子どものための教育学
実践編(☆:著者 T:教師 C:子ども P:親)
12 ウンコの話と花束の話(よいところをみる)
C「先生、Aくんが廊下を走っていました。」
C「先生、Bくんが授業中に絵を描いていて、やめてって注意しても聴いてくれませ
ん。」
C「先生、Dさんが内緒話していました。」
C「先生……」
C「先生……」
C「先生……」
T「みんな、本当に、それしか見えていないの?」
C「…………。」
T「先生は、今日、Eくんが、トイレのスリッパをそろえてくれているのを見ました。
それから、Fさんが、本棚の本をそろえてくれているのを見ました。
それから、Gくんが、泣いている1年生の子を助けてくれているのを見ました。それから…………。」
T「みんなは、きれいな花が咲いているのと、犬のウンコが落ちているのを見たときに、先生に教えるの
は、きっと『先生、犬のウンコが落ちていたよ』ですね。『それでどうしたの』、『そのままだよ』『とい
うことは、先生にウンコ片付けてって言いに来たことになるね』、って話になっていくのかな。『先生、
犬のウンコがあったので片付けておきました』とか『先生、きれいな花が咲いていたよ』っていうきれ
いな話が聞きたいなあ。」
☆「先生、○○くんが」という話は学校ではあたり前にあるようです。それもたいていは、よくない内容
です。
1日生活していると、いろいろなものを目にします。
それでは何を見ているのでしょうか。
実は、いろいろなものを見ているようで、ほんの少ししか見えていないのです。自分の意識が、先生や子どもの意識がどこにあるかによって見えるものが違ってくるのです。
これは、次のような、情報工学の立場から考えることができます。
私たちが1秒間に外部からえられる情報量をコンピューターの情報量に置き換えてみると、外界からの情報量は『10億ビット』、そのうち刺激を感じ取れるものは、『目(映像) 400万ビット』『耳(音) 2万ビット』『鼻(におい) 7千ビット』『舌(味) 2千ビット』『身体(触感) 500ビット』となり、合計402万9500ビットの情報が得られる計算になるそうです。(新聞1ページが27万ビットです)
それでは、1秒間でそのうちどれだけの情報を知覚(意識)できるのかといいますと、なんとたったの100ビットだということです。残り402万9400ビットは、意識されないのです。
この数字で注目しなくてはならないのは、外からの情報の約4万分の1しか脳で意識されないというところです。つまり、自分が興味を持ったところ、何かこだわったところしか意識の上には浮かんでこないのです。ですから、情報選択の際の、自分の興味の中心をどこに置くかによって、選ばれるものが大きく変わることを知っておく必要があります。
しかし、ほとんどの人は、自分と同じものが見えていると錯覚しています。
黒板に書かれている文字1つでも、見えている子と見ていない子がいるのです。
本当にそうなのだろうかと疑問に思われるかも知れませんが、サブリミナル効果といって、アメリカではテレビ映像の中でCMをたった1コマ(1/24秒)だけ流し、それを別の番組でも行いそれを繰り返しただけで、売り上げが20%もあがったというようなこともあり、この効果が悪用されることを恐れて、今では法律で、禁止されているという話です。あまりにも短い時間しか流れないので、気付かないうちにその映像を見ているわけです。当然意識してはいません。しかし、無意に情報が脳に流れているのです。
つまり、子どもたちが1秒1秒に自分の好きな100ビットの情報を選択しているのです。
その選択が、『ウンコ』か『お花』によって、生活の潤いも大きく変わっていくのです。
先生方、どうかたくさんの花束の話を集めてください。そして子どもたちは、たくさんの花束のお話を先生に届けてください。
これまでの日本の教育は、悪いところを見つけて直していこうとか、できないことをできるようにしようとか、まず、よくないところを見つけるということで進んできました。
その結果、どうしてもよくないところを見ることに意識が向いてしまうのです。
これは、教師が、意識変革をして、子どもたちとともに、よいもの、きれいなもの、ポジティブな意識を持っていくことでしかできません。
学校生活では、実は美しい景色で溢れているのです。しかし、意識が向いていないので、それに気づくことすらできません。
普通の生活の中では、汚物など汚いと思われるものからは、目をそらし見ないようにするはずです。もちろんそれに気付ききれいにしようとする人はいると思います。きれいにしようとする人は、きれいなものに意識がいっているからです。
ところが、学校ではなぜか汚いものを一生懸命見ようとしているようです。子どもたちには、常にきれいなものへと意識を向けさせたいものです。