第4章 いじめの温床日本
私たちを取り巻く社会環境を考察する
Ⅲ 自らの幸福に対してとらえ方の変換を ⑤
2 ほほえめない心④
あるバラエティ番組で、このごろの若い人には物欲がなくなってきた人が多いのではと、話題が取り上げられていました。それは、情報が簡単に手に入ることで、スマホなどで、情報を得るとそれで手に入ったような気になり、結果として、物欲が低下しているのではないかと言っていました。そういわれてみればと言う気がしました。
今の社会は作られた流行の中で、自分の幸、不幸が決まってしまうような錯覚―マインドコントロールが仕上がってしまっている。
『タピオカですよ。ナタデココですよ。パンナコッタですよ。どうですか』
『おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。……』
『家族割、0円ですよ、今なら無料、今だけタダですよ。どうですか。』
『お得。お得。お得。お得。お得。お得。……』
というのと、
『ハーイ! ジョンちゃんや! 新発売のペディグリーチャムですよ。まぐろのフレーク入りですよ。お味はどう?』
『おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。……』
何かまったく変わらないような気がしないでしょうか。
こういう、幸、不幸の見方をそろそろかえていかなくてはいけません。
『教育は死なず』で有名な、黄柳野(つげの)高校元理事長の、若林繁太氏は、
「人に尽くしたときの充溢(じゅういつ)感が人間の最も幸福に感ずるときなのだ」
と、訴えています。自分のためだけに生きる現状を、他人に尽くして生きる文化にかえていくことが、今後ますます大切になっていくはずです。
他人のために尽くすということは、時間もお金も使います。今の文化の損得で言えば、『損』でしかありません。自分が得することだけを求めている今の文化とは真逆だと言えます。
テレビの話なら、友達でなくとも、今日はじめてあった人とだってできます。もちろんテレビの話がいけないということではなく、それだけに終わってしまっている現実に気づき、ちょっとおかしいぞと、これがホントの幸せではないぞ、友達と楽しい話しもするけれど、真剣な話もして、語り合って、がんばろうなと言えるような、ビデオもなくて、テレビも小さいけれど、服もかっこ悪いけれど、こんな友達がいるから幸せだといえるような、そんな微笑ましい幸福感に生きていかなくてはと思うのです。
(次回:2 ほほえめない心⑤)