第4章 いじめの温床日本
私たちを取り巻く社会環境を考察する
Ⅲ 自らの幸福に対してとらえ方の変換を ⑦
3 自分の幸せとの関係を大切に②
「人権と報道・連絡会」の山口正紀氏は、次のように語っています。
「警察情報の受け売り報道による被害のもっとも典型的なケースが、一昨年の松本サリン事件であった。事件の被害者である河野義行さんが、新聞によって完全に犯人にしたて上げられ、それが週刊誌、テレビへと広がった。なぜそうなったのか。『河野さんが怪しい』という情報は、長野県警から警察庁に送られた情報の中にあった。しかし、それは農薬を作っていたらしいという程度のものだった。これを現場を知らない東京の新聞社の社会部記者が警察庁幹部への“夜回り”で聞きつけ、長野の現地へ打ち返して、怪しいという線で調べろということになった。記者の取材における材料にすぎない断片的な情報を、裏付けも取らず、犯人かもしれないという一種の予断、マイナス要因だけを集めて書いたのである。動機、同種事件への関与、サリンを扱えるだけの知識など、何一つ河野さんを犯人と疑うにたる確証はなかったにもかかわらずである。(中略)河野さんのように、社会的な力をもたない人たちが、泣き寝入りしているケースが無数にある。」
こんな話を聞いても、「かわいそうだね」で終わってしまう傍観者なんです。もしもですよ、いつ我が身もこうなるかもしれないな、もちろん自己保身の考えだけでもいけませんが、それでも今の社会の在り方は、無力な自分には、とっても危険な社会だぞと、みんなが気づいていけば、もう少し変わるのではないでしょうかということを訴えたいと思うのです。
ですから週刊誌にしろ、またこの『いじめの考察』にしろ、だれが書いていて、その人はどんな考えを持っていて、いったい何の目的で書いているのか、これが幸せにつながるのか、自分自身を成長させるものなのか、そんな観点から情報というものを見つめていかなければ、非常に危険な状態で、うっかりすると自分も知らないうちに誰かのいじめに加担していたなどということになりかねません。
そのことが自分を励まし、成長させてくれるのかどうか。その週刊誌を読んで、その報道を聞いて、よし明日からまた頑張ろう、成長しよう、そう思えるものだったとしたら、その記事を書いている人は、読者を幸せにしよう、励まそうと思って書いているはずですが、そうではなく、それを読んで、何か自分の醜い心が顔を出してしまうとしたら、それを書いている記者は、おそらく読者の幸せなんて考えていないはずです。
じゃあいったい私たち数人や数十人が、それに対して何ができるのですか、ということになるわけですね。これが傍観者の心理なんです。こどものいじめはまさしくこれです。自分一人が何ができるのか、と。だから仕方がないと。一億人の日本人がこれなんです。日本国民総傍観者なんです。ここの辺りをかえないと、教育も変わらないのではないでしょうか。精神的にも、制度的にも、根本的な変革が必要だということだと思います。
以前テレビで、『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』でおなじみの、宮崎 駿氏が「子どもの5分という時間は、大人の一年分にも相当するのだから、今のように大人の枠にはめすぎた教育を、根本的に見直さなくてはいけない。いじめをどう解決しようかと、表面的なところばかりいじっていても、本当の解決にはならないのではないでしょうか」ということを語っておられました。
この考察を進める中で、この言葉は当たっているなあと感じました。
35年も前になりますが、登校拒否や、頻尿の子どもに対する指導について、椙山女子短大の、長岡先生に指導を受ける機会がありまして、そのとき話題になったことが、根本的な学校改革ということでした。今の学校制度の、6・3・3制というのは明治時代からのものであり、時代は100年以上過ぎているのに学校は変わっていない。だから無理が出てきて当然である。現代のこどもの発達から考えれば、1年生から4年生までが小学校として、5年生、6年生、または中学1年生くらいまで含めて、小学校と中学校の間にもうひとつ学校を作るくらいの改革が必要ではないか、という話になったわけですが、現状にこだわりながら小手先でかえていこうとしても、もはやどうにもならないところにまできているのではないでしょうか。
戦前は、教育は国のため、戦争のためにありました。そして、戦後は経済のため、会社のための教育でした。そして、その経済も今や限界にきています。それでは、これからは何のための教育をしていけばいいのか。このことについて、前述の若林先生に質問する機会があり、「これから私たちは何のための教育をしていけばいいのですか」とうかがいました。それに対して、
『福祉社会のためです。弱い立場の人々が安心して暮らせるための教育です。』と教えていただきました。まさにこの考察のなかに出てきた悲惨な人生を送った人をなくしていくことだということに一致するのです。
(次回:Ⅳ いじめにどう対応するか)