子どものための教育学
実践編(☆:著者 T:教師 C:子ども P:親)
14 初めの一人と真似する愚か者
☆今回は「5 注意禁止」で触れた内容の延長にある考えです。
「授業中、床に寝転がる子」「シューズを履かない子」「宿題をやらない子」「ランドセルが床に置きっぱなしの子」「授業中、絵を描いている子」
5つの例を紹介しました。
どの例も、本当はやらなくてはいけないこと、やってはいけないことをやっている子どもがいる場面です。
やらなくてはいけないことをやっていない子どもがいると、それを見た子どもが怒っているのです。
やってはいけないことをやっている子どもがいると、それを見た子どもが怒っているのです。
日本の教育現場では、当たり前のことです。
こんなことを書いている私の文を読んで、「何を問題にしているんですか」とちょっと不愉快になってる方もいるかもしれません。
これが日本の教育の当たり前なのです。
30年も前なら、問題はありませんでした。それで、できましたから。
「自粛警察」という言葉が、コロナ渦の時に話題になりました。
「自粛警察」とは、新型コロナウイルス感染症の流行時に、行政による外出や営業の自粛要請に応じない個人や店舗に対し、私的に取り締まりや攻撃を行う一般市民やその行為を指す俗語です。
自粛警察は、偏った正義感や嫉妬心、不安感から行動を起こすことが指摘されています。
実は、今回例に挙げた5つは、自粛警察で言うところの「偏った正義感や嫉妬心、不安感からの行動」に当たるのです。自粛学級委員というところでしょうか。
そして教育現場でやっかいなのは「正義感や嫉妬心、不安感からの行動」であり、「偏った」がとれているのです。
特に「正義感」からの言動が問題です。
その結果を先に述べますと、仲の悪い子ども関係構築につながります。
そして、いじめの多い学級作りにつながります。
何故か。
それは、学級の空気が「怒りの空気」に満ちるからです。
子どもたちの多くは、不完全な人間です。決まりを守りきることなど、なかなかできるものではありません。
しかも、最近では、低学年から成長発達に隔たりのある子どもが非常に多いと言えます。
小学校1年生と言えば、6歳児ですが、教育現場の先生に聞くと精神年齢においては「3歳児から8歳児9歳児位の開き」があるのではないかという感触があると言われる方もいました。
ところが、学校では一律6歳児と扱い、やらない子どもに対しては、厳しく指導するわけです。
これは、教師が、同じ学年でも個人によって成長発達に大きな差があるという認識がないためでもあります。
大学で学ぶことの多くは、一般論であり、平均の子どもたちに対する考え方です。大学の研究が、情報や資料を数値化し一般化するものだからです。
ところが、現在の教育現場の実態は、とてもそれでは対応しきれません。
何十年も前には、知的には差ができていても、集団という中で生活する点においては、もちろん個人差はあるにしても、みんな同じようにできていました。
授業中、椅子に座るとか、シューズを履くとか、ランドセルはロッカーに入れるなど、だいたいみんな同じでした。ところが、いまはそれが「できない」子どもが増えているのです。
「やらない」ではないのです。
「できない」なのです。
「やらない」でも「できない」でも同じことではないか、と思われる方もいると思います。
これは大きな違いがあるのです。
「やらない」子は、やればできるのです。
ところが、「できない」子は、やろうとしてもできないのです。
「やらない子」に注意をすれば、もしかしたらやろうとするかもしれません。
しかし、「できない子」にはどれだけ注意しても「できない」のです。
そして、現在の教育現場では、教師自身がその子どもが「やらない」のか「できない」のか判断することができず、「やらない」前提での関わりが多すぎると言えます。それすら意識している人は少ないのですが。
その結果、自粛学級委員が、「できない子ども」を責めるのです。
「できない」のですから、どれだけ責められても「できません」。
自粛学級委員が、言っていることは、学校内では正義ですから責められた子どもはどんどん苦しくなっていきます。
教師の前で自粛学級委員が「みんな静かにして!」と注意しても、教師は、注意した子どもを誉めます。
学級には自粛学級委員による「怒りの空気」が充満していきます。
目をつけられた子は、正義の制裁を徹底的に受けます。これが、見えにくい「いじめ」につながるのです。
それではどうしていけばいいのでしょうか。(つづく)