33年ごととか、50年ごととか、
秘仏のご開帳が実はもっと短い間隔で開けてることがあるように、
56億7千万年後に蘇る予定の弘法大師も合間に様子を見に来ることがあるとして、
高野山や四国を車であっという間に行き来できるようになったと知ったとき、どう思うのだろう?

また私たちは「車遍路で〇周済ませました」
「高野山に車で月イチ来てます」なんて
弘法大師に面と向かってヌケヌケと報告できるんだろうか?

恐らく新しいもの好きの弘法大師は一度は車移動を経験してみて、時代の変化に理解を示すでしょう(^o^)

けど、やはり四国や高野山へは歩いて来い、と推奨されるのではないかなぁ(。ŏ_ŏ)


なんてことを考えながら、
今年も町石道を歩いてみました(^人^)



およそ20km、ちょっと時間かかって8時間を要しました(>_<)

それにしても、
こんな山を歩くことが修行だろうか?
(;^_^A
いくらシンドくても、私は修行だとは思えない。

もっと言えば、修験道とか歩き遍路とか、千日回峰行とか、寒中滝行とか、色々厳しい修行ってあるけど、自分から進んでやってるんだから、やりたいことやって楽しんでいるウチに入るのでは?


そりゃ予想外にキツイことに行き当たることもあるでしょうけど、ある意味、そういうことも期待しての修行ですよね(;^_^A


やったことの無い素人が個人ブログで勝手な言ってるだけなので、聞き流して下さいよ、修行したエライ方おいで




男っていうのは大袈裟なのでしょうね。
「俺はこれだけシンドイことやってのけた」ってのを誇示したいだけじゃないのかな?
功名心、自己顕示欲、マウント取り、、、



私が思う修行とは、自分で意図しない逃げ出したくなる困難や苦境逆境に立たされても、幸福に転換できるか、幸福だと感謝することが出来るようになるか?だと思うケド…



自分から進んでやりたくなるシンドイことは、お化け屋敷に入って行く感覚と似てるかも?
(;^_^A
怖いながらも楽しんでいる。



山歩きは修行だのなんだの、そんなややこしいこと全く考えもしないでやる人だっているワケですもんね。

車遍路とか車巡礼とか、
全くお話にならない(;^_^A
何周してようと単なる観光でしょコアラ


霊場側は車で回ってもらったほうが儲かるから、何も言わない。
つーか、あの西国先達の階級設定はどう考えても車巡礼前提だよね(。ŏ_ŏ)



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