マイケルとマドンナが取り合った日本人ダンサーの夢物語その2。
Kento Moriは現在、マドンナのツアーダンサーとしてヨーロッパ各国を周っている。
彼は12歳でマイケル・ジャクソンと出会い、
21歳でダンサーを夢見て単身渡米。
だが渡米した当時、マイケルは大規模なコンサートは行っておらず、
彼はマドンナのオーディションを受けることとなる。
そして、マドンナのツアーダンサーとして「Kento Mori」は契約。
だがその後、マイケルのロンドン公演のオーディション話が
彼に飛び込んで来た。そう、あの最後のコンサートだ。
「マイケルと仕事する事を夢見て、それを目標にここまで来た。
これを失ったら、アメリカにいる意味まで失ってしまう。」
そう決意した彼はマドンナとの契約金を返上する覚悟で
マイケルのオーディションにチャレンジする。
マイケルのオーディションは選ばれたダンサーのみが受ける事を許され、
誰もがチャレンジ出来る道ではない(今回は世界中でたった500人)。
その上、マイケルのラストの仕事と告知されていたロンドン公演。
そのラストチャンスを「Kento Mori」はゲットしてしまったのである。
それも、マイケル本人による他のダンサーよりいち早くの抜擢であった。
だが「Kento Mori」はマイケル・ジャクソンと契約する事は出来なかった。
彼自身もマドンナに直接メールをするなど調整に努力し、
これもまた異例の事ではあるがマイケル本人がマドンナに直接電話をし
「Kentoを使わせて欲しい」と交渉したが、マドンナには通用しなかった。
マドンナもまた「Kento Mori」を必要としており、
マドンナはプロフェッショナルだったという事でもある。
彼はマドンナのバックダンサーとして踊るしかない状況となったのである。
そこで舞い込んだ「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンの訃報。
マドンナはライブ直前に急遽プログラムを変更しマイケルと
マイケルとのライブを夢見てきた「Kento Mori」の為に
スペシャルプログラムを組んだ。
彼にマイケルの扮装をさせ、名曲「Billie Jean」などに合わせ、
ソロダンスを踊らせたのである。
更にその動画を公式サイトのトップページに掲載した。(今はないですが)
マドンナのプロフェッショナルな姿勢と気遣い。
Kento Moriの夢への強い思い。
素敵な物語です。