第4章 いじめの温床日本 私たちを取り巻く社会環境を考察する
Ⅱ いじめ発生の温床・日本①
1 世間体の文化・真心の忘却①
日本の社会では、いろいろなところで形式が大切にされ、心の問題を後回し、もしくは忘却してしまっているところがあります。
たとえば、外国の人が日本人に感心することとして、電車に乗るときに実に整然と順序正しくのっているということがあります。そういう話を聞くと日本人は、実に道徳的実践力のある国民だということになるわけですが、これ、はたしてそうでしょうか。私はこれは道徳的な部分というより、もちろんそれがまったくないわけではありませんが、それより、“世間体”ということだと思うのです。横から入ったらそこにいる人たちにどう思われるだろう、という感情です。本当にみんながみんな、「順番を守らなければ先にきて待っている人に申し訳がないから」という真心からの行動ならいいのですが。どうもそうではないようです。
また、電車に乗ると、お年寄りの“優先席”というのがありますが、これを作らなければお年寄りを大切にできない、というところが、いかにも道徳心の欠如を象徴しているのではないでしょうか。そして、ここでも世間体です。“優先席”と書いてあれば周りの眼を気にしてちゃんと譲るのです。
しかし、心は見えません。表面的には、ならんで列を守り、席を譲る。それを見た外国人は、日本人は立派だ、と。でもこれは違いますね。形に安心していて、心を失っていることに気が付いていないのです。
日本人の世間体と真心の実態を見事に表した出来事があります。
1994年2月、フランスの『ルモンド』という新聞に次のような記事が載りました。
「日本で始まった、あの悪名高い風習が、とうとうフランスにも上陸した」と。
さて、何でしょう。2月といえば……そう、バレンタインデーのことです。
日本では今、当たり前のように、この日、女性が好きな男性にチョコレートをプレゼントするということをやっていますが、これは実は日本で始まったことで、世界の人からはとても嫌がられていることなのです。
私たちはそうしたことが、キリスト教では伝統的に行なわれているのだと、単純に信じてしまっていますが、その由来を尋ねようとしない日本人の欠点が世間体を大切にする体質と組合わさって、このような現象を引き起こしているといえます。
今から1700年ほど昔(269年頃)、ヨーロッパではまだまだキリスト教は広まっておらず、かえって禁止している国も多くありました。
(次回:1 世間体の文化・真心の忘却②)