
千本もある手は絡まって役に立ってないのでは?
何でも聞こえるという観音の耳は聞こえ過ぎて分からなくなってるのでは?
「前世が悪いから」という言い訳は通用しない。
餓鬼や畜生に生まれずに人間に生まれてる時点で前世はまあまあだったハズだ。
信仰している方たちは、そこら辺どう折り合いをつけて信じているのか?
「自分とは関係ない」といった冷めた折り合いの付け方?優しいハズの仏教徒が?
救うべきを救わない神仏に時間と労力とお金をかけて、祈りを捧げる価値などあるんでしょうか。
叶っても叶わなくてもいい、という態度でお願いする対象としては良い。
けど信じるのは違うように思う。
本当に信じなくてはならないのは自分自身。
本当にお願いしなきゃならんのは自分自身。
結局、やらなきゃならんのは自分自身や。
結局助けてくれるのは神仏ではなく、身近な人々や医者や警察や、現実の人々。
「そういう人たちが神仏だ」という、いいとこ取りの考え方は現実が見えてないように思える。
私には「仏教」は昔の人の考え方を学ぶ科目の一つという感じ。
ここ数年、神社仏閣巡りしてたのになぜか「そういうの信じてない」とハッキリと発言する人に何人も出会い、なんだか目が覚まされた思いがしてる。
まあ、日本人は基本無宗教ですしね。
そういう人の方が多数派だからクリスマスもハロウィンもアリなんだよね。